【解題】 『太平記』巻第二・俊基朝臣再び関東下向の事より。 【解析】 ○落花の雪 | に|踏み迷ふ、片野の春の桜狩、紅葉の錦 | | 雪のように深い| 落花 |のために|道に迷う、片野の春の桜狩、 錦のように美しい| |紅葉 |を| ○着 て| |帰る、嵐の |山の秋の暮、 身に付けて|都に|帰る、嵐の吹く| |嵐 |山の秋の暮、そんな栄華に満ちた生活が一変して、 ○げに|痛はし や 俊基卿 。身は|とらはれの|籠の鳥 、のがれ|がた なき|恩愛 の 実に|痛わしい事よ、俊基卿は、身は| 囚 われの|籠の鳥となり、 逃 れ|ようもない|愛情で結ばれた ○我がふるさとの妻 子(つまこ)をば、行くへも知らず 思ひ 置き 、遥けき旅に|出で |給ふ 、 我がふるさとの妻と子 を!、行くへも知らず、気がかりなまま残して、遥かな旅に| |お | |出かけ|になった、 ○心のうち| ぞ|あはれなる 。 心の 中 |を推し量ると!、気の毒なことである。 ○ |憂き | |をば|止め |ぬ |逢坂の関の清水に|うつらふ | |影の、 旅人は止めるが、つらい|気持ち| は|止めてくれ|ない|逢坂の関の清水に|映って | |通り過ぎる|自分の|姿が、 ○ 末は山路を|打出の浜 、勢多の長橋 |うち渡り、行きかふ人に|あふみ路| や、 関を出た後は山路を| 出て 、 |打出の浜を通り、勢田の長橋を| 渡り、行き交う人に|会う | | 近 江路|であるよ、 ○ 世を|うね の|野に鳴く田鶴も、子を思ふ か|と|悲しまれ 、時雨も|いたく| |憂(む)| この世を|厭う | |うね の|野に鳴く 鶴も、子を思って鳴くのか|と|悲しい気持ちになり、時雨も|ひどく| ○ |もり山|の、葉末 の露に|袖 |ぬれて、風に露 散る篠原や 、 |忍びかねつつ| 木々の枝から|漏る | | 守 山|の 葉先から落ちる露に|袖が|濡れて、風に露が散る篠原!を、涙に|耐え切れずに| ○越え行けば、鏡の山はありと ても、 |泪に曇りて|見え分か | ず 。物を思へ ば| 越え行くと、鏡の山はあるといっても、その鏡は|涙に曇って| はっきり| |見え |ない。物思いに耽っていると、 ┌────────────────┐ ○ 夜の 間 にも、|老蘇の 森の|木 隠れに |都の空| や| |隔つ | らむ||。 一夜のうちにも |老いてしまう | ↓ |老蘇の 森の|木々に隠れて、都の空|は |遠く|隔たっ|ているのだろう|か。 ○あら恥ずかし や 我が姿、浮き世の夢は|狩衣の |不破の関屋 |は |荒れ果てて、 ああ恥ずかしいことよ、私の姿、浮き世の夢は|狩衣のように| |仮のもので 、破れないという名の| |不破の関屋 |は、今は|荒れ果てて、 ┌────────────┐ ○ | なほ |漏る ものは|秋の雨、いつ か|このみのおはり| | | な る| | 美濃 尾張 | ↓ | 関屋の屋根を|それでも|漏れ落ちるものは|秋の雨、いつが |この身の終わり|だろうかと、 | 尾張 | |にある| ○熱田の社 伏し拝み、潮干に今や|なるみ潟、傾く|月 に|道 見えて、 末はいづこと|とおとうみ、 熱田神宮を伏し拝み、引潮に今や|なる | | 鳴 海潟、傾く|月の光に|道が見えて、行く先はどこかと|問う | | 遠 江 、 その| 遠 江の| ○浜名の橋の夕汐に、引く 人もなき|捨て小舟 、沈み はて|ぬる | | 身にしあれ| ば 、 浜名の橋の夕汐に、引き上げる人もない|捨て小舟が|沈み きっ|ている|ように、 |零落しきっ| た | |我が身で!