1998.8.12 文責:倉島
肯定側は、否定側のデータの信頼性をついてきました。肯定側の指摘ポイントは鋭く、容易には反論できそうもありません。しかし、否定側は肯定側の「データは信頼できるか」の議論に乗る必要はありません。なぜなら、肯定側はデータを攻撃してきただけで、論拠(陪審員は素人なので、表面的な印象で評決を下す)を攻撃していないからです。したがって、仮に、肯定側の主張を全面的に受け入れ、データが意義を失っても、否定側の主張は依然として成立しているのです。
肯定側は、否定側のデータの信頼性をうまく突いてきました。肯定側は、問題の弁護士の主張を「法廷がショー化する(根拠)から、弁護士料はケチってはいけない(主張)」とらえています。その上で、中立性が欠けている以上、弁護士の主張は信用できないと主張したわけです。肯定側の主張はもっともであり、その主張をくつがえすのは、かなり難しいでしょう。「法廷がショー化する」と「弁護士料はケチってはいけない」は別々の主張で、後者は信用できないが、前者は信用できると主張するのは、虫が良すぎるというものです。
しかし、データをいくら叩いても、論拠(主張の発生過程と深刻性)を崩さない限り、主張は成立します。つまり、仮にデータがなくても、それだけ主張に対する信頼性が劣ると見なされるだけで、根拠がしっかりしていれば主張は成立するのです。この議論では、肯定側は否定側のデータに対しては有効な議論を持ち出してきました。しかし、これだけでは否定側の議論を崩すことはできません。なぜなら、肯定側は、否定側の主張の発生過程や深刻性を叩いていないからです。
そこで、否定側は、思い切ってデータを捨ててしまい、それでも主張は成立すると反論するのが良いでしょう。否定側の主張『素人相手だと、難しい議論より、表面的な印象が重要視されるので、表面的な印象を競うあまり誤審が増える』は、しかっりした根拠を伴っています。示されたデータは根拠を補足する程度の意味合いしかありませんので、データがなくても否定側の主張するデメリットは成立します。データを捨てることを認めた上で、肯定側が発生過程も深刻性も否定していない以上、否定側の主張は成立すると反論するのが良いです。
具体的には以下のような反論例が考えられます。
肯定側が主張したように、否定側の提出したデータは不適切でした。否定側は先のデータを取り下げます。しかし、データを取り下ても、否定側の主張は成立しています。なぜなら、肯定側はデータの欠陥を主張したに過ぎず、否定側の主張そのものを否定したわけではないからです。つまり、肯定側は、否定側の主張の発生課程、深刻性のいずれも否定してはいません。データはなくなりましたが、否定側の主張は依然、成立しているのです。
このように、ディベートでは、相手のデータをいくら叩き潰しても、相手の主張の発生過程か重要性を叩かない限り、主張そのものを叩き潰すことはできません。データを完膚なきまでにたたきのめされても、なんら憶する必要はないのです。逆に言えば、発生過程や重要性に直結しないデータを叩くことは、それほど意味があるとは言えません。
補足
弱い根拠を強いデータが支えているような主張や、根拠そのものがデータからの引用の場合は、データを叩くことで主張を潰すことができます。データを叩くことに意味があるかどうかは、データが主張や根拠とどうからんでいるかによるのです。