33a 植物の世界「コケと日本人」
 
〈隠逸,死の表象〉
 コケは人里離れた山間の陰湿地に生え,その姿や色合いが地味,清楚セイソなので,「苔
」と他の語を結んで隠逸・枯淡の心境や境遇を表す熟語が作られました。「苔の衣」「
苔の袂タモト」「苔の袖ソデ」は隠者や僧侶の衣服又はその部分を,延いては世捨て人の境
遇を意味します。更に「苔の庵イオリ」「苔の岩戸」は隠遁イントン者の住む山中の粗末な住
居,行ギョウを積む岩窟ガンクツを云います。『新古今和歌集』の一首を挙げましょう。
 
 なにとなく聞けば涙ぞこぼれぬる 苔の袂に通ふ松風  宜秋門院ギシュウモンイン丹後タンゴ
 
 尼の身である私の僧衣の袂に吹き通う松風の音を聞きますと,どう云う訳か分かりま
せんが,涙がこぼれてきます。こう詠った宜秋門院丹後は平安時代末期から鎌倉時代初
期の女流歌人で,この歌を詠む3年前に出家しています。
 『徒然草ツレヅレグサ』と共に中世随筆の双璧ソウヘキとされます『方丈記』は,隠者文学の
代表的作品で,鎌倉時代の初期,鴨長明カモノチョウメイが山城ヤマシロの国,日野山ヒノヤマの奥に結
んだ方丈の庵において綴ったものと云われています。第四段は次の文で始まります。
 
  おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと(ほんの暫くと)思ひしかど、
 今すでに、五年を経たり。仮の庵もややふるさと(住みなれた所)となりて、軒に朽葉
 クチバふかく、土居ツチイに苔むせり。
 
 土居とは土石を築いて造った草庵の土台のことです。苔むした土居は、深く積もった
朽ち葉と共に古びたことを示しますが、更に「苔の庵」と同義で、山中の粗末な住居を
表現しています。
 越後エチゴの国,国上山クニガミヤマの小庵において孤高・清貧の歳月を過ごした江戸時代後
期の有名な禅僧良寛の歌に次のような一首があります。
 
 山かげの岩間をつたふ苔水の かすかに我はすみわたるかも
 
 質素な隠遁の日々を送っている良寛は,自分の境遇を山陰の岩の間を伝う苔清水に例
えています。後の下りは,「ひそやかに住んでいる」とも「ひっそりとして心が澄み渡
っている」とも解釈出来ます。或いは,両方の意味を重ねているのかも知れません。
 隠者,僧侶と結び付いた観念が更に敷衍フエンされて,究極の侘びしさを表す言葉が生ま
れました。「苔の下」がそれで,「墓の下」「あの世」のことです。死んでから行く先
を意味する「苔の行方ユクエ」と云う語もあります。謡曲『朝長トモナガ』の,「苔底テイタイが
朽骨キュウコツ、見ゆるもの今は更になし」と謡われている「苔底」も同義です。更に「苔む
すかばね」と云った悲壮な表現もあり,「草むすかばね」と同じく,山野に晒されたま
まの戦死者などの遺体のことです。
 『新古今和歌集』に藤原俊成フジワラノシュンゼイが秋の頃,亡き妻の墓所に近い堂に泊まっ
たときに詠んだ歌があります。
 
 稀マレに来る夜半ヨワも悲しき松風を 絶えずや苔の下に聞くらむ
 
 たまに来る夜だけでも悲しいこの松風の音を,墓の下において絶えず聞いているとは,
さぞかし侘びしい想いであろうと黄泉ヨミジの妻を偲び,哀れんでいます。先に挙げまし
た丹後の歌にも「苔の袂に通ふ松風」とありましたが,松風の哀愁は,古来わが国の詩
歌に広く詠われています。「苔」の言葉と結び付きますと一層哀感が高じます。
 俳句には,「苔の下」と云う言葉は用いられませんが,「苔の花」が夏の季語にあり,
死者や墓に関わる句によく出て来ます。
 