ある|ので、 ┌───────────────┐ ○誰 か|哀れと| 夕 暮|の、 | |言ふ | ↓ 誰が |哀れと|言ってくれる|だろうか、いや、誰も言ってくれないが、 | 夕 暮|の ○入相 |なれ| ば 今は | |と て|池田の宿に|着き|給ふ 。 入相の刻|な |ので、今はもう|宿を取ろう|と言って、池田の宿に| |お |着き|になった。 ○元暦元年の頃かとよ 、 重衡の中将が 東夷のために囚(とら)はれて、 元暦元年の頃かと 言われるが、平重衡の中将が、源氏のために囚 われて、 ○ ここに|宿りを求め|し| |に、 鎌倉に送られる途中、ここに|宿りを求め|た|時|に、 ┌──────────────┐ ○「東路の埴生の小屋の|いぶせき に 、古郷 |いか に|恋しかる らん|↓」と 「東国の粗末な小屋が|むさ苦しいので、故郷の都が|どんなに|恋しいことでしょう|か」と、この宿場の| ○長者の娘が 詠み|たりし、そのいにしへの|あはれ まで、思ひ 残さ ぬ |涙 なり。 長者の娘が歌を詠ん| だ 、その 昔 の| 哀 れ深い逸話まで、 残りなく| |思い出して |涙に暮れるのだ。 ○旅館のともし火 幽かに|し て、鶏 鳴 | 暁 を|催せば、 匹 馬 風にいななきて 、 旅館のともし火が幽かに|照らして、鶏の声が|夜明けを|促すと、一匹の馬が風にいなないて出発し、 ○天竜川をうち渡り、小夜の中山 過ぎ 行けば、いとど |あはれ |を|きく川|の、涙の流れ | 天竜川をうち渡り、小夜の中山を過ぎて行くと、いっそう| 哀 れな話|を|聞く | | 菊 川|で、涙が流れるのを| ○ 汲み かねて、やがて ぞ|越ゆる大井川。島田、藤枝 |あとになし、岡部の真葛 |裏 枯れて、 止める事が出来ず、間もなく!|越える大井川。島田、藤枝を| 後 にして、岡部の 葛の|葉先が枯れて、 ○ もの |哀れなる|宇都の山、昔在原の業平が、東(あづま)のかたに下るとて、詠みし心も|清見潟 。 何となく|心細い |宇都の山、昔在原 業平が、東国 の 方 に下る時に、詠んだ心も|清らかな| |清見潟 。 ○都に帰る夢を|さへ 、 |通さ ぬ |波の 関守|に、いとど 涙を|もよほされ 、 |人を|通さ ない| |だけでなく| 都に帰る夢 |までも | |見させてくれない|波の音という関守|に、いっそう涙を|誘わ れて、 ○向かふはいづこ |三保が崎、興津、蒲原 うち越えて、富士の高峯に立つ煙 、 上なき 思ひに 行く先はどこかと|見ると 、 |三保が埼、興津、蒲原を 越えて、富士の高嶺に立つ煙を、この上なく悲しい我が思いに ○比べ つつ 、明くる霞 に松 見えて、浮嶋が原を過ぎ行けば、 おり立つ|田子|の なぞらえながら行くと、晴れる霞の向こうに松が見えて、浮島が原を過ぎ行くと、田に出て働く|農夫|のように、 ○自らも浮 世を廻る|車返し 、 竹 の下 道 行き悩む、 足柄山を|こゆるぎ|の 、 自分も浮き世を巡る|車のような| |苦しい人生である。竹藪の下の道に行き悩む| 足 、 |その足柄山を|越えて | |小 余 綾|の磯を通り、 ○急ぐと |し|も|は|なけれ| ども、日数 積もれ ば 、 それの日に 急ぐというわけで|!|も|!| ない |けれども、日数が経ったので、予定通りのそ の日に、 ○鎌倉にこそ着き|に|けれ 。 鎌倉に ! 着い|た|ことである。 