04b 自然の化学工場
 
〈植物の巨大なエネルギー − 光合成〉
 まずここで光合成,つまり植物が光のエネルギーを化学エネルギーに変える過程につ
いて調べてみましょう。光合成はこの世の中で,最も大切な化学変化の一つであると言
えます。植物の光合成とは,一体どれほどの働きに相当するものなのでしょうか。
 エネルギーという点からみれば,光合成に比べられるものは何一つ無いくらい巨大な
エネルギー産業を植物は稼働させているのです。事実,世界のあらゆる緑の植物,アメ
リカ中西部のコムギやトウモロコシは勿論,エジプトのワタ,南アメリカの多雨林に茂
る密林,アフリカやアジアの大草原,そしてカリフォルニアの巨大なセコイアなど,そ
れら全ては光合成によって大きく生長しています。
 また,その生産量からいっても,人間の工業などは光合成に比べれば全く足元にも及
びません。毎年,全世界の製鉄工場で作られる鋼鉄の量は3億5000万t,全世界のセメン
ト工場で生産されるセメントの量は3億2500万tに上ります。ところが世界中の緑色の植
物が年々作る糖の量は1500億tにも達します。しかも,その方法たるや未だに試験管で再
現できた者は誰もいません。実のところ,やっとその化学的な過程が分かりかけたばか
りなのです。
 光合成の発見,というよりは寧ろ発見の糸口が見つかったのは,今から200年ばかり前
に過ぎません。当時は,動物を締め切った入れ物に閉じ込めて置くと,やがて呼吸のた
め空気が汚れ,動物は窒息してしまうということは知られていました。ただ,その頃は
未だ空気を作っている気体が何なのかは,全く分かっていなかったので,どうして窒息
が起こるのかは,勿論分かりませんでした。
 1774年にイギリスのジョセフ・プリーストリー(1733〜1804)が酸素を発見して,初
めてその説明がつくようになりました。彼は動物は生命を支えるに必要な酸素を使い,
その代わりに窒息を起こす炭酸ガスを排泄するという事実を発表しました。同時に植物
はその反対の働きをするのではないかと考えました。つまり植物は,動物や人間の呼吸
で汚れた空気を新しくする力を持っていると推察した訳です。これから病室に花を飾る
新しい習慣が生まれました。それまでは,病室を戸外の"悪い"空気が入ってこないよう
に堅く閉め切っておくのが普通でした。
 しかし,当時のオランダの医学者で化学者でもあったヤン・インゲンホウスは,植物
が病人の助けになるという考えに疑いを持ち,いろいろ実験を行いました。その結果空
気を新しくする力は植物の緑の部分だけにあること,しかも其処が強い光に当てられた
ときだけであることを発見しました。花とか緑色でない他の部分,また緑の葉でも暗い
処に置かれたときは,動物と同じように酸素を消費することも発見しました。この研究
はスイスの植物学者ニコラス・テオドール・ド・ソシュール(1767〜1845)に引き継が
れ,遂に次のような光合成の化学反応式が決められました。
 
  炭酸ガス + 水 + 光のエネルギー  →  糖 + 酸素
 
 これは前述の植物の呼吸を示す反応式を,丁度逆にしたものです。改めて比較対照し
てみましょう。
 
  糖 + 酸素  →  炭酸ガス + 水 + 化学エネルギー
 
 これらの二つの式は,植物の体内で起こる大切な二つの化学変化を表すものです。最
初の式で注意すべきことは,光合成の鍵はエネルギーを光から吸収するところにあると
いう点です。従って,式は緑の葉を強い光の下に置くと,葉は光を使って炭酸ガスと水
から糖と酸素を作り出すことを表します。
 第二の式は,葉がこの反応を逆の方向に進めることもできることを示しています。つ
まり酸素の助けを借りて糖を分解し,光から吸収したエネルギーを放出します。これが
植物の呼吸です。このとき副産物として炭酸ガスと水ができます。
 光合成によって固定された光のエネルギーが糖から化学エネルギーに変化する速度は,
必要に応じて早くも遅くもなります。このエネルギーは化学的に非常に安定した糖とし
て蓄えられています。ときには石炭として,数百年もの間保存されたあげくに掘り起こ
されて燃料として利用されます。
 
