30a 植物の世界「森林衰退の原因」
〈酸性雨やオゾンに対する耐性〉
酸性雨や大気汚染が,関東平野のスギ林の衰退原因でしょうか? 挿し木の鉢植え2
年生苗を用いて,人工酸性雨とオゾンの複合処理を行った(筆者森川靖氏)結果につい
て紹介しましょう。
[長期暴露試験]硫酸:2,硝酸:2,塩酸:1の割合で調整した人口酸性雨pH2.5,pH
3.5,pH4.5,及びコントロール(対照)としてpH7.5の水道水を霧吹き器で1日1回,週
3回散布しました。これらの処理に,オゾン暴露区と非暴露区を設け,複合影響につい
ても実験しました。オゾン処理は,濃度0.1ppm,毎日5時間で週5日としました。これ
らの処理期間はおよそ3カ月間です。
その結果,可視被害はどの処理区でも認められませんでした。処理後の葉の光合成速
度は,pH2.5処理において低下する傾向にあり,不可視被害の発生が認められました。
一方,オゾンの複合処理においては,光合成速度が増加する傾向にありました。これ
は,オゾンが葉のクロロプラスト内の光合成反応系そのものに影響を与えたものではな
く,オゾンによって気孔開閉の調節機能が異常となり,二酸化炭素の気孔からの取り込
みが促進されたために光合成速度が増大したと思われます。
[オゾン短期暴露試験]上記の人工酸性雨を,同じ間隔で約1カ月処理してから,オゾ
ン濃度0.5ppm,1.0ppm,2.0ppm,3.0ppmの4段階で3時間暴露し,直後に葉の水蒸気拡
散コンダクタンス(葉からの水蒸気拡散速度。葉全体の気孔及びクチクラ層からの蒸散
を抑制している指標),光合成速度,呼吸速度を測定し,また1日後,2日後,3日後
にもそれぞれ測定をしました。
その結果,可視被害はオゾン濃度0.5ppmでは観察されませんでしたが,1.0ppmでは暴
露1日後に極一部の葉で脱色が認められ,2.0ppm及び3.0ppmでは,暴露直後から一部の
葉において脱色が認められ,1日後にははっきりとした被害が観察されました。
また,水蒸気拡散コンダクタンス及び光合成速度は,オゾン濃度0.5ppmにおいて僅か
ずつ上昇する傾向にあり,気孔開閉に不可視被害が発生しました。水蒸気拡散コンダク
タンスは,オゾン濃度1.0ppmにおいて2日後には2倍に達し,著しい気孔開閉の調節異
常が認められました。このような高濃度においては,クロロプラストレベルの光合成系
も阻害される結果,光合成速度は上昇せず,あまり大きな変化は返って観測されません。
濃度2.0ppm以上の処理においては,葉全体の損傷をきたすことから,光合成速度,気孔
コンダクタンスも著しい低下が観察されました。
以上の試験結果から,スギはpH2.5のような強酸性の雨に長期間晒されても可視被害は
発生しませんが,光合成阻害のような生理的な不可視被害は発生します。また,オゾン
濃度0.1ppmは,現状の大気汚染状況からは可成りの高濃度ですが,矢張り長期暴露にお
いても可視被害は発生しませんが,不可視被害は存在すると云えます。高濃度のオゾン
は,短期間であっても可視被害を発生させますが,今回の処理条件のような濃度は現実
的ではないことから,長期低濃度に対する不可視被害の発生,及び不可視被害の蓄積に
よる生長低下を調べて行く必要がありましょう。
ここで得た結果は,人工酸性雨とオゾンの複合影響の実験を行っている電力中央研究
所の結果においても同様であり,スギも含めて針葉樹は広葉樹よりも耐性が高いと云え
ます。
〈スギ衰退の原因〉
では,何が関東平野のスギを枯らしているのでしょうか。まず,スギの生理特性を考
えてみましょう。
スギは,関東平野に生育する樹種の中において,最大水蒸気拡散コンダクタンスが大
変大きいと云う特徴を持っています。スギの値は0.8(p/sec)で,ミズキ0.8,クスノ
キ0.7,クヌギ0.5など広葉樹と大差ありません。
一方,根系においての吸水抵抗は,若い健全なスギで0.20(Mpa/gH2O/p2/sec),健
全で壮齢なスギで0.47,健全で老齢なスギで0.72程度であり,樹齢が増すに連れて増加
する傾向にあります。若い健全な他の樹種(ヒノキ0.16,アラカシ0.09,クヌギ0.07な
ど)と比べてみますと明らかなように,スギは吸水抵抗が大きいと云う特徴を持ってい
ます。
即ち,水蒸気拡張コンダクタンスが大きいことから,蒸散による水分損失が大きく,
土壌水分が十分にあっても吸水が難しい樹種です。この種特性は,温暖で多雨なわが国
にスギが固有な種であることを裏付けています。
スギのこうした生理特性が,気象条件の変化によってどのようになるかを考察しまし
ょう。近年の関東平野部においては,雨量の減少傾向,大気の乾燥化が進んでいます。
大気の乾燥化が進みますと葉の蒸散が活発になりますが,吸水抵抗が大きいため,根か
らの水分供給が追い付かなくなり,葉の水分欠乏が生じます。樹齢が増す程吸水抵抗は
大きくなりますので,樹冠部の水分欠乏は頻繁になります。葉の水分欠乏は気孔閉鎖を
招きますので,樹冠部の光合成生産は低下します。光条件の1日の変化からしますと,
日中に光合成速度が活発であると期待されますが,実際には午前中の8〜10時に光合成
のピークがあり,その後は低下します(日中低下と呼ぶ)。
このように,大きな木の樹冠上部においては期待される程の光合成生産はありません
ので,樹高生長も止まり,樹形も針葉樹特有の三角形から,先端が丸くなった樹形とな
ります。水ストレスのために光合成が更に低下しますと,樹冠の維持が難しくなり,枯
損が始まります。
また,平野部の平均気温は上昇しており,特に最低気温(夜間)の上昇が著しい。温
度が上がりますと呼吸量が増加することから,この気温上昇も光合成産物の消費の拡大
に繋がっています。即ち,乾燥傾向と気温上昇は,結果としてスギ家計の収入(光合成
産物)の減少,維持費(呼吸)の増大を招いており,ジリ貧状態の結果,徐々に衰退が
進行して来たと云えましょう。
樹冠部の光合成生産の低下には,前述の長期低濃度オゾンの影響も考えられますので,
今後の研究成果が期待されます。
〈老齢な木でのデータが必要〉
現在のところ,人工酸性雨やオゾンの実験結果,気象変化とスギの生理,生長特性な
どから,関東平野においては地球全体の温暖化及び都市化による温暖化,乾燥化が,ス
ギ衰退の主な原因と考えられます。
しかし,大きな木での実験は難しいことから,苗木での実験に限られてしまうこと,
即ち生理的にも活力の高い苗木の実験結果を,老齢な大きな木に当てはめてよいのか,
疑問点が残ります。老齢な木においては,大気汚染ガスや酸性雨による土壌化学性の変
化への感受性も高いことが予想されますので,未だまだ実証データの蓄積が必要です。
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