【背景】 片野(交野) ┌───────────┐ ○ また|や|見 |む|↓ 交野のみ野 の桜狩り いつかまた| |見ることがあろ|う|か、交野のみ野での桜狩りで、 ○花の雪 散る春のあけぼの 花が雪のように散る春のあけぼののこの景色を。(新古今集・巻第二・春下・114・藤原俊成) 嵐の山 ○嵐の山の もとに|まかり |ける に、紅葉のいたく|散り | 侍り |けれ| ば | 嵐 山のふもとに|参りまし| た 時に、紅葉がひどく|散って|おりまし| た |ので|詠んだ歌。 ○朝|まだき |嵐の山|の寒ければ 紅葉の錦 |着 | ぬ |人|ぞ| なき 朝|早くから、|嵐の吹く |嵐 山|が寒いので、紅葉の錦の衣を|着て|いない|人|は|いない。 桂川の川遊びに集まった人々皆に、紅葉が降りかかっている。 (拾遺集・巻第三・秋・210・藤原公任) 関の清水にうつらふ影 ○逢坂の関の清水に |影 | 見えて 《影》 満月の|影|が映る| 逢坂の関の清水に |姿| |を見せて、 ┌───────────────┐ ○今|や| |引く| らむ | 望月 の 駒 ↓ 《望月》 今| |まさに|引い|て来ただろう|か、信濃の望月 産の名馬を。(拾遺集・巻第三・秋・170・紀貫之) うねの野 ○近江より朝たちくればうねの野に鶴(たづ)ぞ鳴くなる明けぬこの夜は(古今集・巻第二十・大歌所御歌・1071) 田鶴も、子を思ふかと… ○第三第四の絃は| | 冷 冷 (れいれい)と| し て、 |高い音で|リンリン と|響き 、 ○夜の鶴 |子を憶(おも)うて|籠(こ)の中(うち)に鳴く 夜の鶴が|子を思っ て、巣 の中 で鳴いているようだ (白楽天『五絃弾』和漢朗詠集・下・管絃) 時雨もいたくもり山の ○白露も時雨もいたく |もる山は 下葉 残らず 色づき| に |けり 白露も時雨もひどく木々の間から|漏れる |もる山は、下葉まですっかり色づい|てしまっ|たことだ。 (古今集・巻第五・秋下・260・紀貫之) 鏡の山 ○ |鏡山 |いざ 立ち寄りて見て行かむ 年 経|ぬる| 身は| |鏡山と言うからには、 その|鏡 を、さあ、立ち寄って見て行こう、年を経|た |我が身は| ┌────────────┐ ○老い |や|し| ぬる | ↓|と 老(ふ)け| | |てしまった|だろうか|と。(古今集巻十七・雑・大伴黒主) 老蘇の森 ○年 経ぬる| 身は老い|ぬる |か、老 蘇の森の下草のしげみに駒を留めても <オイ> <オイ> 年を経た |我が身は老け|てしまった|か、老 蘇の森の下草のしげみに馬を止めても。 (宴曲集巻第四、海道上) 不破の関屋 ○和歌所歌合に、関路の秋風といふことを ○人 住まぬ 不破の関屋の板庇(いたびさし)荒れ | に |し|のちは 人も住まない不破の関屋の板庇 が、荒れ果て|てしまっ|た| 後 は、 ○ただ|秋の風 | ただ|秋の風が|吹き抜けて行くばかり。(新古今集・巻第十七・雑中・1601・藤原良経) なるみ潟 ○さ夜 千鳥| 声 こそ 近く|なるみ潟 | かたぶく|月に | 夜の千鳥、その声が 次第に近く|なる |のは 、 | 鳴 海潟| に、西に 傾 く|月に引かれて、 ┌───────────────┐ ○潮 |や|満つ | らん|↓ 潮が| |満ちて来|ているからだろう|か。(新古今集・巻第六・冬・648・藤原季能) 重衡の中将が… 平重衡(保元二(1157)年〜文治元(1185)年)は、平清盛の五男。平重衡と熊野の話は、『平家物語・巻第十・海道下り』にある。