11 レッドデータブック〈日本の絶滅危惧植物1〉
本稿は,農村文化社発行の「RED DA
TA BOOK」を参考(抜粋)にさせてい
ただきました。
日本植物分類学会が中心になって出版され
た「我が国における保護上重要な植物種の現
状」に基づいて,同学会による「絶滅危惧植
物問題検討委員会」が取り組んだのがこのレ
ッドデータブックです。前掲の出版物は,平
成4年に成立した「絶滅のおそれのある野生
動植物の種の保存に関する法律」にも貴重な
資料を提供しております。 SYSOP
〈野生植物の種の保護の必要性〉
△遺伝的多様性の保護
近年,野生植物の潜在遺伝子資源としての重要性が強調されるようになってきました。
これは,バイオテクノロジーの進歩によって,野生種がもつ有用遺伝子を作物などの育
種に活用できるようになったことを反映しています。遺伝子組換えに利用する遺伝子は
どんな野生植物のものでもよいので,すべての野生植物が資源としての潜在的価値をも
つことになりました。
野生種は決して均質な存在ではなく,種の中にすら莫大な遺伝的変異を含んでいます。
したがって,遺伝子資源としての生物を保存するためには,個体だけでなく,最低限で
も種を保護する必要があります。また種が亜種や変種,あるいは地方型や生態型に分化
している場合には,それらをすべて保護することが必要です。
△生態的多様性の保護
生物群集は,複雑に絡み合った種間の相互作用の上に成り立っています。植物は食料
として様々な動物に利用されており,植物と動物の種間には巧妙な相互適応的関係が成
立していることが知られています。こうしたなかで,一つの野生植物種の絶滅がほかの
種にどのような影響を及ぼすかを予想することは,大変難しいのです。しかし,ある野
生種の絶滅がほかの植物種・動物種になんらかの変化を引き起こすことには間違いあり
ません。
一般に,群集を構成する生物の種類の少ない,生態的多様性の低い生物群集より,生
態的多様性の高い,構成種の多い複雑な生物群集のほうが安定的です。生態的多様性の
低い生物群集では,環境条件のわずかな変動が大きく影響し,特定の種が異常発生を起
こすなど,群集のバランスが崩れやすいことが知られています。種を絶滅させることは,
その群集の生態的多様性を低下させることです。生物群集をより安定な状態に保つため
には,種の絶滅を避けなければなりません。
△教育研究の素材としての野生植物
生物学は,人類の生存を支える科学として,今日大きな注目を集めています。生物学
の研究においては,野生生物の種がもつ様々な性質が研究対象とされており,野生種は
生物学の発展に欠くことのできない存在です。
野生植物はまた,学校教育の素材としても重要です。野生植物を素材とした教育を実
施するためには,学校周辺の身近な環境において,様々な野生種の自生地を保護するこ
とが必要です。
△文化財としての野生植物
ある地域の植物相は,その地域独自の環境と歴史のなかで成立したものです。これら
を保護し,かつ探求することは,地域の文化的営みとしての価値をもっています。この
ような「文化財」という観点でみたとき,日本に約1,800種の固有植物が生育している
事実に注意を払う必要があります。これらを保護することは,日本国民に課せられた国
民的責務です。
△自然に対する人間の倫理
前掲の4点は,人間にとっての野生植物の価値について述べたものです。野生植物種
はこのように人間にとって価値のある存在ですが,それでは価値の低い種は滅ぼしても
よいのでしょうか。
いうまでもなく,人間は生物進化の結果生まれた一生物種であり,この点ではほかの
多くの生物種となんら変わりありません。同じように進化の結果生まれ,自然界に存在
しているほかの生物種を人間の都合で絶滅させないということは,人間が自然に対して
もつべき倫理なのです。
〈野生植物保護のための環境の保全〉
野生植物の種を保護するためには,その生育地の自然環境を保護する必要があります。
これらは単にその場所だけを保護すればよいということだけではなく,そうした環境を
成立させている諸条件を保全することも含んでいます。したがって,例えば湿地に生育
する植物種を保護する場合,湿地だけでなく,水源などの周辺環境を保護する必要があ
ります。
また,保護すべき自然環境には,花粉を運ぶ昆虫や窒素固定をする菌のような,生物
的環境も含まれます。埼玉県田島ケ原のサクラソウ保護地では,周辺が開発されてしま
ったために,花粉を運ぶ昆虫がいなくなり,サクラソウは種子をつくることがほとんど
できない状態に至っています。
園芸用や薬用に利用される種の場合,自然状態で絶滅しても栽培状態で残っていれば
よいではないかという意見がしばしば聞かれます。しかし,ある種を自生地において絶
滅させることは,必然的にほかの生物種の生活にも影響を与え,その生物群集の生態的
多様性を低下させます。
さらに,栽培状態で残すことのできる遺伝的変異はごく一部に過ぎないという点も重
要です。栽培状態では,例え人工的に成功したとしても,親の数が限られているため,
増加するのは個体数だけにとどまり,遺伝的変異を増加させることはほとんどできませ
ん。自然集団内の大きな遺伝的変異を保護するためには,自然集団自体を残すことが必
要です。
遺伝的変異の保全を考えるうえでもう一つ重要なことは,地理的変異の存在です。異
なる地域に生育する集団は,同じ種に属していても,環境条件が異なっているために独
自の遺伝的性質を発達させている場合が一般的です。種が保有する遺伝的変異を保護す
るためには,特定の集団を保護するだけでは不十分です。
以上むのような理由から,種の保護にあたっては,少数個体だけでなく,大きな,複
数の集団を,栽培ではなく自然の状態で維持することが必要です。
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