09e 植物を支配する
 
〈平等な植物の世界〉
 前述したように,植物は生育環境の中の光や重力や他の多くの刺激に感じて反応しま
す。しかし植物は神経系を持ってはおらず,感情も心もありません。その動作は意識的
なものではなく,どんな動きも反応も必然的にそのホルモンの反応機構の狭い限界内に
あり,自発的な決定を下す自由は持ってはいません。しかし,その事実にも拘わらず,
筆者は植物の観察からある種の道徳的な教訓を学ぶことができるような気がします。
 植物と動物の両者から成り立っている自然界は,無慈悲な生存競争のため,得てして
残酷だと言われ,この闘争はよく戦争の弁解に使われます。お互いに殺し合うことが,
生物の数を一定に保つ自然の方法だと考えられているからです。
 言うまでもなく植物は,他の動物を攻撃する武器や,攻撃から身を守るための防御機
構は殆ど持ちません。だからと言って植物は,側へ寄ってくるどんな寄生動植物にも服
従すると言う訳ではありません。植物は全てカビやバクテリアの侵入攻撃を妨げるため
の,効果的な構造や反応を多少なりとも持っています。普通の植物は貧弱な生育条件に
あるときに,最も害虫や病気の攻撃を受けます。快適な環境にある場合は,昆虫や寄生
性菌類に苦しめられることはずっと少ないのです。
 しかし,森林の中の植物と他の動物相との間には,どのような関係があるのでしょう
か。植物は,互いに闘争しているのでしょうか。日の当たる処を巡って争っているので
しょうか。1本の木には数千のドングリやクリの実がなるが,そのうちどの1粒がその
木が死ぬとき跡を継ぐのでしょうか。それを決定する要因は一体何でしょうか。沢山孵
化しながら成体になるのは極僅かでしかないオタマジャクシやサケの稚魚のように,実
生や稚樹にも同じような恐ろしい損失があるのでしょうか。
 個々の植物間の競争の極端な例は,砂漠に見出されます。極稀な激しい雨が砂漠に降
ると,長年の乾燥の間砂漠の砂の中に眠っていた種子が目を醒まし,不毛の土地の1平
方m毎に1000個以上の実生が発芽してくることがあります。このような実生は個体数が非
常に多いので,芽が土の表面を緑の敷物のように覆い尽くします。筆者がかつて読んだ
進化の本には,どれもこのようなときには場所をとるための競争があり,他の実生より
も大きく生長できた僅かの植物が最後の勝利を占める,と書いてありました。では実際
にはどんなことが起こったのでしょうか。
 結論を言えば,砂漠に芽生えたこれらの実生の全ては生長しました。生長の度合いは
ゆっくりしたものでしたが,乾燥した生育場所では半分以上が数枚の葉を着け,少なく
とも一つの花を咲かせ,最後に僅かに種子を着けました。少数のものが他よりも大きく
生長し,光や湿気や養分を独占するようなことはありませんでした。植物は皆同じよう
に生長して,利用できる空間を平等に分かち合っていました。砂漠の一年生植物は,う
まく発芽すれば,成熟して一つ或いはそれ以上の種子を生産します。砂漠の植物はこの
ような機能を持ち,種子を着ける使命を果たすために,どの個体にも同じ機会が与えら
れていることは確かでした。植物の間には激しい闘争はなく,戦争のような殺し合いも
ありません。其処には,それぞれが等分の基礎に立った調和のとれた生長がみられまし
た。このような共同の原則は,競争よりも一層強いのです。砂漠で,花の敷物を管理し
ている要因は,種子の発芽であり,地球上の個体数を規制しているのは,差別的な発芽
なのです。換言すれば,自然が与えてくれた解答は戦争ではなく,産児制限でした。
                                      完

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