中島 宏之(なかじま ひろゆき) ※裕之から改名

 兵庫・伊丹北高から00年ドラフト5位で西武ライオンズに入団。1年目はファーム暮らしでヒットも2本と体力作り優先だったが、2年目はそれが実ってイースタン全試合出場で打率.299(2位)に11本塁打と長足の進歩を見せた。ファーム全日程終了後に一軍昇格を果たし、10月6日の日本ハム戦で初打席初安打を記録した。
 翌03年はイースタンで打率.306(8位)に13本塁打と前年を上回る成績を残し、8月以降は完全に一軍定着。44試合で4本塁打を含む22安打を放ち、メジャー移籍が確実された松井稼の後継者としての期待が高まった。

 04年はその松井の後を受けてショートの定位置を確保。初のレギュラーシーズンにいきなり27本塁打と長打力を発揮。しかし05年は5月にほお骨の骨折で戦列を離脱、全ての成績で前年を下回った。06年も7月末に死球で左手を骨折し1ヵ月半も戦列を離れたが、それでも自己最高の打率.306をマークした。
 07年は惜しくも全試合出場は逃したが、自己最多の160安打を放ち、2年連続の3割打者となった。08年も猛威を振るったノーリミット打線の中軸として自己最高の打率.331をマーク、両リーグで唯一「3割・20本・20盗塁」をクリアした。

 09年は開幕前の第2回WBCに出場。7試合で打率.364と活躍し、チームの連覇に貢献。シーズンでは5年ぶりの全試合出場で173安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得。史上6人目となる2年連続の3割・20本・20盗塁を達成。両リーグで唯一100得点をマークするなどチームの中軸としての活躍が光った。10年は4月に脇腹痛で2週間ほど戦列を離れたが、4年連続150安打と3年連続20本塁打を達成。日本人の右打者としては史上2人目となる5年連続3割も達成し、安定した活躍を見せた。
 11年は連続3割こそストップしたが2年ぶり3度目の全試合出場で168安打を放ち、自己最多の100打点を記録。また、史上初となる2年連続二桁犠飛の快挙も達成した。オフにポスティングシステムによりMLB移籍を目指したが、交渉不成立に終わり2012年も西武でプレーする事となった。

 12年はリーグ2位の155安打を放ち、首位打者は1厘差で逃したが2年ぶり6度目の3割打者となった。オフに海外FA権を行使して、MLBのオークランド・アスレチックスと2年契約を結んだ。13年はオープン戦で結果を残せず3Aで1年を過ごし、90試合で4本塁打に打率.283。翌14年も3Aで12試合に打率.128と不振で2Aに降格。2Aでも73試合で6本塁打の打率.266と目立った成績は残せず、終盤戦で左手首を骨折しメジャーの舞台を踏む事なく、2シーズンを終えた。この年オフに日本復帰を決意し、オリックスバファローズに3年契約で入団した。

 開幕戦から4番に起用された15年だったが4月下旬に右足肉離れ、5月下旬にはぎっくり腰と二度の登録抹消があり26試合を欠場。6月9日の復帰後は閉幕まで出場を続けたが、残った数字は打率.240・10本塁打・46打点と期待からは程遠いものだった。
 結果を残したい2016年も開幕から数試合は好調だったが、右足を痛めた事もあり打撃不振に陥った。6月下旬には打率.235まで落ち込み、約1ヵ月のファーム落ち。7月末に一軍復帰すると8月に月間.330、9月も.310と復調を見せ最終的に打率.290まで追い上げた。とは言え前後3度の抹消期間が響き、NPBでは13年ぶりの規定打席不足。

 2017年は日本復帰後最多の124試合で123安打を放ち、打率.285で5年ぶり8度目の打撃ベストテン入りを果たした。反面、9本塁打・49打点は過去2シーズンと横ばいで物足りなさも残った。18年は5月まで打率.158と不振だったが、6月から打撃が上向きとなり最終的に.289と例年並みの打率を残した。6月末の試合で左足肉離れを発症、7月を全休するなど欠場が多く、またシーズン序盤は先発機会が少なかった事もあり77試合・65安打・5本塁打・34打点など2004年以降では最少の成績となった。このオフ、オリックスとの契約がまとまらず、自由契約となり巨人に移籍した。

