プトレマイオスの世界地図

古代の人は世界をどうとらえていたのか》

ギリシャの学者たちは、紀元前5世紀頃すでに地球は球体であると考えていた。アリストテレスは観念ではなく、数学的理由により球体であると確信していた。驚くべき事に、彼は月蝕の観察から地球は円形であると考えていたのである。月に落ちる地球の影をを見て理解していたのであろう。

クラウディオス・プトレマイオス(127-160年頃)
  ローマ帝国の版図が最大となったハドリアヌス帝の時代の人間である。彼はエジプトのアレキサンドリアに住んでいた。天文・地理学者であった。 天文書『アルマゲスト』(地理学提要)全八巻を著し、大きな影響を与へた。これは今の地図学ともいうべきもので世界で最初の地図帳(アトラス)となった。

 彼は地球の大きさの実感を示そうとした初めての学者である。また
彼は数学を使い、観測が大事であることを強調した学者でもある。2巻以降では、シルクロードや紅海を通してインドに伝えられた情報にもとずいて、中国の西域の経度が推定されている。彼の地理書の記載は全世界の四分の一ほどであり、あとは未知の世界とされている。
 彼の地図は、赤道の値を過小に見積もったために、アジアが著しく東方へ伸びてしまった。このことが、のちにコロンブスなどの探検家に西回りでインドに行くことが出来ると誤認させてしまった要因となった。

彼の地図は、アフリカ大陸を月の山脈とナイル河の源として大きな湖を描いている。プトレマイオスは近代地理学の始祖である。しかし、プトレマイオスの地理書は4世紀末の東西ローマ帝国の分裂により、西欧世界には伝わらなかったのである。

アイコン〈プトレマイオスの業績〉 
 彼の地図は古代には珍しく、推測や神話を出来るだけ排除して描いてある。彼の最大の功績は、地図に「経度と緯度」」の考えを持ち込んだことにある。この値がわかれば現在の位置がわかると考えた。

 彼は8000地点の緯度と経度をあげている。これは後の航海器具の発達がその正しさを証明している。彼は中世を通じて「人間の宇宙観」を支配した。15〜16世紀にかけて作られた地図は、すべてプトレマイオスの影響を受けている。この最古の印刷版は、1477年頃のボローニャ版とローマ版である。地図の付かない本文だけの本が出版されてから2年後のことであった。
   
プトレマイオスの世界地図残念なことにプトレマイオス自身の原図は存在しない。右の図はビザンチンに伝えられた写本である。経緯線が曲がっている。難しいが正確な図法をもちいている。まわりから12種の風をふきこんでいる人の顔が描かれている。地図を拡大表示 

『世界探検歴史地図』 F・フェルナンデス=アルメスト編 監修 増田義郎(株)原書房 1995.年刊

本アイコン 〈プトレマイオスの描き出した世界とは〉
彼の地図ではインド洋は内海(うちうみ)となっている。胡椒(コショウ)の産地であるインド西海岸が『リュミケー』として地図上に記されている。インド半島は小さく書かれているが、セイロン島はインド洋貿易圏の重要な島として認識されているようだ。ガンジス川のミャンマーの所には『金の国』『銀の国』が置かれ、マレー半島は黄金半島として書かれている 。『ジパング伝説』 宮崎正勝著 中公新書 プトレマイオス、次のページにつづく

 

〈九州大学デジタル・アーカイブ〉 ここにプトレマイオスの地図があります。
『このサイトでは九州大学が所蔵する記録史料を中心にデジタル化し、これをマルチメディア・データベースで保管・蓄積したものです。 江戸時代以来の地域・外交・産業・文化に関する記録史料、さらに古地図や絵画、写真をもとに構成しています。』九州大学デジタル・アーカイブのトップページから引用ギャラリーページに行くと、アジアの古地図、モルッカ諸島など貴重な資料が見られます。   
 https://www.lib.kyushuu.ac.jp/ja/collections/q_digitalarchive

地図のこと全てをまなべるホームページ「世界地図を作ろう」があります。ぜひご覧ください。
http://atlas.cdx.jp/

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