村上 宗隆(むらかみ むねたか)
熊本・九州学院高から17年ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズにに入団。高校時代は1年夏に甲子園に出場し、通算52本塁打でスラッガーとして注目された。入団1年目からファームで実力を見せ18本塁打(2位)、70打点(2位)、打率.288(3位)と3部門全てでベスト3入り。終盤に一軍昇格し、9月16日の広島戦に「6番・サード」で初出場すると、初打席本塁打の衝撃デビューを飾った。
翌19年は早くも一軍定着し全試合に出場。共にリーグ3位となる36本塁打・96打点で新人王に輝く。打率.231に184三振と粗さも目立ったが、それを補って余りある活躍だった。
20年は打率.307と早くも3割打者に成長。一塁手としてベストナインに選出され、28本塁打・86打点は共にリーグ2位で、更にタイトルに近づいた。21年は3年連続の全試合出場で本塁打王のタイトルを獲得。チームの日本一に貢献し、MVPに選ばれた。この年は東京五輪にも出場し、決勝では先制ホームランを放ち金メダル獲得に貢献した。
22年は歴史的なシーズンとなった。史上初の5打席連続を含む歴代2位の56本塁打。さらに134打点、打率.318で18年ぶりの三冠王に輝いた。本塁打は2位に26本差、打点は47点差を付ける圧倒的な成績での三冠王だった。3年連続ベストナインに2年連続MVPと、球界を代表するバッターに成長した。
23年は開幕前のWBCに出場。打撃不振が続いたが、準決勝で逆転サヨナラツーベース、決勝では同点本塁打と終盤戦での活躍が光った。シーズンでも開幕から不振で、4月末の打率が.157。8月中旬には2割6分台まで戻したが、その後は一進一退で前年を大きく下回る打率.256でシーズンを終えた。31本塁打(2位)、84打点(4位)とリーグ上位の数字は残したものの、前年の三冠王には物足りない成績となった。
18年9月16日の対広島戦で、史上64人目の初打席本塁打。22年に史上8人目(12度目)の三冠王。22年7月31日の対阪神戦から8月2日の対中日戦まで、5打席連続本塁打の日本記録。22年8月26日から28日の対DeNA戦まで9打数連続安打と14打席連続出塁。22年6月に月間14本塁打。
MVP2回(21、22)、新人王(19)、首位打者1回(22)、本塁打王2回(21、22)、打点王1回(22)、最高出塁率2回(20、22)。ベストナイン3度(20〜22)受賞。月間MVP4回(20年6・7月、22年6月、7月、8月)。オールスター出場3度(19、21、22)。WBC出場1度(23)、五輪出場1度(21)。2000年2月2日生まれ。右投げ左打ち。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
18 | ヤクルト | 6 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | .083 |
19 | ヤクルト | 143 | 511 | 76 | 118 | 20 | 0 | 36 | 246 | 96 | 5 | 0 | 3 | 79 | 184 | .231(30位) |
20 | ヤクルト | 120 | 424 | 70 | 130 | 30 | 2 | 28 | 248 | 86 | 11 | 0 | 1 | 90 | 115 | .307(5位) |
21 | ヤクルト | 143 | 500 | 82 | 139 | 27 | 0 | 39 | 283 | 112 | 12 | 0 | 3 | 112 | 133 | .278(14位) |
22 | ヤクルト | 141 | 487 | 114 | 155 | 21 | 1 | 56 | 346 | 134 | 12 | 0 | 0 | 125 | 128 | .318(1位) |
23 | ヤクルト | 140 | 496 | 76 | 127 | 28 | 0 | 31 | 248 | 84 | 5 | 0 | 4 | 97 | 168 | .256(20位) |
計 | 6年 | 693 | 2430 | 419 | 670 | 126 | 3 | 191 | 1375 | 514 | 45 | 0 | 11 | 505 | 733 | .276 |