しずかな夜。どこかで虫がないている。そらにはすこし欠けたまるい月がかかって、やわらかな光が世界をてらす。
あくびをして、ボクは目をひらいた。めずらしく、夜中に目がさめてしまった。ちょっと、いやな夢、みちゃったから。
いつものTシャツの手ざわりをたしかめる。だいじょうぶ、だいすきな友達は、ここにいる。寝相が悪くてときどきたたかれちゃったりするけど、朝になったらいなくなってることを知るのは、イヤだから...あのときみたいに。
いろいろなことを思いだして、ボクは寝つけなくなった...
1. めざめたときは |
あれはいつだったんだろう。ボクは、どこかの林にいた。
かおにつめたいものがあたって、ボクは気持ち悪くなってじたばたした。
かいだことのない臭いがした。ボクは、林の...草むらに、そっと、おかれた。そして、足音が、どこかにきえていった。
あの場所は、どこなんだろう。
月のひかりがあおくかがやいていた。よわい風が、とおくの木の上をとおりすぎる。もっととおくで、なにかいきものがうごくかすかな音もきこえていた。
ボクはしばらくじっとしてたけど、そのうちおなかがすいてうろうろしはじめた。おいしそうじゃなかったけど、たべられる物らしいにおいがしたから、落ちてた実を食べた。すこしはなれたところから、ざわざわした音といっしょに水のにおいもした。のどがかわいたら、そっちにいけばいいんだろうな、きっと。
こうして、ボクはどこかの林に、たぶん...すてられた。
旅のとちゅう、なんどもおなじような景色をみた。でもボクは、あの夜のあの場所を、まだわすれてない。
2. ともだち |
あたりまえのことだけど、林のなかにはおいしいものはめったに落ちてない。ボクは、風がはこんでくるにおいをたよりに、おいしいもの...できればたくさんの...をさがしてずっとあるいていた。
なんどか、ねらわれてちょっとこわい思いをしたけど、かくれるところがあってひどいめにはあわないですんだ。いま考えると、ボクはラッキーだったんだ。
そんなふうにして、ボクはじぶん以外のいきものを見かけた。それが、ぼくとよく似たいきものたちと、人間だった。
なんにちもあるきまわったあと、風にまじってきいたことのない音がたくさんきこえてくるようになった。ボクはいつのまにか、町のちかくまできていたんだとおもう。そのころ、「町」がなんなのかはしらなかったけれど。
いろんなたべものがまざったにおいがする。ボクはもうあるくのがイヤになっていた。町のちかくでは、人間以外のいきものの気配はしない。だからボクは、草の上でまるくなった。
いいかおり。とおもったときに足音がした。
えっ? そうおもって顔をあげたら、...人間。ちいさなおんなのこだった。あかるいいろの髪、くるんとした目、やさしいニコニコの顔。
二ばんめの声がした。もうすこし色のこい髪の、おだやかな顔のおんなのひとが、あたりをみまわしてた。
ちいさなおんなのこが、ボクの顔をのぞきこんだ。にげた方がいいのかな、でも...このこには、まえにボクをねらった気配はしない。それに、もう動きたくなかった。
あまいにおい。ボクの顔のまえにぽんっと、あかいつやつやした実がおかれた。...こんなすてきな実、はじめて見た。
...あのこは、いまどこにいるんだろう。ボクのだいすきな仲間は、あのこに似てる。あのこと違って、よく怒ってるけど...
3. にんげん |
ボクはしばらく、そのちかくの木にねぐらをきめていた。やさしいおんなのこが、ときどきボクに木の実や、いろいろなたべものをくれるようになったから。
おんなのこは、ボクにそうよび名をつけたらしい。でもどうきかれても、こたえられない。ボクも、じぶんがだれで、どこから来たのかなんて、しらなかった。
ボクがいつものようにリンゴをたべたあと、おんなのこはボクにそういって、ニコニコと手をふってから、町にかえっていった。おさげにした髪が、日の光にゆれていた。
その日の夕方。
ねぐらにもどろうとあるいていたら、足音がした。おんなのこのとはちがう。おねえさんのとも。ボクは思わずたちどまった。
木のむこう、夕やけの中に、人間の影がみえた。そして、その足元に、みたことのないいきもの。
小さないきものが、ボクにむかってまっすぐはしってきた。ボクをねらっている。にげられない。ボクはそいつとたたかった...つもり、だった。
ご主人にきたえられてたそいつと、ボクでは勝負にならない。ボクはすぐにボロボロになっていた。
人間の声。ボクにむかってなにかが飛んでくる。ボクのからだはふわっとうきあがって、その中に、とじこめられた。
林が、みえなくなった。でもそこは、せまいこともわすれられるほど気持ちのいいところだった。ボクはいつのまにか、ねむってしまった...
