11 植物の世界「奇形花の器官学」
植物の世界「奇形花の器官学」
参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
見慣れた植物が平生とは違った姿を見せますと,人はそれを不思議に思って注目し,
「奇形」と呼びます。その違いが大きい程,或いは奇抜である程,多くの人の注目を集
め,それが園芸的にもてはやされることもあります。
しかし変異が遺伝的に固定していて,その変異体が品種として認められてしまいます
と,どんなに面白い変異体でも,最早「奇形」とは扱われなくなります。つまり「奇形
」とは,学術的には甚だ輪郭の曖昧な概念なのです。本稿においては「奇形」を通して,
花の作りについて考えてみることにしましょう。
〈双頭蓮と多頭蓮〉
植物の形態や生態がよく解明されていなかった時代には,異形の花は奇怪な現象と受
け止められ,あるときには瑞兆ズイチョウとして喜ばれ,またあるときは凶兆として恐れら
れました。その代表的な例として,双頭蓮ソウトウレンを挙げることが出来ます。ハスは,1
本の花茎カケイに1個の花を付けるのが見慣れた姿ですが,2個の花を付けることが稀に起
こります。これが双頭蓮です。
双頭蓮は古くから知られており,『植物妖異考ヨウイコウ』(1914年)に拠りますと,年代
と場所の明らかなものだけで17件の記録が残されています。その内訳は飛鳥時代2件,
奈良時代1件,平安時代9件,江戸時代5件で,武家政治の鎌倉時代と室町時代の記録
はありません。しかし京都市左京区永観堂エイカンドウ町の禅林寺阿弥陀堂の厨子ズシの扉に
は,永禄エイロク年間(1558〜70)の作とされる双頭蓮の絵が残されています。
『植物怪異伝新考』(1969年)に拠りますと,双頭蓮の記録17件のうち,636年〜998
年までの5件は瑞兆として,1129年,白河院崩御ホウギョの日に咲いたものから以後の12件
は,火事や洪水と結び付けられ,凶兆として扱われています。
三木茂博士の調査に拠りますと,双頭蓮は今世紀に入ってからも,1905年にシャム王
国(現タイ王国)東京公使館において,1909年,1910年,1927年,1930年に愛知県祖父
江ソブエ町において出現の記録があります。また,[大賀蓮オオガバス]で知られる大賀一郎
博士は『園芸大辞典』(1955年)の中で,愛知県立田タツタ村において二十数本の双頭蓮を
見たことを記していますが,観察年度は明らかではありません。近年においては,1985
年に岐阜県羽島市桑原町での出現が記録されています。祖父江町,立田村と羽島市桑原
町とは木曽川を挟んで至近距離にあり,古来この地に多発するようにも観えますが,実
際にはこの地方が元々蓮根の一大生産地でハスの栽培が多く,人々の関心も高いことに
よるようです。1988年に京都府宇治市黄檗オウバク,1992年には矢張り蓮根の生産地として
知られる徳島県松茂マツシゲ町でも双頭蓮が出現しています。
1905年の双頭蓮は名古屋市千種チクサ区の日泰寺ニッタイジに,1910年のものは祖父江町の善
光寺別院に,それぞれ寺宝として保管されていました。三木博士は200個を超える1花茎
1花の通常の花と,両寺院保管の2標本及び1932年に宇治市黄檗において発見されたも
のとを併せて調査しました。
三木博士に拠りますと,ハスの花には4枚の萼片があるように見えますが,実は萼片
に見えるのは苞葉ホウヨウで,その位置は決まっています。地下茎が東に向かって伸びてい
るとしますと,1番目の苞葉は蕾の東側,2番目は西側,3番目は北側,4番目は南側
に付きます。通常,3番目の苞葉の腋芽エキガが花になり,他の苞葉の腋芽は発達しない
ので,花茎の頂端に萼片を持った花が付いたように見えるのです。3番目の苞葉に加え
て,4番目の苞葉の腋芽も花に発達したものが,双頭蓮です。
双頭蓮においては雌蘂も雄蘂も健全で,両方の花とも稔性ネンセイがあり結実することが
出来ます。双頭蓮は一つ一つの花は「奇形」ではありませんが,花の付き方の変形と云
うことが出来ます。こうした変異を誘発する原因は未だ明らかではありませんが,蓮池
シスイケの水の富栄養化によるものではないかと考えられます。
また,ハスには多頭蓮タトウレンと呼ばれ,総数3000にも達する花弁を付ける品種[妙蓮
ミョウレン]があります。これは双頭蓮とは全く別の構造を持つ奇形花で,双頭蓮の増数では
ありません。
普通ハスの雌蘂は7〜25枚の心皮シンピからなり,ほぼ円形の平面に並びます。その円
形面は心皮の数に応じて拡張しますので,花床カショウは倒立した円錐台にような形(漏斗
形)になります。心皮は円錐台形の組織に陥没し,短い花柱カチュウだけを出していますの
で,独特の蜂の巣状に見えるのです。
ところが,多頭蓮には心皮がなく,従って花床は円錐台形に発達しません。花床は2
次3次と分岐し,その全面に雄蘂から変化した花弁が付きます。花弁群は,末端におい
ては20〜30にも分かれることがあります。外側の花弁が散りますと,これらの花弁群が
現れ,それぞれが独立の花のように見えるのです。勿論結実はしませんが,この形質は
固定しており,地下茎(蓮根)によって栄養的に植え継ぐことは可能です。
〈植物器官学から見た花〉
スイスの植物学者ド・カンドルは『植物器官列記』(1827年)を著し,多くの「奇形」
を用いて植物器官を論理的に配列・記述することを試みました。これ以後,植物の「奇
形」は単に奇葉珍花として観賞されるに止まらず,器官の本性を解明する上で重要な手
がかりになったのです。約1世紀を経て,ドイツの植物形態学者ゲーベルが同名の著書
において,「奇形」と正常形とを比較・整理し,仮定的基本形として,葉や花の「原型
」を想定しました。一般に,これを以て植物器官学の確立と考えられています。
これ以後,植物器官の外部形態は個々の植物の「見慣れた姿」ではなく,この原型を
基準にして具体的に表現されるようになり,学術的には「奇形」と云う用語は用いられ
なくなりました。以前には問題にしなかったような些細ササイな変異にも注意が払われ,遺
伝的に固定した突然変異体か,環境条件に基づく1代限りの変異体かと云う区別を取り
払って,単純に花の「つくり」に注目出来るようになったのです。
植物器官学の表現に拠りますと,花は枝の一種です。花を構成する器官は下から順に,
萼片,花弁,雄蘂,心皮で,これらは何れも枝に付く葉の変形したものであり,花葉カヨウ
と総称されます。
観賞用の花ハスにおいては,心皮が蜂の巣状の花床から突き出たり,突き出した心皮
が大きく膨らむ品種があります。心皮は,[西湖蓮サイコレン]のような白花の品種では緑色
ですが,[玉繍蓮ギョクシュウレン]のような紅花の品種では赤味を帯びますので,花弁のよう
に見えます。こうした場合,胚珠は実らないので機能の上からは心皮とは最早云えませ
んが,心皮が葉の変形であることを示す現象と考えられています。
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