中村 剛也(なかむら たけや)

 大阪桐蔭高から01年ドラフト2巡目で西武ライオンズに入団。高校通算83本塁打と長打力が魅力で、「浪速のカブレラ」と呼ばれていた。1年目はファームで77試合に出場、7本塁打を含む39安打で打率.215。2年目の03年は22本塁打でイースタン本塁打王となり、打点もリーグ2位の58打点。打率も.249と前年からは数字を伸ばし、終盤は一軍デビューも果たし初打席初安打を記録。
 04年もイースタン20本塁打(3位)と着実に力を付け、7月の近鉄戦で待望の一軍初本塁打を記録。そして4年目の05年はこの年から始まった交流戦で大ブレイク。交流戦35試合でトップタイの12本塁打、3位の31打点をマーク。この年は237打数で22本塁打という量産で、将来の本塁打王候補と期待は高まった。

 06年は自己最多の100試合で前年を上回る78安打、打率.276をマークしたが本塁打は9本と激減。07年は7本塁打とさらに減り、打率も.230と壁にぶち当たった。しかし08年は渡辺新監督のもと、ノーリミット打線と呼ばれたチームの中軸として46本塁打を放ち初の本塁打王獲得。自己最多の128安打で初の規定打席到達も果たした。09年も16試合に欠場しながら自己記録を更新する48本塁打・122打点で二冠王と球界を代表するスラッガーに成長。低打率が課題だったが、この年は打率でも自己ベストの.285で前年に続き三塁のベストナインに選ばれた。

 10年は開幕前に自打球が顔に当たるなど不運な怪我もあり打撃低調。その後も右ひじ手術のため2カ月以上戦列離脱したこともあり、25本塁打・57打点と前年からは半減の数字に終わった。11年はこの年から導入された低反発の統一球の影響でリーグの本塁打が4割減となる状況の中、例年と変わらぬペースで本塁打を量産した。その結果、2位に史上最多となる23本差の48本塁打で3度目の本塁打王、そして116打点で2度目の打点王に輝いた。リーグ合計454本塁打の10パーセント以上を一人で打った事になり、まさに破格の長打力を見せつけた。
 12年は開幕から31試合で1本塁打と出遅れたが、交流戦で12本塁打と爆発し一気にホームランダービートップに立った。しかし6月14日の試合で守備中に左肩を痛め、約1ヶ月の戦線離脱。最終的に27本塁打で4度目の本塁打王となったが、安打・得点・本塁打・打点・打率など規定打席到達シーズンではワーストの記録が並んだ。

 12年オフに左膝を手術したため、13年シーズンは開幕からリハビリに専念。8月に二軍戦で実戦復帰し、9月6日に待望の一軍登録で復帰3試合目で本塁打。その後も最後の5試合で決勝本塁打2本を放ち、チームの2位浮上に貢献した。14年は左脇腹痛で、開幕24試合目の4月25日に初出場と出遅れた。それでも長打力は健在で最大11本差を追い付き5度目の本塁打王となった。90打点もリーグ2位と上々で、5度目のベストナインに選ばれた。
 15年は大きな怪我なくシーズンを乗り切り、自己最多の145安打に打率.278も09年に次ぐ自己2番目の数字となった。7月には歴代8位の1158試合目で300号を達成するなど、8本塁打・26打点を記録して初の月間MVPに輝いた。そしてシーズン37本塁打・124打点は3度目の二冠王で、本塁打王は歴代単独3位の6度目の獲得となった。

 16年は6月中旬と7月末に2度にわたり怪我で登録抹消となり、3年ぶりの規定打席不足。108試合で92安打の打率.238で、リーグ9位の21本塁打に留まった。
 17年は5月2日まで打率3割台と出足は良かったが、6月末には.225まで落ち込み、以後不調から抜け出せなかった。27本塁打は放ったが、規定打席以上では初めて本塁打王を逃し、打率.217も自己ワーストと苦しいシーズン。
 18年は開幕から打撃不振で、4月21日まで16試合で打率.158、本塁打ゼロ。6月に復帰したものの、6月末での打率はとうとう.125まで落ち込んだ。しかし7月8本塁打、8月12本塁打と猛烈な巻き返し。打率も.265まで回復させ、28本塁打・74打点と前年並みの数字を残した。