人間の声がして、ボクは地面のうえにたっていた。目のまえに、人間がいる。...ボクにいきものをけしかけた、あの人間だった。
人間は、すこしあのこに似た笑顔をうかべて、ボクにそういった。どういうことなのかよくわからない。ボクはなにもいわずに人間をみかえした。
ボクのそんな気持ちにおかまいなく、人間が赤と白のまるいもの(たしかあのこが似たような形のを「ボール」とよんでいた)を見せていった。
いごこちのいいところ。...でも、はっきりした。ボクは、これにつかまったんだ。
人間につかまえられるとどうなるのか、ボクにはまだわかっていなかった。つかまったボクらは、人間といっしょに旅にでるしかない。そのことをしったのは、つぎに外にでたときだった。
あのこには、もうあえないんだってことも。
4. はじめてのなかま |
ボクはとじこめられたボールの中で、しばらく泣きつづけた。あのこは「またくるね」っていった。ボクがいなかったら、どんなにがっかりするだろう。
ぼくのことばは、あの人間... 「ご主人」にはとどかなかった。そのかわり、ボールの中でも、がんばっていると外の気配がすこしだけかんじられることを、ボクはしった。
ボクとおなじように「ご主人」につかまった仲間が、ほかにもなんびきかいた。かれらはボクがふさぎこんでるのをしんぱいしていた。
やっぱりこんな月のあかるい夜。仲間たちはボクに、旅のあいだにあったいろいろなことをはなしてくれた。見たこともないけしき、あったことのないいきものたちのこと。ご主人は、なにかなりたいものがあって、ボクらのようないきものを仲間にしながら旅をしているのだそうだ。
そしてボクは、じぶんが人間にこうして飼われることのあるいきものだということ、でも、この「ご主人」はそんなにわるい人じゃないことをおしえられた。
ボクの問いに、だれかがこたえる。
仲間たちには、ボクのようにかえりたい所はなかったらしい。そのはなしはそこでおしまいになった。
気のいいみどりのやつが、ニコニコわらいながらボクをなぐさめるように話した。
まえに別のご主人に飼われていたことのある仲間がかなしそうにつぶやいた。みんながしずまりかえった。その仲間がどんな思い出をもってたのか...たぶん二度とあうことのない彼には、もうきくことはできない。
5. わかれ |
ご主人は、ときどきボクを外にだして、仲間と練習をさせた。そしてボクは、じぶんの力をぶつけて、あいてをしびれさせることをおぼえた。
やさしい声が、耳にのこっている。...気弱な笑顔といっしょに。それが、さいごの記憶。
その日、ボクはいつものようにねむっていた。そのねむりをさましたのは、仲間の悲鳴だった。
ボクはボールの中で耳をすました。よわよわしい声が、きこえてきた。
ぜいぜいと、くるしい息がつづく。それがだんだんちいさくなっていく。
べつの人間の声が、どこかとおくからきこえる。なにかがおきたんだ。ボクはおそろしくなって耳をふさいだ。
どれだけの時間が、すぎたんだろう。
おんなのひとの声がした。そとにでたボクがみたのは、まえにもあったことのある、お医者さん。でも、この人は、涙をいっぱいにためてボクをみていた。
どういうこと?
うそだ。ことばにならなかった。ボクはあたりをみまわした。いない。
お医者さんのひとみから、ポロポロと涙がこぼれおちた。
うそだ。そんなのうそだ。そしたら、ボクはどうすればいいんだよぉっ!!
ボクは力を爆発させた。お医者さんが悲鳴をあげる。さわぎにきづいた人間があつまってきて、ボクはとじこめられてしまった...
6. そして、旅ははじまる |
ボクは、人間がきらいになった。
なんにんもの人間が、ボクを外にだしては、じぶんがボクのご主人になったといった。ボクのきもちを、きいてもくれないくせに。
人間なんて、ボクの力でもひっくりかえっちゃうのに、ボクのことを「弱い」という。なんて自分勝手でいやないきものなんだろう。
ポクは人間だけでなく、ポクをとじこめるこのボールもきらいになっていた。
だけどこのボールは、うんとがんばると外にでることができるものだった。
ポクはにげだそうとした。ボールからでると人間がいる。力をぶつけてやった。できればそのまま戻りたくなかったんだけど、やっぱりとじこめられちゃうことのくりかえし。なんべんか、けっこう痛いめにもあった。
ずっと、ポクは外の気配をうかがっていた。
あたりにだれもいなければ、こんどこそ、あの林に帰れるかもしれない。
お医者さんがだれかに話をしてる。
ポクのはいったボールが、もちあげられる。どこかにいくんだ。...どこでもいいや、外にでられたら、あばれてやればいい。
人間のことば。おもしろい声だ。
そこは、みたことのないおおきな機械がいっぱいの、あまりひろくない部屋だった。そして、かわった服の、おとこのひと。ポクは力をたたきつけてやった。
頭をふりながら、おとこのひとはおきあがった。ついでにポリポリやってる。ぜったいおこるとおもったんだけど、おこってる気配はかんじられなかった。
おとこのひとは、ぼくをじーっとみたままだまってしまった。むこうがみているので、ぼくもみかえした。なんだか、とてもかなしそうだった。
ふっとけはいが変わった、と思ったらボールがみえた。
しまった。ゆだんしたポクは、きづいたら元のようにとじこめられていた。外から、ひとりごとが聞こえてくる。
いったい何いってるんだろう。...あのこか、ご主人さまを、ここにつれてきてくれるの?。ポクはふてくされて、ねむってしまった。
それからだいぶたったある朝。
ボクはとつぜん、外に出された。ポクのめのまえに、寝おきでボサボサ頭の人間。まだ子供だ。おおきな瞳で、ポクをじーっとみつめている。だれだろう、こいつ?
いきなりポクをだきあげて、その子供はすごくうれしそうにそういった。
...月のあかるい夜にはときどき、昔のことをおもいだしてつらくなる。
でも、ポクはだいすきなやさしい友達と、これからもいっしょに旅をする。なくしたものはもどらないけど、いまあるものは、もうぜったいになくさないんだ。
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