源田 壮亮(げんだ そうすけ)
大分商高から愛知学院大、トヨタ自動車を経て16年ドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団。1年目からショートのレギュラーの座を確保して、当時パ・リーグの新人では歴代2位となる155安打に同3位となる37盗塁を記録。258票中252票を集めて新人王に選出された。
翌18年も165安打で打率.278に34盗塁と引き続き安定した成績で、ベストナイン・ゴールデングラブをダブル受賞した。初選出されたオールスターの第2戦では先制二塁打を放ち、MVPに選ばれた。
19年は全試合出場は途切れたが、3年連続30盗塁に打率も引き続き2割7分台をキープ。2年連続でベストナイン・ゴールデングラブに選ばれ、チームのリーグ2連覇に貢献した。シーズン後のプレミア12のメンバーにも選ばれ、台湾戦で2点タイムリー三塁打を放った。
20年は2年ぶりに全試合出場し、4年連続で打率2割7分台と安定の数字を残した。また、2年連続でリーグ最多犠打を記録してつなぎ役としての働きを果たした。
21年は東京五輪メンバーに選出され、少ない出場機会ながら優勝に貢献。シーズンでは打率.272と、引き続き安定の2割7分台をキープ。また、24盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。
22年は5月に自打球による骨挫傷、7月にはコロナによる再度の抹消期間があり35試合を欠場。それでも規定打席には到達したが、安定の2割7分台を初めて割る打率.266に留まった。得意の三塁打は8本を積み上げたが、安打・得点・盗塁など各部門で欠場が響いて自己ワーストの数字に終わった。
23年は開幕前のWBCに出場。韓国戦で右手小指を骨折するアクシデントに見舞われたが、準々決勝から復帰してチームの優勝に貢献した。シーズンでの一軍出場は5月下旬までずれ込み、規定打席に8打席届かなかった。プロ入り初めてシーズン本塁打ゼロ、打率.257もワーストとWBC強行出場の代償は感じられたが7年連続100安打は達成し、ゴールデングラブ受賞も6年連続に伸ばした。
18年4月28日の対西武戦から30日の対西武戦まで3試合連続三塁打のパ・リーグタイ記録。17年3月31日の対日本ハム戦から19年4月13日の対オリックス戦まで、新人開幕戦から299試合連続全イニング出場の日本記録。
新人王(17)、盗塁王1回(21)。ベストナイン4度(18〜21)、ゴールデングラブ6度(18〜23)受賞。オールスター出場5度(17〜19、21、23)、18年第2戦でMVP受賞。WBC出場1度(23)プレミア12出場1度(19)、五輪出場1度(21)。1993年2月16日生まれ。右投げ左打ち。
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) | ||
17 | 西武 | 143 | 575 | 85 | 155 | 18 | 10 | 3 | 202 | 57 | 37 | 26 | 4 | 42 | 100 | .270(13位) |
18 | 西武 | 143 | 594 | 92 | 165 | 27 | 9 | 4 | 222 | 57 | 34 | 14 | 6 | 52 | 101 | .278(13位) |
19 | 西武 | 135 | 540 | 90 | 148 | 23 | 6 | 2 | 189 | 41 | 30 | 25 | 3 | 41 | 67 | .274(13位) |
20 | 西武 | 120 | 455 | 67 | 123 | 14 | 5 | 1 | 150 | 21 | 18 | 22 | 2 | 39 | 80 | .270(14位) |
21 | 西武 | 119 | 464 | 60 | 126 | 15 | 7 | 2 | 161 | 29 | 24 | 17 | 2 | 33 | 67 | .272(14位) |
22 | 西武 | 108 | 414 | 39 | 110 | 8 | 8 | 2 | 140 | 17 | 12 | 11 | 0 | 31 | 72 | .266(12位) |
23 | 西武 | 100 | 397 | 30 | 102 | 9 | 4 | 0 | 119 | 22 | 5 | 8 | 1 | 29 | 82 | .257 |
計 | 7年 | 868 | 3439 | 463 | 929 | 114 | 49 | 14 | 1183 | 244 | 160 | 123 | 18 | 266 | 569 | .270 |