元暦元(1184)年、一ノ谷の戦いで源氏の捕虜となった平重衡は鎌倉に護送されるが、その途中、遠江の国、池田の宿で、 ○かの宿 の| 長者 |熊野が娘、侍従 が許にその夜は宿 せ| られ |けり。侍従 、 その宿場の|遊女のかしら|熊野の娘で侍従という女の所にその夜は宿泊 |なさっ| た 。侍従は、 ○三位の中将 を|見|たてまつ|て、「昔は、 つてに| だに|思ひ寄ら|ざり |し| に、 三位の中将(平重衡)を|拝 見 し |て、「昔は、人づてに|お話する事さえ|思い寄ら|なかっ|た|のに、 ○今日は かかる 所|に| 入ら |せ|給ふ|不思議さよ」と て、一首の歌を|奉る 。 今日は、こんなむさ苦しい宿|に| | お | |泊まり|になる |不思議さよ」と言って、一首の歌を|差し上げた。 ┌──────────────┐ ○ | 旅の空| 埴生の小屋の|いぶせさ に |ふるさと |いか に|恋しかる | らん |↓ あなたは|ご旅行中、この粗末な小屋が|むさ苦しいので、故郷の都が|どんなに|恋しいこと|でしょう|か ○三位中将 、返事には、 三位中将は、返歌には、 ○故郷 も|恋しくもなし| |旅の 空 都も|つゐのすみか|なら| ね | ば 故郷の都も、恋しくもない。 人はいつも前世・現世・来世の|旅の途中にあって、都も|最後の 住処 |では|ない|から。 ○中将 、「やさしく も|つかまつ |たるものかな 。この歌のぬしは| 中将は侍従の歌を読んで、「優雅に 歌を |詠んでくれ|た ものだなあ。この歌の作者は| ┌──――――─┐ ○いかなる者 や(あ)ら|ん|↓」と御尋ね あり|けれ|ば、景時 |かしこまつて申し |ける| は、 どういう人で あ ろ|う|か」とお尋ねになっ| た |所、景時が|畏れ入って 申し上げ| た |事には、 ○「君 は|いまだ|しろしめさ|れ|候は|ず|や。 あれこそ|八嶋の大臣殿 、 「あなたは| まだ| ご存知あり |ませ|ん|か。この歌の作者こそ|八嶋の大臣殿(平宗盛)が、 ○当 国の守で|わたらせ給ひし時、 召され参らせ て、御最愛 |にて| 候ひ |し|が、 この遠江の国の守で|いらっしゃった時、都に召され申し上げて、 寵愛された方| で |ございまし|た|が、 ○老母をこれに|とどめをき 、しきりに|いとま|を|申せ | ども、給はら| ざり |けれ| ば 、 老母をここに|残しておいたので、しきりに| お暇 |を|願った|けれども、頂け |なかっ| た |ので、 ○ 頃 は弥生の初め|なり|ける| に 、 季節は弥生の初め|だっ| た |ので、 ┌──────┐ ┌─────────┐ ○いかに|せ ん|↓、都の春も|惜しけれ |ど、 馴れし|あづまの| 花 |や|散る| らん || どう |しよう|か、都の春も|名残惜しい|が、住み慣れた| 東国 の|老母が| | | 今にも |↓ |死ぬ|のだろう|か。 ○と| 仕りて、いとまを|給はつて 下り|て候ひし、 海道一の 名人にて| 候へ 」とぞ と|歌を詠んで、 お暇 を|頂い て故郷に下り| ました、東海道一の歌の名人 で |ございます」と! ○申し ける。都を出でて日数 経れ | ば 、弥生も半ば 過ぎ、春も既に|暮れな んと|す 。 申し上げ た 。都を出 て日数も経った|ので、弥生も半ばを過ぎ、春も既に|暮れてしまおうと|している。 ○遠山の花は| 残んの雪|かと見えて、浦々 嶋々 |霞み渡り 、 |来し方|行く末|の| 遠山の花は|消え残りの雪|かと見えて、浦々、嶋々が春霞に| 一面に| |霞み 、重衡は、 過去 | 未来 |の| ┌────────────────┐ ○ 事ども |思ひ続け|給ふ に、「されば これは|いかなる|宿業の|うたてさぞ| ↓」と いろいろな事を|考え続け|なさると、「それでは、これは|どういう|宿命の| むご さ!|だろうか」と ○のたまひ て、ただ尽きせぬものは涙| な り。 おっしゃって、ただ尽き ぬものは涙|である。 重衡は、翌年奈良に送られ木津河畔で斬首された。これは、治承四(1180)年、重衡が、反平氏の拠点だった南都東大 寺と興福寺を焼き討ちにして、両寺の恨みを買っていたためである。 小夜の中山 ○年たけて又越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山(新古今集・巻十・羈旅・987・西行) いとどあはれを菊川の ○承久の合戦の時、 院宣 |書きたりし|咎(とが)に依(よつ)て、 承久の合戦の時、後鳥羽上皇の源氏追討の院宣を|書いた |罪 によっ て、 ○ 光親卿 関東 に|召下(めしくだ)さ|れ|し|が、此の宿にて誅せられし時、 藤原光親卿が関東(鎌倉)に|召還さ |れ|た|が、この宿 で 殺さ れた時、 ○昔 |南陽縣|の菊水 、 |下流 |を汲んで|齢(よはひ)を延ぶ 昔中国の|南陽県|の菊水では、その|下流の水|を汲んで|長生きをしようとした。 ○今 東海道の菊河 |西岸に宿つ て |命を終ふ | 今日本の東海道の菊川では、菊川の|西岸の泊まって、ここで|命を終える|ことである。 ○と 書き |たり|し、遠き昔の|筆の跡| 、今は我 が身の上になり、 と(宿の柱に)書き残し|た 、遠い昔の|故 事|は、今は自分の身の上になり、 ┌─────────────────┐ ○あはれ や|いとど|増さり |け ん |↓、一首の歌を詠じて、宿の柱に書か | れ|ける 。 悲しさが | 一層 |増してき|たのであろう|か、一首の歌を詠んで 宿の柱に書き付け|られ|たそうだ。 ○古(いにしへ)も| かかる | |ためし を| | 菊 川の| 昔 も|このような|光親卿がここで殺されたという| 前例 があった事を| |聞く | |この| 菊 川の| ┌───────────┐ ○同じ流れに| |身を|や|沈め | ん|↓ 同じ流れに|私も斬られて|身を| |沈める|のであろう|か。 太平記の記事は、俊基が菊川に差し掛かった時の感慨を、上のように詳しく書いてあるが、歌詞は、それを要約して「 いとどあはれをきく川のなみだの流れ汲みかねて」と、さらっと流している。 宇津の山 伊勢物語第九段に、在原業平が『東下り』の途中、宇津の山で、都に残した恋人に宛てて歌を手紙に書き、通りすがり の修行者に託した記事がある。 ○駿河 なる宇津の山べの|うつつ|にも|夢にも| | 人 |に会は ぬ | なり|けり <ウツ> <ウツ> 駿河の国の 宇津の山辺の|現 実|でも|夢でも、恋しい|あなた|に会わない|ことだ|なあ。 あなたはもう私を忘れてしまったのですか。 通さぬ浪の関守 ○昔、男 ありけり。ひんがしの五条わたりに いと 忍びて、 いき けり。みそかなる |所なれば、 昔、男がい た 。 東 の五条あたりに、大層人目を忍んで、女の所に通っていた。 密 かに通う|所なので、 ○門(かど)より も|え |入(い)ら| で、 童 べの踏みあけた|築地のくづれ より |通ひ| けり 。 門 を通って | |入る | |事もでき| |ないで、子供達の踏みあけた|土塀の 崩 れを通って|通っ|ていた。 ○人 繁くも|あらね ど、度重なりければ、 |あるじ| 聞きつけて、その通ひ路に、夜毎に 人を据えて 人が多くも|なかったが、度重なったので、家の| 主人 |が聞きつけて、その通り道に、夜毎に番人を置いて ○守ら|せ|けれ| ば、行けども|え|逢は| で|帰り |けり。さ て|詠める| 。 守ら|せ| た |ので、行っても|逢 え |ないで|帰ってき| た 。そして|詠んだ|歌。 ○人知れぬ|わが |通ひ路| の|関守は よひよひごとに|うちも |寝| な | なん 人知れぬ|私の恋の|通い路|を邪魔する|関守は、毎夜毎夜 |ぐっすり|寝|てしまっ|てほしい。 ○と詠め |り|けれ| ば 、 | いと |いとう|心やみ|けり。 と詠んで贈っ| た |ところ、その女は|とても|ひどく|悲しん| だ 。 ○ あるじ| | |許し|て|けり 。 それで、 主人 |は|男が通うのを|許し| たそうだ。 (伊勢物語・五段) 上なき思ひ |
作者:不詳 作曲:中能島松声 【語注】 片野⇒背景 嵐の山⇒背景 俊基卿 日野俊基。後醍醐天皇の側近で、鎌倉幕府打倒の画策の中心人物。正中(しやうちゆう)元(1324)年に密謀が露見して六波羅探題に捕らえられ、鎌倉へ送られるが、赦免される。しかし、都に帰るや、又しても倒幕を画策し、元弘元年、再び捕えられ、鎌倉へ送られ、葛原岡で斬刑に処せられた。 逢坂の関 以下、下線部は東海道の歌枕(歌の名所)や地名を連ねる。 関の清水にうつらふ影⇒背景 うねの野 滋賀県近江八幡市付近。⇒背景 田鶴も、子を思ふかと…⇒背景 悲しまれ 「れ」は自発。 時雨もいたくもり山⇒背景 篠原 地名であるとともに、篠竹の生えた原の意も生かす。 鏡の山⇒背景 老蘇の森⇒背景 不破の関屋⇒背景 熱田の社 三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのつるぎ)の鎮座に始まるとされる格式の高い神社。日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置いたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)で世を去った。尊の妃、宮簀媛命(みやずひめのみこと)は、神剣を熱田の地に祀った。 なるみ潟⇒背景 とおとうみ 浜名湖のこと。遠(とほ)つ淡海(あはうみ)が短縮化された言葉。京から見て遠い湖、浜名湖を「遠江」と呼び、近い湖、琵琶湖は「近つ淡海」「淡海(あはうみ)→あふみ→近江(あうみ)」と呼んだ。 浜名の橋 室町時代以前は浜名湖は完全な淡水湖で、わずかに海への出入り口として浜名川があった。そこに平安時代の貞観四(862)年に浜名の橋が設けられた。枕草子にも「橋は、浜名の橋…」と書かれている。 捨て小舟 昔の小舟は、古くなると水が木の胴体に染み込んで重くなり、湖沼の淀みなどに放置されると、大部分が泥水に沈んでしまった。その惨めな姿をわが身に喩えたのである。 池田の宿 静岡県磐田郡豊田町池田。東海道本線豊田町駅から北に3km。当時は天竜川の西岸だったが、川が流れを変えたため、現在は東岸にある。 重衡の中将が…⇒背景 東夷 あずまえびす。源氏を蔑んで言った言葉。 幽かにして 「し」はサ変「す」なので、柔軟に訳せる。 小夜の中山⇒背景 いとどあはれを菊川⇒背景 真葛 葛の美称。 宇都の山 現在の静岡県宇津ノ谷⇒背景。 清見潟 現在の静岡県清水港の古名。