36a 植物の世界「植物の有毒成分 そして薬への利用」
 
〈マゼラン一行を襲った毒は?〉
 16世紀の初めに世界一周を目指したマゼランは,フィリピン諸島のマクタン島におい
て住民の毒矢に倒れましたが,その毒はクワ科のアンティアリス・トクシカリア,又はマ
チン科マチン属の植物から得られたものと推定されています。後者は猛毒のストリキニ
ーネを持つことで有名です。それ以前にマゼラン一行は南アメリカのパタゴニアにおい
ても毒矢の攻撃を受け,同行者1人を失っています。ですが,南アメリカ産の矢毒,ク
ラーレに攻撃された彼の感じたショックは,マゼランを襲った感覚とは全く逆であった
と考えられます。
 矢毒として同じ目的を果たし,同じマチン属の植物であっても,生育地域や種が異な
りますと,その作用成分も作用メカニズムも全く異なることが今では明らかになってい
ます。東南アジア産のマチンやストリクノス・イグナティイは脊髄に直接作用し,全身強
直キョウチョク,痙攣ケイレンを起こす致死性アルカロイドを含むのですが,南アメリカ産はどう
でしょうか。
 
 南アメリカ北部,オリノコ川流域の矢毒は,ヒョウタンに入れて持ち運ばれるヒョウ
タン・クラーレ,アマゾン川流域には竹筒に入れられることからツボ・クラーレと呼ばれ
ていました。どちらもヨーロッパからやって来た多くの探検家を恐れさせ,長い間謎ナゾ
に包まれた毒物でした。1595年,イギリスのローリーのオリノコ川探検以後,各種族が
それぞれユニークな方法によってクラーレを作っていることが明らかにされ,未知の化
合物が含まれているかも知れない矢毒の解明が,民族植物学者の夢となりました。
 
 英,仏,独,米国の研究者による多くの試みの後,まずヒョウタン・クラーレの原料植
物にストリクノス・トクシフェラの学名が付けられました。この植物から分離された約50
種類のアルカロイドのうち,幾つかが活性を示しましたが,その作用は東南アジアのマ
チン属とは正反対の筋弛緩キンシカン作用でした。更にツボ・クラーレの原料植物はツヅラフ
ジ科のコンドロデンドロン・トメントムスであることが突き止められました。コンドロデ
ンドロン属の毒物質は,ストリクノス・トクシフェラとは構造のタイプが異なるアルカロ
イドであったにも拘わらず,同じ筋弛緩作用を持っていました。この作用は手術時に骨
格筋の緊張を和らげ,破傷風やコレラの筋強直の治療に有効であるなど,医療上有用性
が高いことが知られるようになり,研究は多方面に発展しました。コンドロデンドロン
属の毒物質から合成筋弛緩薬を導く基礎を築いたイタリアのボヴェは,1957年にノーベ
ル医学・生理学賞を得ています。
 
〈アマゾンでクラーレの謎を探る〉
 ハーヴァード大学のシュルツは,1960年にブラジル北部のティリオス地方を訪れ,筋
弛緩作用ではなく幻覚作用を及ぼすクラーレを発見しました。その20年後,シュルツの
教え子であるプロトキンは,この新しいタイプのクラーレを解明しようと再度ティリオ
スの先住民を調査し,1993年に著書『シャーマンの弟子の物語』にその体験を発表して
います。そのクライマックスの場面を紹介しましょう。
 
 土地の人がクラーレの作り方など,そう簡単に余所者ヨソモノに明かす訳がありません。
毎日生活を共にしながら少しずつ住民と親密度を深めて行きました。マラリヤかと思わ
れる酷い病気に罹ったときは,ティリオスのシャーマンに身を任せたこともありました。
部族の長老等から彼等の使う薬の知識を学べるようにもなりましたが,クラーレについ
ての質問には誰も答えてくれませんでした。
 ある日,プロトキンに雇われて植物採集ばかりしている男たちに業ゴウを煮やした妻た
ちに追い立てられて,クモザル狩りに同行するチャンスが訪れました。男たちの矢筒に
赤茶色の物質,念願のクラーレを見かけました。この狩りから暫く経ってから,漸くそ
れを作る現場への立ち会いが許されました。コショウ属,トウガラシ属など様々な植物
を混ぜるのですが,「あなたが知りたがっているクラーレはこれですよ」と手渡された
植物は,既に近隣の部族の矢毒として知られていたストリクノス・グイアネンシスでし
た。
 ですが,数日後の夜,プロトキンが記録の仕事に追われていますと,何時の間にかシ
ャーマンが目の前に立っていました。「何ですか」と驚いて声を掛けますと,彼は微笑
み,「クラーレ」と云って或る植物を手渡してくれました。「エイリアンは沢山の銃を
持っています。我々のクラーレも何種類もあります」と彼は云います。この植物はマチ
ン属の新種でした。
 
 アマゾン地域も近代化の波に洗われて大きく変化し,矢毒の伝統も消えつつあります。
そうした状況下において,なお未知の植物が新たな知識をもたらす可能性が残っている
ことを示す貴重な記録です。
 
〈イチイの毒から制がん剤〉
 矢毒以外にも古代から言い伝えられています有毒植物の中において,イチイ科のイチ
イ属も有名です。紀元前1世紀,ジュリアス・シーザーは『ガリア戦記』の中において「
カトゥウォルクスは,最早年老いて戦争や逃亡の労苦に耐える力を失い,陰謀の中心で
あったアンビオリクスをあらゆる言葉で呪った末に,ガリア地方やゲルマニアに自生し
ているイチイの毒を仰いで自ら命を断ちました」と記しています。
 
 このイチイ属の植物に対して,独,仏,伊,英,スイス,そして日本の研究者が100年
に亘って凌ぎシノギを削りました。そして1960年代に,東北大学の中西香彌コウジ等が日本
産のイチイから,リスゴー等がイギリス産のヨーロッパイチイから,有毒物質の構造を
明らかにしました。この有毒物質は腹痛,昏睡,頻脈,血圧降下などの作用を示しまし
た。一方において1964年,米国国立がん研究所のグループはタクスス・ブレウィフォリア
から制がん作用を示す物質を見出しました。現在,複数のグループが化学合成や組織培
養などによってこの物質を大量生産する方法を開発中です。
 
 植物にはこのほかにも,呼吸中枢を麻痺させる青酸配糖体,モルヒネなどの向精神物
質,ソテツやワラビの発がん性物質など多数の有毒成分が存在すますが,幾つかの例を
示しましたように,人類は毒の本体を突き止め,それを様々な方法によって飼い馴らし
て薬へと導いてきました。また逆に,かつて薬として利用して来た植物の中に,キク科
キオン属の植物やムラサキ科ヒレハリソウ(コンフリー)のように,発がん性物質が見
付かることもあります。
 植物は病気をもたらす微生物や,昆虫・哺乳類などの植食動物の攻撃に晒されていま
す。種々の作用を持つ二次代謝産物を作る植物は,こうした攻撃から自分を守るのに有
利であり,そのために生き残って来たと考えられます。

[次へ進む] [バック]