ちょっとしたコラム      
               
03.9.13付


谷沢(中日)、大逆転の首位打者獲得

 1976年秋、張本勲(巨人)と若松勉(ヤクルト)の間で激しい首位打者争いが展開されていた。この年から巨人に移籍した張本はパ・リーグ時代に首位打者を7度獲得し、通算打率は歴代最高の.322をマークしていた打撃の職人であり、この年も5月から6月にかけて30試合連続安打を記録するなど大活躍を見せていた。移籍1年目にして史上2人目の両リーグ首位打者に向け、優勝と両手に花を目論んでいた。一方の若松は入団1年目に打席不足ながら.303をマークすると、2年目の72年には早速.329で首位打者を獲得し、在籍5シーズンで3割未満は.291に終った75年の1度だけと、こちらも負けず劣らずの巧打者ぶりを見せていた。

 そして、第3の男・谷沢健一(中日)がひっそりと3位に付けていた。早稲田大のスラッガーとして鳴らした谷沢は入団1年目に新人王こそ獲得したものの、前年までの6年間ではどうしても打率3割の壁を破る事が出来なかった。特に3年目の72年から前年の75年まで.290→.295→.290→.294と、何と4年連続で2割9分台である。この年の谷沢は自分を変えることにチャレンジしていた。背番号をそれまでの「14」から引っくり返した「41」に変え、守備位置も前年129試合を守った一塁から、マーチンと入れ替わって4年ぶりに外野に戻った。

 この年前半は王貞治(巨人)、末次利光(巨人)、ゲイル・ホプキンス(広島)が.360を超えるハイアベレージで首位打者争いを展開していた。厳しい外野戦争の中、末次が規定打席に不足しがちになり、ホプキンスも夏場に入るとじりじりと後退。そんな中、30試合連続安打で数字を上げた張本と、オールスター前の10日間で25打数13安打と打ちまくった若松が浮上してきた。オールスターを迎えた時点で1位張本.366、2位若松.359、3位王.357と並んで、谷沢も.343で4位に付けていた。

 8月に入ると王が腰痛からスランプに陥り、打率を3割2分台まで下げて脱落。張本・若松の争いをやや離れてホプキンスと谷沢が追う展開となった。9月13日には.356で若松に1分2厘の差を付けた張本も、再び若松の追い上げに遭い、そして谷沢も一時はホプキンス、掛布にも抜かれて5位に落ちたが巻き返して3位に上がり10月の陣を迎えたのだった。

    76年9月末の成績   75年までの通算成績
1 張本勲 461打数163安打 .3535   実働17年・7560打数2435安打 .322
2 若松勉 434打数153安打 .3525   実働5年・2007打数621安打 .309
3 谷沢健一 448打数151安打 .3370   実働6年・2705打数759安打 .281

 10月2日からヤクルトと巨人が直接対決の4連戦を迎えた。初戦で張本がノーヒットに終わり、若松が1厘差で首位に立つが、翌日これも1厘差で再び入れ替わると若松がその後首位に立つことはなかった。ヤクルト4連戦の2試合目以降と7日の大洋戦で張本は合計17打数10安打と打ちまくり、若松との差を一気に9厘に広げた。谷沢は2日の大洋戦で3安打したものの、10月9日時点では張本に1分9厘差と大きく離され、3位ながらタイトルは遠いものに思われた。

 10日の広島とのダブルで谷沢は計8打数5安打、打率を.344に上げた。谷沢は翌11日も3安打してついに若松を抜いて2位に上がった。これで10月に入って25打数13安打と5割を超えるハイアベレージだ。首位を行く張本は10日からの阪神4連戦も19打数6安打で、2厘下げて.356としたものの谷沢がこれを上回るには残り試合も5割ペースで打たなければ無理な状況だった。しかし、谷沢はこれを現実のものにする。

