青木 宣親(あおき のりちか)

 宮崎・日向高から早稲田大を経て03年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。大学時代は3年秋に打率.436で首位打者を獲得。ベストナインに3年春から3季連続で選ばれ、大学通算成績は55試合で187打数63安打、打率.337。3年春の東京大戦では1試合6得点のリーグ新記録も達成した。

 入団1年目の04年は一軍では3安打に終わったが、イースタンでは.372の高打率で独走の首位打者。リーグ2位の21盗塁もマークし、またフレッシュ・オールスターでも5打数4安打2打点2盗塁の活躍でMVPを獲得。その後の飛躍を予感させる好成績を残した。
 翌05年は稲葉の移籍で空いた外野の一角を確保。セ・リーグ新記録となる202安打をマークすると共に打率も.350で今度は一軍の首位打者に輝いた。この活躍で新人王・ベストナインに選ばれ、一躍トッププレーヤーの座を掴んだ。

 06年は打率こそ若干下がったものの、2年連続最多安打に盗塁王と前年の活躍が実力通りである事を証明した。07年には長打力にも磨きがかかり、自己最多の20本塁打。盗塁は17と半減したものの、打率も自己最高の.346で2度目の首位打者を獲得。
 08年は5月に右脇腹を痛め、初の長期欠場があったが前年を上回る打率.347と好調を維持。自己最多の64打点に盗塁も31個と06年に次ぐ数字をマークした。8月の北京五輪でも9試合で1本塁打を含む34打数10安打の打率.294でチームトップタイの7打点を挙げ、中心打者として活躍した。

 09年は開幕前の第2回WBCに選ばれ、9試合で37打数12安打の打率.324。チームトップタイの7打点と活躍し連覇に貢献。大会ベストナインにも選ばれた。シーズンでは出足から不調で7月末で打率.252と低迷。しかし8月は.351、9月も.390と猛烈な巻き返しを見せ、一時は絶望視された5年連続3割を見事に達成した。
 10年は5月に月間打率.218だった以外は安定した成績で、3割5分前後で続いたハイレベルな首位打者争いを制し.358で3度目の首位打者を獲得した。また209安打は歴代3位(年間200安打2度は史上初)、球団記録を更新する44二塁打と巧打者ぶりを遺憾なく発揮した。
 11年は6月まで打率.327と統一球を克服したように感じられたが、7月が月間.263で8月も.225と夏場に数字を落とした。結局リーグ2位の170安打を放ちながら打率.292で、連続3割は6シーズンでストップした。この年オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグのミルウォーキー・ブリュワーズに移籍した。

 メジャー1年目の12年は控えからのスタート。出場2試合目となった4月8日のカージナルス戦に代打で初安打を記録。4月はチーム23試合で7安打と少ない出場機会ながら打率.304と結果を残した。5月になると先発出場が増え、22安打で打率.301とスタメン定着を果たした。6月7日のカブス戦ではサヨナラを含む2本塁打と長打力も発揮。オールスターまで打率3割を維持したが、最終的には.288に終わった。それでも150安打・10本塁打・50打点・30盗塁と、それぞれ区切りのいい数字を残した。
 13年は開幕からスタメン出場。4月末では打率.250とスロースタートだったが、5月10日からの10試合で3安打以上5回と調子を上げ、打率も.333まで引き上げた。その後は6月が.253、8月も.261と低調な月があり打率は伸び悩んだ。最終的に171安打は前年を上回ったが、打率・打点・本塁打・盗塁など各部門で前年を下回った。このシーズン終了後にカンザスシティ・ロイヤルズへトレードで移籍した。

 14年は開幕から波に乗れず、5月末の打率.264が9月14日時点でも.266と上昇気配が感じられない日々が続いた。しかし9月15日からの3連戦で13打数11安打と爆発的に打ち打率を2割8分台へ一気に引き上げた。実に5月25日以来の2割8分台がシーズンの苦闘を物語っていた。最終的に打率.285は例年並みだったが、左足を痛めて6月下旬からの故障者リスト入りもあり、試合・安打・盗塁・得点・本塁打などで渡米後3年間でのワースト記録に終わった。終盤の復調はワールドチャンピオンは逃したものの、チームの29年ぶりワールドシリーズ出場に貢献する事となった。