昔、清見関という関所があった。関址は、清水興津清見寺町の清見寺。 通さぬ波の関守 関守りは人の通行を止める存在だが、波の音も、都への夢の通い路を止める関守りのような存在である。⇒背景。 富士の高峯に立つ煙 富士山が鎌倉時代に煙を上げていたことは、当時の紀行文などから明らか。 上なき思ひ⇒背景 浮嶋が原 静岡県駿東郡にある愛鷹(あしたか)山の山裾、吉原から原にかけては、かつては広大な沼地だった。 おり立つ田子 「田子」に「田子の浦」を掛ける。⇒背景 車返し 沼津市北東の古名。 竹の下 竹之下。足柄峠の2kmほど東の地名。 こゆるぎ 小余綾(こよるぎ)。小田原市酒匂と大磯の間。 春のあけぼの 枕草子序段の「春は、あけぼの」を引用したもの。 望月 奈良、平安時代に朝廷直轄、信濃最大の御料牧場「望月の牧」が置かれ、「望月の駒」と呼ばれる名馬の産地だった。長野県北佐久郡望月町。「影」と「望月」は縁語。 冷冷として 音が高く、よく響く様子。 和歌所 勅撰和歌集の選定を司った役所。天暦五(951)年に初めて置かれた。 かの宿の長者熊野が娘、侍従 この本文によれば、「熊野」は池田の宿の長者の姓であり、その娘は、「侍従」と呼ばれていたことが分かる。しかし、当時の女性は、父や兄の官職名などで呼ばれており、都では「熊野の侍従」などと呼ばれたことは十分ありうる。有名な清少納言も、「清原元輔という少納言の娘さん」というような意味の呼び名であった。 景時 梶原景時。源氏の武将で、この時、重衡の護送役だった。 八嶋の大臣殿 平の宗盛(1147〜1185)。平清盛の三男。 当国の守でわたらせ給ひし時 宗盛は遠江の守だったことはないが、平治元(1159)年11月(当時13歳)から一ヶ月、遠江の隣国駿河の守だった。その時熊野が二十歳と仮定しても、重衡が鎌倉に護送された元暦元(1184)年は、その25年後だから、重衡を池田の宿に迎えた時は45歳ということになる。熊野が「いかにせん」の歌を詠んだ清水の花見がいつのことだったかは、分からない。 暮れなんとす なは完了・強意の助動詞「ぬ」の未然形。 いかなる宿業の… 一の谷の戦いに敗れ、零落して鎌倉に護送される自分が、その旅の徒次、かつて平家全盛の時代に、自分の兄から寵愛された女性とめぐり合い、同じように歌を詠み交わすとは、何と言う運命の非情さであろうか…。 「いかなる」は疑問を表す言葉(形容動詞「いかなり」の連体形)なので、文末に「だろうか」と訳す。 承久の合戦 承久の乱(承久三(1221)年)のこと。後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げたが失敗し、隠岐に流された。 誅せられし時 「誅す」は罪を咎めて殺すこと。 夢にも人に会はぬ 昔の人の観念では、恋人が夢に現れないことは、相手が自分を忘れてしまっていることを意味した。反対に、恋人を夢に見るのは、相手が自分を深く愛しているから、夢の中にまで現れると考えた。 ひんがしの五条わたり 東の京(左京)の五条あたりに住んでいた五條の后(藤原順子)の邸に、その姪にあたる藤原高子(後の清和天皇の后で、二条の后と呼ばれた人)が仕えていた。業平はその高子と密会していた。 あるじ 五條の后 寝ななん 寝は下二段動詞「ぬ」の未然形。なは完了・強意の助動詞「ぬ」の未然形。なんは一語の終助詞で、他者に対する願望を表す。 煙と火は縁語。 袖濡るる 歌の現代語訳は、@〜Eの順に読み進むこと。 こひぢ 泥。「ひぢ」と同じ。濡るる・ 濡るる・こひぢ・田子は縁語。 |