 15日のヤクルトとのダブルで2安打ずつ放ち.349。翌16日の阪神戦でも10月に入って4度目となる猛打賞でついに3割5分を突破。この日の最終戦で1厘ダウンの.355で全日程を終えた張本との差は3厘まで縮まった。もう誰も「首位打者は張本で決まり」とは思っていなかった。次の1試合で4打数3安打すれば逆転という状況で17日の広島とのダブルヘッダーに臨むが、流石に力が入ったのか2試合とも1安打止まり。しかし打率はほぼ現状維持で、チーム最終日程となる19日の広島とのダブルヘッダーを迎えた。ここまで492打数173安打で打率は.3516。逆転の条件は3打数3安打、4打数3安打、4打数4安打、5打数4安打、5打数5安打。

 第1試合の第1打席は右中間へのヒット、打率.3529。第2打席も一・二塁間を破るヒット、打率.3542。次もヒットならば.3555となり、張本の.3547を8毛上回る。しかし、意識しすぎたか3打席目は三振に倒れ.3535に後退した。そして迎えた4打席目、1-1からの3球目を叩くと打球は投手・高橋里志の足元を抜けてセンター前へ。4打数3安打、トータル496打数176安打の打率.3548。1毛差、さらに細かく見れば谷沢.35483、張本.35477であり、単位は毛の下の「糸」、わずか6糸の差であった。

 張本は1950年小鶴誠(松竹)の.3546をわずかに上回る「史上最高の打率2位打者」となった。張本の放った安打182本は彼自身の23年にわたるプロ生活での最多記録であり、また当時130試合制での年間最多安打新記録でもあった。

<1976年最終成績>
1 谷沢健一 496打数176安打 .3548
2 張本勲 513打数182安打 .3547
3 若松勉 485打数167安打 .344

 張本の数字は決して悪くなかった。10月だけを見ても打率.365をマークして9月末から3厘上げて全日程を終了した。谷沢にとってはプロ入り7年目で初の3割がビッグタイトルに結び付いた。張本には相手が悪かったとしか言いようがない。
 背番号の変更などは一つのきっかけに過ぎない。しかし、このタイトルを機に3割打者へと飛躍を遂げた谷沢は引退まで41番を背負い続けた。その後アキレス腱痛に苦しむなど試練を味わいながらもプロ生活17年で3割6度、終身打率も.302と見事に3割台をキープして歴史にその名を残した。

<1976年10月の首位打者争い>
  1 位 2 位 3 位
10/1 張本 広5−1 .3519 若松 中4−1 .3515 谷沢 ヤ4−1 .336
10/2 若松 巨4−1 .351 張本 ヤ3−0 .350 谷沢 洋5−3 .339
10/3 張本 ヤ4−2 .351 若松 巨4−1 .350 谷沢 .339
10/4 張本 ヤ4−2 .352 若松 巨4−2 .351 谷沢 .339
10/5 張本 ヤ4−3 .356 若松 巨4−1 .350 谷沢 .339
10/6 張本 .356 若松 .350 谷沢 .339
10/7 張本 洋5−3 .358 若松 中5−1 .349 谷沢 ヤ3−1 .339
10/8 張本 .358 若松 .349 谷沢 .339
10/9 張本 .358 若松 .349 谷沢 .339
10/10 張本 神4−1 .357 若松 洋4−1 .348 谷沢 広4−2、4−3 .344
10/11 張本 神5−2 .358 谷沢 広5−3 .347 若松 洋3−0、3−0 .343
10/12 張本 神5−1 .356 谷沢 .347 若松 広4−1 .342
10/13 張本 神5−2 .356 谷沢 .347 若松 広4−1 .342
10/14 張本 .356 谷沢 .347 若松 .342
10/15 張本 神3−1 .356 谷沢 ヤ5−2、4−2 .349 若松 中4−3、4−1 .344
10/16 張本 広5−1 .355 谷沢 神4−3 .352 若松 .344
10/17 張本 .355 谷沢 広3−1、3−1 .352 若松 .344
10/18 張本 .355 谷沢 .352 若松 .344
10/19 谷沢 広4−3、欠場 .3548 張本 .3547 若松 神 欠場 .344
10/20 谷沢 .3548 張本 .3547 若松  
10/21 谷沢 .3548 張本 .3547 若松 神 欠場 .344
                   
10月計 谷沢 48打数25安打 .521 張本 52打数19安打 .365 若松 51打数14安打 .275

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