絶望書店日記 2003/1/28 ツタンカーメン王のマメ2 で、私の前記事(「ツタンカーメンのエンドウ?」)についてのコメントを頂きました。ありがとうございました。
大変参考になりますので、皆様もお読みになってくださればと思いますが、私もその後調べたことがいくらかありますので、補足をここに書いておきます。
絶望書店さんによると、ニコラス・リーブスの「図説:黄金のツタンカーメン」はかなり信頼できると思われるが、これに エンドウ (Pisum sp. ) が出土してるという記述がある、とのことでした。それで、この部分を以下に引用しておきます。
王墓出土の豆類には、ヒヨコ豆(Cicer arietinum) やレンズ豆(Lens culinaris = Lensesculenta) と、偶然にまかれたエンドウ豆(Pisum sp.)などがある。これらの食物のなかで、多くが模型の穀倉や他の場所で、穀粒とまじって発見されている。付属室出土の小型の土器には、レンズ豆とコロハ(Trigonella foenum-graecum)がまじったものが入れられていが、一方、やはり付属室出土のワイン壺(509)には「内部に乾燥したレンズ豆がある」と、カーターの記録に残されていた。(p.347)
実は、前記事を書いた後、Domestication of plants in the Old World (Zohary and Hopf 1994) を調べて、ツタンカーメン王墓出土のリストにエンドウは出ていないことを確認、更にこのリストの元になってるらしい、Pharaoh's flowers, the botabical treasures of Tutankhamun (Hepper, F. N. 1990) という本も人に頼んで見てもらったのですが、「出てない」とのことでした。
それで、すっかり「出土してるというのはガセネタ」と思っていました。しかし、こうなるとどうも出ている可能性が高いですね。現時点では、カーターのカードが全部見られないようなので、依然としてはっきりしませんが…。
一方、エンドウ(Pea) 自体は、エジプトの方々で古くからが出土しているそうです。例えば、紀元前 4800-4400 (Merimde) とか、3850-3650, 3400 (Nagada)、2886-2181 (Dom el-Hisn) など(上記 Zohary and Hopf 1994 より。但し、"few" とか "rare" とかが皆付いてます)。
ですから、実際出たのかは別にしても、エンドウがツタンカーメンの時代から「出土していてもおかしくはない」ということは確かなようです。
次のサイト、ちょっと便利な感じなので、個人的にメモ(信頼性不明)。
都立中央図書館で、戦後50年の朝日新聞記事索引のCD-ROMを使えることを知ったので、この豆が日本に入るきっかけになったらしい「世界友の会」について調べてみました。
小さな記事ですが、昭和28、30、31年に計4件、例の種子寄贈の話が出ていました。この後は見当たりません。
基本的には「世界を桜で埋めよう」というような話でできた会、とのことですが、桜のほか、イチョウのタネや人形、こいのぼり…といったものも贈っていたようで、返礼もキャベツだインゲン豆だと、いろいろ(普通のものも)来ていたようです。ツタンカーメンの豆が来たというような記事は探せませんでした。
絶望書店さんは、大賀ハスも怪しいのでは、という疑問を書かれています。この件も面白そうなので調べていたら、大賀博士の論文に、こんな一節がありました。
植物の種子の長寿といえば,欧米ではすぐにエジプトのミイラ小麦の話が出る.(中略)このエジプトのミイラ小麦の種子の発芽の話は,日本の桃太郎の話やカチカチ山の話のように,欧米では老若だれ知らぬものゝないほど普遍的であり,5000年の長寿は実にこのミイラ小麦だけに見る独自のお話である.(後略)
(大賀一郎 1951. 種子の寿命−私の夢−悲願. 採集と飼育 13(7): 206-212.)
面白いのは、この話が 1833年に始まり(ステルンベルヒ伯爵が発表)その後何度も(1847, 1873, 1890) 発芽試験がされて不成功だった、というところです。一方、ツタンカーメンの墓が見つかったのは 1922年です。
「エンドウ」の話が欧米でイマイチ盛り上がらない理由が分かったような気がしました。
これは別ページになりそうなので今回はパスしますが、一点だけ。
大賀ハスが本物かどうかについては、1969-70年頃に大騒ぎがあったようです。 朝日新聞の記事にもなっていました(1969. 12. 24 夕刊11面)。 「大賀ハス」は、もともとアカデミックな立場からは疑問の目で見られていたようですが、 大賀博士の死後に否定的な内容の論文が発表されると、 博士を信じる人々から、感情的とも言えるような非難を受けたようです。 その論文もいろいろ不備があったようですが…
詳しくはまたいずれ。