 2019年は苦しいシーズンとなった。開幕一軍入りは果たしたが、5月末で41打数7安打の打率.171で登録抹消。6月19日に一軍復帰したが、復帰後も13打数1安打と結果を出せず7月26日に二度目の抹消。そのままシーズンを終えた。
 20年は通算200本塁打を達成するなど、83安打と盛り返した。打率も.297と規定打席不足ながら日本復帰後の最高打率を記録した。21年も開幕8試合で16打数5安打の打率.313と好スタートを切ったが、コロナ禍で4月4日から19日間の登録抹消とつまづいた。復帰後は時にベンチスタートが続きながらも、五輪中断後は調子を上げ8月13日の中断再開から9月11日まで38打数16安打の打率.421と打ちまくった。しかし、21年シーズンではここがピークで、9月12日以後は46打数7安打の打率.152と苦戦した。年間では打率.271・6本塁打・26打点と、打席数が減る中で健闘と言えるシーズンだった。

 22年は代打の切り札としての起用が主体となる中で、4月には先制満塁ホームラン、5月には逆転サヨナラ打と印象的な活躍を見せた。打席数の大幅減で、年間24安打と安打数は前年から半減。23年は春季キャンプ中の紅白戦で死球を受け右手の指を骨折。開幕メンバーから外れる事となったが、復帰後もなかなか一軍登録されず昇格は7月8日までずれ込んだ。7月17日のヤクルト戦で猛打賞を記録するなど存在感を見せたが、8試合の出場で7月27日に登録抹消されると閉幕まで一軍に戻ることはなくシーズン5安打に留まった。オフに自由契約となり中日ドラゴンズに移籍した。

 最多安打1回(09)。最高出塁率2回(08、09)。ベストナイン4度(08、09、11、12)、ゴールデングラブ3度(08、11、12)受賞。オールスター出場8度(04、06〜12)。WBC出場1度(09)、五輪出場1度(08)。1982年7月31日生まれ。右投げ右打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
01 西武 一軍出場なし                        
02 西武 4 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 .143
03 西武 44 89 12 23 3 1 4 40 11 1 0 0 9 22 .258
04 西武 133 502 70 144 22 3 27 253 90 18 3 4 50 108 .287(19位)
05 西武 118 405 56 111 21 2 11 169 60 11 3 3 33 67 .274(19位)
06 西武 105 412 76 126 22 1 16 198 63 14 0 4 43 66 .306(8位)
07 西武 143 533 68 160 28 5 12 234 74 9 1 5 54 134 .300(5位)
08 西武 124 486 75 161 32 0 21 256 81 25 0 3 67 96 .331(2位)
09 西武 144 560 100 173 31 3 22 276 92 20 0 3 85 113 .309(6位)
10 西武 130 503 80 158 33 3 20 257 93 15 0 11 65 97 .314(9位)
11 西武 144 566 82 168 27 1 16 245 100 21 0 11 56 93 .297(6位)
12 西武 136 499 69 155 29 1 13 225 74 7 1 6 61 76 .311(2位)
15 オリックス 117 417 43 100 19 0 10 149 46 1 0 1 65 93 .240(24位)
16 オリックス 96 314 24 91 23 0 8 138 47 1 0 4 29 54 .290
17 オリックス 124 431 36 123 19 0 9 169 49 0 0 5 53 93 .285(7位)
18 オリックス 77 225 13 65 7 0 5 87 34 0 1 1 24 38 .289
19 巨人 43 54 5 8 4 0 1 15 5 1 0 1 10 21 .148
20 巨人 100 279 19 83 13 0 7 117 29 0 0 1 32 59 .297
21 巨人 81 181 11 49 10 0 6 77 26 0 1 1 12 35 .271
22 巨人 62 99 5 24 6 0 1 33 20 0 0 1 11 24 .242
23 巨人 8 18 1 5 0 0 0 5 0 0 0 0 1 5 .278
                                 
21年 1933 6580 845 1928 349 20 209 2944 994 144 10 65 760 1296 .293