小笠原 道大(おがさわら みちひろ) 1973年10月25日生まれ・右投げ左打ち

 千葉・暁星国際高からNTT関東を経て、96年ドラフト3位で日本ハムファイターズに入団。入団時は捕手で1年目の97年は38試合にマスクを被ったものの、37回走られてアウトわずか7回で盗塁阻止率.189と散々。打撃の方もファームでは19試合で.408と格の違いを見せたが、一軍では.223とまだプロの壁は高かった。
 98年はほぼフルシーズン一軍にいたが、71試合に出場しながら守備についたのは捕手20試合・一塁3試合・外野1試合と、代打要員としての1年。しかし、打率.302と打撃面では大きな進歩を見せ、切り札的存在となった。

 99年は打力を生かすために一塁にコンバートされ、ここに「バントをしない強打の二番・小笠原」が誕生した。この年は全試合出場で打率.285、25本塁打をマークしてベストナイン獲得。翌00年も2年連続で全試合出場。リーグ最多の182安打でタイトル獲得。打率.329、31本塁打、102打点と打撃3部門全てに前年を上回る自己最高の成績を残した。プロ入り3年間で通算5個という盗塁も、積極的な姿勢で24個と大幅に増やした。
 01年は打率をさらに上げて.339をマークしたが惜しくも2位。しかし歴代2位の195安打で2年連続最多安打タイトルを獲得した。

 02年は開幕から好スタート。打率.421、9本塁打、21打点で4月の月間MVPに輝く。その後もチーム40試合目まで4割台をキープするなど首位打者レースを引っ張り、終盤カブレラ(西武)との争いを制して打率.340で待望のタイトルを獲得した。
 03年も打率.360で連続首位打者。4年連続3割30本塁打は史上7人目。出塁率もリーグ歴代3位となる.473のハイアベレージで初タイトルを獲得した。通算打率は.325まで上がり、リー(ロッテ)の.320を上回った。
 04年は脇腹の故障と五輪出場で本塁打・打点は大幅ダウンしたものの最後まで首位打者を争い、3年連続のタイトルは逃したが.345をマークした。

 3割台、それも首位打者争いが当然だった近年の小笠原には05年は不思議なシーズンだった。本塁打は前年から倍増させ自己最多の37本に打点も自己3番目の92打点で共にリーグ3位。しかし肝心の打率はシーズンを通じて波に乗り切れず、レギュラー定着後ではワーストの.282とそれらしくない数字。三振数も自己最多と粗さも目立った。06年は2年ぶり6度目の3割打者となり、通算4000打数到達で打率歴代2位にランクイン。さらに本塁打・打点の二冠となる活躍でチームの日本一に貢献、MVPに選ばれた。この年オフにFA宣言し、巨人に移籍した。

 移籍1年目の07年もリーグの違いをものともせず、7度目の3割と7度目の30本塁打を達成。両リーグでの3割30本塁打は史上6人目。5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献して2年連続のMVPに選ばれた。08年は7年ぶりに全試合出場を果たすが、前半戦は打率2割台前半と低迷しオールスターの連続出場も9年でストップ。しかし7月から9月は毎月.350を超える高打率。9月には打率.391で月間MVPにも輝き、チームの大逆転優勝の原動力となった。09年は第2回WBCに選ばれ、チームの連覇に貢献。シーズンでも歴代3位タイとなる9度目の30本塁打に歴代8位タイとなる9度目の3割と合わせ、4度目の100打点とまさにMVP級の活躍で3連覇に大きく貢献した。

 10年も5年連続10度目の3割、6年連続10度目の30本塁打と引き続き安定した成績を収めた。順調なシーズンが続いていたが、11年は一転して大苦戦。開幕11試合で8試合がノーヒットと苦しい立ち上がり。5月5日に2000本安打を達成したものの、その時点の打率が.169と本来の姿からは程遠かった。記録達成後間もない5月13日に死球を受け1ヶ月近く離脱。復帰後は6月.231、7月.225と不調が続いたが8月になって打率.311、4本塁打と調子が上向いた矢先の23日にまたも死球で今度は左手首の剥離骨折。終盤戦を棒に振り、結局83試合で68安打の打率.242と99年のレギュラー定着以後ではワーストの成績に終わった。