 父の墓倒れてありぬ苔の花
 
 苔の花は,コケの胞子体ホウシタイ,またスギゴケ類に見られるような杯状の雄花盤ユウカバン
やゼニゴケなどの雌シ・雄器床ユウキショウを指します。
 今一つ,コケの関係する熟語に「掃苔ソウタイ」があります。墓石のコケを掃いて洗う意
味から,先祖の墓参りや,先賢の墓を訪ねて,碑銘などから事績を調べることを云いま
す。俳句においては,孟蘭盆ウラボンの墓参を表す初秋の季語として用いられます。
 
 掃苔の人になみ立つ高野杉 長谷川素逝ソセイ
 
〈庭園と盆栽,盆景〉
 わが国程,コケを園芸に広く巧みに利用している国はありません。日本庭園の地面,
庭石,石灯篭,蹲踞ツクバイ,庭木などに生えるコケは,古色,閑寂の情緒を作り出すのに
役立ちます。芝生と違ってコケは,種類を選びますと陰地にも陽地にもよく生育します。
「わび」「さび」の境地を本領とする茶室に付帯する露地ロジには,苔むした風景を欠か
すことは出来ません。
 特に京都にコケの美しい日本庭園が多い。コケの飾り気のない素朴な姿と色合いは,
庭を歩きながら,また座して観る人々に,静かな喜びや安らぎを与えてくれます。
 銀閣寺や,俗に「苔寺」として知られている西芳寺サイホウジのような回遊式の広い庭園
においては,ウマスギゴケ,ホソバオキナゴケ,カモジゴケ,コバノチョウチンゴケ,
ヒノキゴケ(以上は茎の立つ蘚類),エダツヤゴケ,ハイゴケ(以上は茎の這う蘚類)
などの種類がよく生育しています。ゼニゴケ,ジャゴケのような葉状苔タイ類は好まれま
せん。南禅寺,東福寺などのように方丈の周りの狭い地所に造られた定視テイシ式庭園にお
いては,大抵ウマスギゴケが用いられています。
 
 近畿地方と中部地方においては,各地に造園用のコケ(主としてウマスギゴケ)を栽
培,販売している業者があり,最近は料亭,旅館などの庭園地被チヒとして需要が多い。
 大徳寺の塔頭タッチュウ,龍源院リュウゲンインの方丈北側にある龍吟リュウギン庭(室町時代)は,
三尊石組みを中心とする須弥山シュミセン形式の作庭で,面積は小さいがその思想は広大で
す。仏教の宇宙観を表す須弥山の石組みの周りには,無限の時空を示すコケ(ウマスギ
ゴケ)の筵ムシロが八海の大海原を形成しています。
 また,竜安寺リョウアンジの有名な石庭は,禅の唯心ユイシンの世界を表現した典型的な枯山水
カレサンスイで,石組み,白砂ハクサ,及び石を取り巻く常緑のコケ(ウマスギゴケ)の簡素な地
模様が,超俗の孤高と静寂の風景を作り出しています。この庭を観る人々は,簡・無・
間・清浄・幽玄と云った禅の心を思い思いに学び取って,瞑想メイソウの境地を味わうこと
が出来るでしょう。
 
盆栽,盆景は,小さな器に草木を植えて,縮景の自然美を観賞します。小さな盆器の中
に表現された美や心は,枯山水と同じように深遠広大で,老大木,深い森林,起伏する
山々,清澄な渓流,広がる海と云った自然の風景を其処に観るのです。
 これらに用いるコケは,盆栽においては常緑の下草として上に立つ樹木の美と威厳を
支え,盆景においては草となり,木となり,ときにの水の流れともなって,様々な風景
を連想させてくれます。
 日本人に特有な自然美,美意識には,うつろい,散る,刹那セツナの情緒を好む一方,節
操,不変,悠久の観念を尊ぶと云った二面性があります。サクラ,モミジ,ハギなどに
寄せる想いは前者であり,マツ,キク,コケなどの姿を讃えるのは後者の心境と云えま
しょう。

[次へ進む] [バック]