31a 植物の世界「渓流沿い植物」
 
〈棲み分けをもたらした要因は〉
 河川の最高水位を境にして,それから下は渓流沿い植物,上は陸上植物と云うように,
両者は生態的に綺麗に棲み分けています。胞子や種子はそのような境などにお構いなし
にアチコチに飛び交っている筈なのに,現実は棲み分けているのです。何故陸上植物は渓流
帯に侵入出来ず,渓流沿い植物は陸上に進出出来ないのでしょうか。過去において,渓
流沿い植物は陸上植物から進化した筈ですから,進化の際,棲み分けを起こさせる垣根
を乗り越えたに違いありません。どのようにして,陸上植物から渓流沿い植物が進化し
たのでしょうか。
 
 渓流沿い植物の進化は,葉を細長くするなどの適応形態の誕生によってもたらされた
と云ってよいでしょう。渓流沿い植物に特有の形態の起源と適応が明らかになりますと,
その進化をより深く理解出来ます。そのためには,次のような問題を解く必要がありま
す。
@陸上植物から渓流沿い植物へと進化する過程において,特に流線形の細い葉などの特
徴的な形態は,陸上植物の広い葉からどのように生じたのか,
A渓流沿い植物と陸上植物は河川の高水位を境にして綺麗に棲み分けていますが,形態
の違いは棲み分けと何か関連があるのか。
 
 まず,葉の形は内部構造とどのような関わりがあるのでしょうか。植物の葉の内部に
は海綿(スポンジ)状組織があります。その組織を作るヒトデ形の細胞には腕が数本あ
り,腕の先端同士で隣の細胞と接しています。複数の腕同士によって囲まれた空間が細
胞間隙カンゲキであって,光合成の原料となる二酸化炭素の通路などとして重要な働きをし
ています。いろいろな分類群に属する十数種の渓流沿いシダ植物と,それに近縁な陸上
種のそれぞれについて葉の内部構造を比較して見ましょう。陸上種の広い葉は一般に,
腕が長く細胞間隙も広いのに対して,渓流沿い種の細い葉は近縁の陸上種に比べて腕が
短く細胞間隙も狭い。また,多くの渓流沿い種においては,陸上種よりも葉の表皮のク
チクラとワックスの厚さや量が多い。
 
 次に,このような葉の形と細胞の形態の相関は,どのような形態形成の過程によって
もたらされるのでしょうか。渓流沿い植物であるヤシャゼンマイとその祖先種と思われ
る陸上生のゼンマイの葉(この場合は小羽片)の形態形成を比較して見ますと,葉の形
態形成は,細胞分裂による細胞増殖期と,それに続いて個々の細胞の生長(膨張)が起
こる細胞生長期を経て起こります。両種の葉は,前半の細胞増殖期においてはそれ程違
いませんが(葉を作る細胞の数は著しく違わない),細胞生長期はヤシャゼンマイの方
がゼンマイよりも短い。ゼンマイの広い葉からヤシャゼンマイの流線形の細い葉への変
化は,主に細胞生長期つまり展葉期が短くなったために,細胞の生長(ヒトデ形の腕の
伸長)が途中で早めに停止することによって起こったと云えます。このように,祖先種
(ゼンマイ)の若い発生段階の特徴が,進化した種(ヤシャゼンマイ)の成熟段階に現
れるようにして進化が起こることを,幼形進化又は幼形成熟と云います。ヒトがチンパ
ンジーに似たサルから進化したのも,幼形進化であると観られています。
 
 ヤシャゼンマイなど渓流沿い植物における幼形進化は,特異な環境への適応をもたら
しました。陸上種から渓流沿い種に進化し渓流帯に適応するためには,葉が流線形にな
って,受ける水流の圧力を軽減することが不可避でした。幼形進化の結果,細胞が小型
化して葉肉組織がより緻密になり,更にクチクラとワックスが肥厚して葉の機械的強度
(おそらく抗菌コウキン性も)が増しました。これらの特徴と流線形の葉形が,水流に対す
る葉の抵抗力を増したと考えられます。
 しかしその半面,光合成のような生理特性に対して思わぬ副作用があったようです。
光合成は,葉の面積や二酸化炭素の吸収量が大きければ高くなります。渓流沿い植物に
おいては,細胞間隙に接する葉肉細胞の表面積が小さくなったために,二酸化炭素の吸
収量が落ちると思われます。更に,葉が細くなることによって葉面積が縮小したことが
重なって,光合成の低下と云う生理的なマイナス要因を二重に生んだと推定されます。
植物にとって光合成量の大小は,生活を支える収入の点からみて死活問題です。光合成
の低下を余儀なくされた渓流沿い植物は,高い光合成能を持つ陸上植物がひしめき合う
陸上においては競争に負けてしまうのでしょう。
 
 一方,渓流帯は広い葉を持つ陸上植物が入り込めず,また光を巡る競争は渓流沿い植
物が生育出来る程度に低い。渓流帯への適応として起こった葉が細くなると云う形態変
化と,それによってもたらされた生理的変化が,渓流沿い植物と陸上植物の棲み分けを
起こす要因になっているのでしょう。
 
〈世代時間を短縮して〉
 コケ植物においては胞子体が配偶体に,種子植物においては配偶体が胞子体の中に寄
生しています。それに対してシダ植物は,胞子体と配偶体が独立に生活する生活史を持
つ点において,陸上植物の中において特異です。シダの配偶体は単純で微小な平たい体
をしていて,胞子体とは大変異なります。
 渓流沿い植物の配偶体はどのように適応しているのでしょうか。ヤシャゼンマイの配
偶体はゼンマイと変わらない形をしており,特別な適応形態を示しませんが,より速く
生長し,しかも生殖的に成熟して胞子体を作るのが速く,世代時間が短い。このように,
配偶体は形態を変えることによってではなく,世代時間を短縮して切り抜けることによ
って渓流帯に適応しているのであり,胞子体とは違った適応戦略を執っています。

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