 15年はサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。4月末で打率.303とまずは好調なスタートを切り、5月半ばには2割7分台に数字を落としたがすぐ復調して、6月19日時点では.317をマーク。しかし6月20日の試合で右足に死球を受け骨折、7月27日の復帰まで28試合に欠場した。復帰後約2週間後の8月9日に、今度は頭部に死球を受け、その後遺症に苦しんだ。翌日以後も欠場を挟みながら14試合に出場したが52打数10安打の打率.192と低迷。結局9月3日の出場を最後に出場を見合わせる事となった。例年並みの打率.287は残したが、93試合で102安打は渡米後では最少の数字。それでも日米通算2000本安打にあと153本として達成射程圏とし、2016年はシアトル・マリナーズに移籍する事となった。

 16年は4月に打率.205と出足でつまづき、6月下旬から約1ヵ月のマイナー降格。降格前は67試合で打率.245だったのが、7月20日のメジャー復帰後は8月26日まで31試合に打率.316と調子を上げた。この間、6月までにはなかった1試合3安打を5度も記録して復調ぶりは明らかだった。にもかかわらずチーム事情で8月27日に2度目のマイナー降格。9月6日にメジャー復帰すると、閉幕まで20試合に出て打率.371とさらに打ちまくり、8月まで1本の本塁打も9月だけで3本と悔しさをぶつける活躍を見せた。結局7月以降は打率.338と追い上げて、シーズン打率は.283と5年連続2割8分台で終えた。この年オフにヒューストン・アストロズに移籍した。

 17年ロイヤルズでは4月末で打率.300と好スタートを切ったが、5月に月間.212と落ち込み通算でも打率.259と苦戦。それでも6月11日のエンゼルス戦で日米通算2000本安打を達成し、7月下旬には2割8分台まで復調した。しかし7月末にトロント・ブルージェイズへトレード。12試合で3本塁打を含む打率.281を残したが、9月を前にメジャー40人枠から外れる実質戦力外通告。それを受けてシーズン3球団目となるニューヨック・メッツに移籍。閉幕まで27試合で29安打の打率.284と引き続き安定した数字を残した。2018年からは7年ぶりに日本球界に復帰、古巣のヤクルトでプレーする事となった。

 7年ぶりに日本復帰となった18年は5月末で打率.265と序盤こそ苦しんだが、6月からは打撃急上昇。6月に打率.388で自身4度目の月間MVPに輝くと、7月に.370、8月に.361と打ちまくり、最終的に打率.327でベストテン4位の好成績。リーグ最多の37二塁打に自己最多の67打点と打線を牽引した。通算4000打数に到達し、.329のハイアベレージで4000打数以上の打率1位に躍り出た。
 19年も5月末で打率.320と好調だったが、6月に月間.237と失速。最終的にNPBでは8年ぶりの3割未満となる打率.297で通算打率は3厘下がって.326となった。

 20年は113安打を放ち、2年ぶり8度目の3割打者となった。自己2番目の18本塁打と長打力も見せ、守備では9年ぶりにゴールデングラブに返り咲いた。この好成績を受けて、オフに新たに3年契約を結んだ。
 3年契約1年目の21年は打撃不振に陥った。5月末で打率.221と出足でつまずき、6月に月間.317と持ち直してシーズン打率も.262まで上昇させた。しかし、それ以後は一進一退が続き、最終的には.258とプロ1年目を除けば大幅に自己ワーストを下回る数字に終わった。それでも前年を上回る56打点で、要所に光る打撃を見せ、チームの20年ぶり日本一に貢献した。