 復活を懸けた2012年も5月初めに左足肉離れで登録抹消されるまで、打率.194と低迷。6月に復帰したものの、11打数ノーヒットの不振で再度の登録抹消。長い調整期間を経て9月に一軍登録されたが、今度も19打数2安打の打率.105と、最後まで打棒復活はならなかった。最終的に打率.152で本塁打ゼロと信じ難い数字に終わった。13年もキャンプ中に左手の裂傷と怪我に苦しみ出遅れた。5月19日にシーズン初出場し、6月5日の日本ハム戦では代打サヨナラ3ランで存在感を発揮。しかし交流戦明けから11打席ノーヒットが続き、6月28日に登録抹消されるとそのまま一軍復帰することなくシーズンを終えた。オフにFA宣言して中日ドラゴンズに移籍した。

 14年は切り札として両リーグ最多の76試合に代打起用された。代打でリーグ3位の14打点に打率.295、出塁率.427と期待に応えた。シーズン全体でも打率.301と、健在ぶりを見せた。15年も打率.294と健在ぶりを見せたが、若手に切り替えるチーム方針もあり、この年限りで現役を退いた。

 00年10月3日のロッテ戦から7日のロッテ戦まで4試合連続猛打賞のパ・リーグタイ記録(当時)。01年8月5日のダイエー戦から27日のダイエー戦まで17試合連続得点の日本新記録。01年6月13日のロッテ戦から9月9日のロッテ戦まで60試合連続出塁。03年8月23日の西武戦から8月27日のオリックス戦まで7安打7四球で14打席連続出塁の日本タイ記録(当時)。07年6月26日の楽天戦から7月1日の広島戦まで3四球を挟み9打数連続安打。08年9月3日の広島戦でサイクルヒット達成。年間3割30本塁打9度は歴代2位の記録。11年5月5日の阪神戦で小林宏投手からセンター前ヒットを放ち、史上38人目の通算2000本安打達成。

 MVP2回(06、07)、首位打者2回(02、03)、本塁打王1回(06)、打点王1回(06)、最多安打2回(00、01)、最高出塁率1回(03)。ベストナイン7度(99、01、03、04、06、07、09)、ゴールデングラブ6度(99〜03、06)受賞。月間MVP8回(00年8月、01年8月、02年4月、03年5月、04年7月、08年9月、09年5月、10年4月)。オールスター出場11度(99〜07、09、10)。WBC出場2度(06、09)、五輪出場1度(04)。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
97 日本ハム 44 94 7 21 10 2 0 35 7 1 0 1 3 10 .223
98 日本ハム 71 86 7 26 5 0 1 34 9 1 0 1 11 17 .302
99 日本ハム 135 547 90 156 34 4 25 273 83 3 0 4 56 84 .285(7位)
00 日本ハム 135 554 126 182 23 4 31 306 102 24 0 5 76 91 .329(3位)
01 日本ハム 140 576 108 195 40 2 32 335 86 1 0 0 67 102 .339(2位)
02 日本ハム 135 486 77 165 27 2 32 292 81 8 0 6 82 77 .340(1位)
03 日本ハム 128 445 83 160 34 1 31 289 100 8 0 3 98 65 .360(1位)
04 日本ハム 101 377 78 130 19 2 18 207 70 3 0 2 73 70 .345(2位)
05 日本ハム 133 514 91 145 27 2 37 287 92 2 0 1 65 114 .282(16位)
06 日本ハム 135 496 77 155 31 1 32 284 100 4 0 8 75 85 .313(4位)
07 巨人 142 566 95 177 33 1 31 305 88 4 0 4 47 98 .313(4位)
08 巨人 144 520 93 161 27 1 36 298 96 0 1 5 63 105 .310(10位)
09 巨人 139 514 78 159 25 1 31 279 107 2 0 2 64 107 .309(3位)
10 巨人 137 510 83 157 24 1 34 285 90 1 0 5 76 101 .308(9位)
11 巨人 83 281 21 68 12 0 5 95 20 1 0 2 31 66 .242
12 巨人 34 92 4 14 3 0 0 17 4 0 1 1 5 22 .152
13 巨人 22 36 2 9 2 0 1 14 8 0 0 1 3 7 .250
14 中日 81 83 4 25 6 0 1 34 18 0 0 1 15 16 .301
15 中日 53 51 2 15 3 0 0 18 8 0 0 1 7 10 .294
                                 
19年 1992 6828 1126 2120 385 24 378 3687 1169 63 2 53 917 1247 .310