〈光合成の二大原理〉
 今まで述べてきたことは,極めて概略的なことに過ぎません。もっと深く探求しなけ
ればならないことが残っています。例えば,光合成はどうして起こるかという問題は,
生命がどうして生まれたかという問題と同じく答えが未だ出ていません。しかし,それ
については大まかな二つの原理だけは分かっています。
 その第一は,光合成において光が直接作用するのは水であって,炭酸ガスではないと
いうことです。光は何らかの方法で水の分子の分解を助けます。その際,葉緑素が重要
な働きをします。この結果,酸素が放出され,同時に化学エネルギーが蓄えられます。
ただ,この化学エネルギーはATP,アデノシン・トリフォスフェイトと呼ばれる極め
て不安定な化合物としての形を執るのです。
 第二の原理は,第一の原理によってATPとして蓄えられた化学エネルギーが空気中
の炭酸ガスを還元して糖にするということです。これを劇的に証明したのがノーベル賞
を受賞した生化学者メルビン・カルビンでした。
 カルビンはカリフォルニア大学で放射性炭素を使って,独創的な実験を行いました。
この実験に放射性元素を使った訳は,植物の体内で起こる化学反応の中を,放射性物質
の分子がどのように動いて行くかを追跡するためです。カルビンは,光合成を行いつつ
ある緑藻に気体の放射性炭酸ガスを与えてみました。その結果"放射性"炭素原子が緑藻
に取り込まれてからどう動いて行くかを追跡することができました。この原理は,透明
なガラス玉が一杯詰まった瓶に青いガラス玉を1個入れて振れば,その青い玉がどう動
いて行くかを簡単に追跡できるのと同じ理屈です。
 カルビンが行った実験によると,その放射性炭素原子の辿った道程は短く,しかも真
っ直ぐでした。それが気体として緑藻に取り込まれ,糖分子の一員として細胞に現れる
までの時間は,なんとたったの2,3秒に過ぎませんでした。全く信じられないような
速さで,そのガス分子は光合成を起こす未知の細胞分子に捕まえられ,分解された上,
ATPのエネルギーの力を借りて糖分子に作り変えられたのです。
 
〈植物細胞内で働く酵素〉
 植物の細胞は,いわば自然の生きた化学工場です。この活気ある化学工場では,光合
成や呼吸のほかにも,非常に沢山の代謝反応が絶えず並行して行われています。其処で
は原形質も合成されなければならないし,アミノ酸やプリンやその他数多くの化合物も
作られなければなりません。
 これらの産物は全て同じエネルギー源,即ち糖を使うにも拘わらず,それぞれ定めら
れた時期に定められた量だけを作らなければなりません。このような活動の全てをうま
く調節しているのが,酵素と呼ばれる特異蛋白質です。
 酵素は細胞内の様々な化学反応を刺激し,促進する役割を果たします。しかも酵素に
はいろいろあって,それぞれ定められた反応を特異的に刺激します。各細胞は其処で生
産される物質の種類に匹敵する程多種多様な酵素を持っているのです。
 酵素には実に多くの種類があるが,そこにある共通性もみられます。例えば酵素は全
て蛋白質でできています。しかし,同じ蛋白質でできていても形を変えるだけで,幾つ
かの異なった働きをすることができます。一般に酵素は正真正銘の触媒であって,それ
自身が化学反応に加わることはしません。酵素は化学反応を刺激するだけのものと考え
られます。つまり酵素は化学反応に与アズカる物質を互いに結び付け,エネルギーの受け
渡しに必要な状態を作り出す働きをするだけです。
[次へ進んで下さい]