 22年は55安打の打率.248と前年をさらに下回った。要所で活躍しチームの2連覇に貢献したものの、出場機会は減少し調子の上がらないシーズンとなった。23年は前半戦好調で、5月には3試合連続猛打賞を記録。6月までに42安打を放ったが、8月以降数字を落とし最終的には55安打の打率.253と、ほぼ前年並みの数字に留まった。

 05年7月30日の阪神戦から8月26日の横浜戦まで23試合連続安打。10年8月29日の阪神戦から10月2日の中日戦まで25試合連続安打。05年にセ・リーグ初の年間200安打。10年に史上初となる2度目の年間200安打。17年6月11日のエンゼルス戦で日米通算2000本安打達成。
 19年5月22日の阪神戦で、1156試合目で通算1500安打を達成する歴代1位のスピード記録。

 新人王(05)。首位打者3回(05、07、09)、最多安打2回(05、06)、盗塁王1回(06)、最高出塁率2回(07、09)。ベストナイン7度(05〜11)、ゴールデングラブ7度(06〜11、20)受賞。月間MVP4回(05年8月、07年4月、09年9月、18年6月)。オールスター出場8度(05〜11、18)、06年第1戦と09年第1戦でMVP受賞。WBC出場2度(06、09)、09年大会でベストナイン。五輪出場1度(08)。1982年1月5日生まれ。右投げ左打ち。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
04 ヤクルト 10 15 1 3 0 0 0 3 0 1 0 0 1 6 .200
05 ヤクルト 144 588 100 202 26 4 3 245 28 29 18 1 42 113 .344(1位)
06 ヤクルト 146 599 112 192 26 3 13 263 62 41 4 1 76 78 .321(3位)
07 ヤクルト 143 557 114 193 26 2 20 283 58 17 4 3 88 66 .346(1位)
08 ヤクルト 112 444 85 154 29 5 14 235 64 31 1 3 52 47 .347(2位)
09 ヤクルト 142 531 87 161 23 2 16 236 66 18 1 4 88 65 .303(6位)
10 ヤクルト 144 583 92 209 44 1 14 297 63 19 0 3 81 61 .358(1位)
11 ヤクルト 144 583 73 170 18 5 4 210 44 8 0 0 60 55 .292(7位)
18 ヤクルト 127 495 85 162 37 3 10 235 67 3 0 2 70 48 .327(4位)
19 ヤクルト 134 489 84 145 19 2 16 216 58 1 1 3 72 72 .297(7位)
20 ヤクルト 107 357 64 113 30 1 18 199 51 2 0 1 67 51 .317(3位)
21 ヤクルト 122 446 57 115 29 0 9 171 56 0 0 2 53 44 .258(26位)
22 ヤクルト 81 222 27 55 8 1 5 80 22 3 0 3 31 28 .248
23 ヤクルト 96 217 25 55 8 0 3 72 19 2 0 4 43 28 .253
                                 
日本14年 1652 6126 1006 1929 323 29 145 2745 658 175 29 30 824 762 .315
                                 
12 ブリュワーズ 151 520 81 150 37 4 10 225 50 30 7 5 56 55 .288(19位)
13 ブリュワーズ 155 597 80 171 20 3 8 221 37 20 8 3 66 40 .286(20位)
14 ロイヤルズ 132 491 63 140 22 6 1 177 43 17 8 1 49 49 .285(17位)
15 ジャイアンツ 93 355 42 102 12 3 5 135 26 14 1 0 36 25 .287
16 マリナーズ 118 417 63 118 24 4 4 162 28 7 5 1 43 45 .283
17 アストロズ 71 202 28 55 12 1 2 75 19 5 1 4 17 29 .272
ブルージェイズ 12 32 4 9 1 0 3 19 8 0 0 1 1 5 .281
メッツ 27 102 16 29 7 1 0 38 8 5 0 0 14 10 .284
MLB6年 759 2716 377 774 135 22 33 1052 219 98 30 15 282 258 .285
                                 
  日米計20年 2411 8842 1383 2703 458 51 178 3797 877 273 59 45 1106 1020 .306