タイトル

《旧約聖書》
『五書』または『モーセ書』とよばれる旧約聖書は「創世記」
「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」
から成り立っている 。



画家ギュスターブ・ドレの
「創世記」は、世界の創造から始まり、アダムとエバの誕生、ノアの洪水、族長物語、イスラエル人のエジプト到着までを描いてある。 この中でも「ノアのは方舟」は古代から語り継がれ数多くの画や物語として世界中で広く知られている。

「ノアの方舟」物語(第6章5節から第9章17節)

 神はノアに言われた。 『すべて肉なるものを終わらせる時が、私の前に来ている。彼らの故に不法が地に満ちている。 見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす」。 ノアはその家族、妻のナアマ、三人の息子、セム、ハム、 ヤファトと共に、潔い動 物七つがい、潔くない動物二つがい、鳥七つがいと共に箱船に乗った。 乗せた動物については諸説有り、別の本では「地上のすべての生物の雄と雌二匹 (七匹と書い たものもある)を乗せなさい』とある。
方舟の大きさは、長さ300キュピト(150メートル)、幅50キュピト(25メート ル)高さ30キュピト(15メートル)である。
材料はゴーフェル(糸杉)でつくられ、内も外もアスファルトで塗られて水漏れを防いだ。 内部は三階建てで、高いところに窓を付けた。 彼らはこの舟を七日間でつくり、神に命じられたように食料と動物達を乗せて審判をまった。

七日後に洪水は起き、40日40夜〔150日150と言う 説もある〕の間、地上を吹き荒れた。 最後に方舟はアララト山の上に漂着した。 雨がやむとノアは木々の頂が見え始めた、土地を探すためにノアは鳥を放った。 はじめにカラスを放そうとしたが、カラスは『自分たちはひとつがいしかおらず死ねば全種属が絶滅してしまう、別の鳥にしてくれ』と不平をいった。
しかしノアはそのことを聴かず空に放った。カラスは戻ってこなかった。 次にハトを放った。 ハトは地上にとまる所が見つからず方舟に戻ってきた。

アララト山について

 トルコ領、イラン、アルメニアとの国境近くにある。主峰は標高5165メートル。小アララット山は3925メートルである。だいぶ前にノアの箱船が発見されたと新聞報道された。あとで、これは1850年にロシア測量隊が残した木片を誤認したらしい。
怪しげな J・マンデヴィルの東方旅行記によれば『ノアのあと1人の僧が山に登り、一枚の舟板を持ち帰り、今も山麓の修道院に保存されている』と書いている。

創世記 第8章12「方舟から放たれた鳩」 

七日後、ノアはふたたびハトを放った。 しばらくしてハトは嘴にオリーブの小枝をくわえ戻ってきた。 その小枝は、聖地オリーブ山からくわえてきたものであるらしい。 それでノアはもう少しで方舟から出られると考えた。もう七日まち、三回目のハトを放った。 ハトは二度と戻ってこなかった。 ノアは扉を開き地上に降り立ち動物達を放した。 アダムの子孫は、彼ら以外のすべてが死んでしまったので、ノアたちが人間の新しい祖先となった。
ここで問題になるのは、方舟から飛びさったハトは何処に行ったのかである。

ハトはモーリシャス島を見つけた

方舟を後にしたハトは、地中海を越えインド洋に入った。 疲れ切ったハトが下を見ると豊かな緑に覆われた小さな島が見えた、もちろん、洪水の後で緑の木はすくなかったとも考えられるが、ハトは島におりた。 島には他の哺乳類はおらず、自分たちの敵はいそうもなかった。ハトはこの島(今のモーリシャス島)に住み着くことを決めた(
このハトがドードーの祖先であるという

これは、別役実氏が著書「鳥づくし」の中で紹介している話である。 あまりにも良くできた話で面白いと思ったが、旧約聖書関連の解説や鳥の伝説などの本にもない。出処は不明であり、著者の創造の話かも知れない。『鳥ずくし』[続]真説・動物学大系 平凡社刊 1998.03.15刊。「はととは」より。

創世記の画を描いた、ギュスターブ・ドレ Gustave Dore(1832〜1883年

  ロマン主義、宗教画家のドレとも言われる。上の画は1866年にイギリス・ロンドンとフランス・ツールで出版された「聖書」から「方舟から放たれた鳩」の挿し絵である。

彼の画は、イギリスのビクトリア女王も愛好したという。また、1890年にサン・レミの精神病院に入院していたゴッホは、弟テオへの手紙で、ドレの「聖書」の本を送るように頼んでいる。 ドレは挿絵画家として、ダンテの「神曲」(1861年)、ミルトンの「失楽園」(1866年)などの挿し絵がある。イギリスで人気は高く、1867年にはロンドンのニュー・ボンド・ストリート35番地にドレの作品のみを集めた美術館「ドレ・ギャラリー」が設立された。

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