 19年も5月末で打率.226と序盤は低調だったが、6月以降打撃が上向き最終的に自己最高の打率.286を残した。4年ぶりに30本・100打点をクリアし、123打点で4度目の打点王となった。また、満塁ホームランを4本放ち、史上初となる通算20本に到達した。
 2020年は怪我もあって79試合で55安打止まり。ホームランも7年ぶり一桁の9本と不本意な成績に終わった。21年は規定打席をクリアして打率.284で20年目にして初の打撃ベストテン入り。半面18本塁打・74打点は規定打席以上の9シーズンではどちらも最少と、完全復活と呼ぶには若干の物足りなさもあった。
 2022年はシーズンを通して不調が続き、打率.196と低迷。23年はスタートダッシュに成功し、打率.364に7本塁打で3・4月度の月間MVPを受賞。その後は体調不良等もあり88試合で73安打にとどまったが、打率.258で17本塁打と前年の大不振からは巻き返しを見せた。

 10年に満塁本塁打3本、15年に4本、19年に4本。10年6月4日のヤクルト戦で代打満塁本塁打。通算満塁本塁打22本は日本記録。18年8月4日の対日本ハム戦から10日の対楽天戦まで6試合連続本塁打のパ・リーグタイ記録。通算2066三振は日本記録。

 本塁打王6回(08、09、11、12、14、15)、打点王4回(09、11、15、19)。ベストナイン7度(08、09、11、12、14、15、19)受賞。月間MVP3回(15年7月、18年8月、23年3・4月)。オールスター出場7度(08、09、11、12、14、15、21)。プレミア12出場1度(15)。1983年8月15日生まれ。右投げ右打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
02 西武 一軍出場なし                        
03 西武 4 12 0 2 1 0 0 3 2 1 0 0 2 6 .167
04 西武 28 33 8 9 1 0 2 16 5 0 0 0 4 10 .273
05 西武 80 237 40 62 13 1 22 143 57 0 0 1 21 62 .262
06 西武 100 283 47 78 16 0 9 121 29 4 3 0 37 78 .276
07 西武 98 226 29 52 16 0 7 89 32 2 11 1 29 71 .230
08 西武 143 524 90 128 24 4 46 298 101 2 3 3 60 162 .244(27位)
09 西武 128 501 91 143 37 1 48 326 122 3 0 2 59 154 .285(14位)
10 西武 85 304 50 71 14 2 25 164 57 1 0 3 47 111 .234
11 西武 144 525 97 141 30 0 48 315 116 4 0 6 91 134 .269(13位)
12 西武 123 432 54 100 16 1 27 199 79 2 0 1 65 125 .235(29位)
13 西武 26 96 8 20 2 0 4 34 15 0 0 2 16 38 .208
14 西武 111 382 68 98 19 1 34 221 90 0 0 3 81 124 .257(25位)
15 西武 139 521 82 145 35 0 37 291 124 1 0 3 75 172 .278(12位)
16 西武 108 387 45 92 14 2 21 173 61 2 0 2 43 125 .238
17 西武 115 415 69 90 14 0 27 185 79 1 0 6 65 118 .217(26位)
18 西武 97 355 53 94 14 1 28 194 74 1 0 2 35 112 .265
19 西武 135 496 69 142 30 0 30 262 123 2 0 3 58 123 .286(11位)
20 西武 79 258 32 55 14 0 9 96 31 0 0 2 37 75 .213
21 西武 123 430 50 122 13 0 18 189 74 0 0 4 41 114 .284(7位)
22 西武 88 276 24 54 8 0 12 98 31 0 0 1 17 76 .196
23 西武 88 283 34 73 12 0 17 136 40 1 0 3 36 76 .258
                                 
22年 2042 6976 1040 1771 343 13 471 3553 1342 27 17 48 919 2066 .254