冊子の雪
【解題】 題名の「冊子(そうし)」とは、枕草子のこと。枕草子は、平安時代中期の女流作家、清少納言により執筆されたと伝わる随筆で、「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記される。最古の鎌倉時代の写本前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。『清少納言記』などとともいった。この歌詞は、枕草子の中から、特に印象深い雪の場面を幾つか取り出し、原文を引用したり、典拠となる漢詩を引用したりして、一曲の歌詞としてまとめたもの。平安時代の貴族たちの優雅な社交の世界、美しい自然に囲まれ、知識と教養を競い合った知的な世界でのエピソードが、絵巻物のように連ねられている。曲調も内容に見合った優雅な旋律で構成されている。 【解析】 ○降るもの は、雪。 |御簾をかかげ て|見る雪は、香炉峰の雪ならず 、 降るもので素晴らしいのは、雪。清少納言が|御簾を高く上げて|見る雪は、香炉峰の雪ではない、日本の宮中の、 中宮定子のお住まいになる御殿の中庭の雪である。その雪が素晴らしい。 ○ |今 なほ|高う|降る 道に、 雪が、今もまだ|高く|降り積っている宮中の道に、五位や四位の若い殿上人たちが出勤してくる時、 ○紫の指貫(さしぬき)| 映えて 、衵(あこめ)は|紅(くれなゐ)、 花山吹 。 紫の指貫 が|雪に映えて美しく、衵の襟元 は、紅 、そうでない人は花山吹の色。 ○ |傘 少しかたぶけて、歩み 来る こそ|をかしけれ。 風が強いので、傘を少し傾け て、歩いて来るの は |趣がある 。 ○ |いと 高う、降り積もりたる夕暮は、 雪の光 |いと 白く 、 雪が|たいそう高く|降り積もった 夕暮は、庭一面に雪の光が|たいそう白く照らし、 ○宵(よひ)もやや過ぎ 、沓の音 。 宵 もやや過ぎた頃、沓の音がして、貴公子が訪ねてきた。 ○「今日(けふ)来 む人を| あはれ 」 と て、物語る こそ|をかしけれ。 「今日|訪ねて来る 人を、しみじみ懐かしいと思うだろう」などと言って、世間話をするの は |風情がある。 ○暁に梁 王の 苑に入れば 暁に梁の孝王の営んだ兎園に入ると、 ○雪 |群 山 に|満てり 雪が|連なる山々に|降り積もっている。 ○夜 ユウ公の 楼に|登れば 夜、ユウ公の南楼に|登ると、 ○月 千里 に|明らかなり 月が千里の遠くまで|明るく照らしている。(和漢朗詠集・冬・雪・374)(白賦 賈嵩) ○ 明け 暮れの頃、 |誦する声 、いたう |をかしき ものなりけり。 と、夜明けのまだ暗い 頃、帰り際に貴公子が山を眺めて|吟ずる声は、たいそう|風情があるものであった。 【背景】 降るものは、雪 ○降るもの は、雪 。 霰(あられ) | 。霙(みぞれ)は|にくけれ ど、 降るものでは、雪がすばらしい。次に霰 が|よい。霙 は|いやだ けれど、 ○白き雪の|まじりて降る 、をかし 。 白い雪が|混じって降るのは、風情がある。(枕草子・二五〇段) 御簾をかかげて見る雪は ○雪の| いと 高う|降り た る を、例ならず |御格子 |まゐり て、炭櫃(すびつ)に 雪が|たいそう高く|降り積っているのに、いつになく|御格子を|下ろし申し上げたままで、炭櫃 に ○火 おこして、 物 語 など して| |集まり |さふらふ に、 火をおこして、よもやま話などをして、女官たちが|集まって中宮定子様に|お仕えしていると、中宮様が、 ┌─―─―──-┐ ○「少納言よ、香炉峰の雪 |いか| な らむ|↓。」と仰せらるれ ば 、御格子 | |上げさせて、 「少納言よ、香炉峰の雪は|どう|であろう|か。」と仰せになるので、御格子を|他の女官に|上げさせて、 ○ |御簾を高く上げたれ ば 、 |笑は|せ|たまふ。 私が|御簾を高く上げた ところ、中宮様はお喜びになり、 | お | |笑い|になられた。 ○人々 も、「さ る ことは知り 、歌などに|さへ|歌へ | ど、 女官たちも、「そういうことは知っていて、歌などに|まで|詠んでいる|けれど、 ○ |思ひ|こそ|よら|ざり |つれ。なほ | 、 あなたのように機知をきかせて中宮様のお心を汲むなど、思い| も |よら|なかっ|た 。やはり|あなたは、 ○この宮 の| 人に は、さ(る)べき| |な(る)めり。」と言ふ 。 この宮様の|女官として 、ふさわしい |人|の ようだ。」と言った。(枕草子・二九九段) 香炉峰の雪 ○香炉峰の下(もと)に|新たに|山居を|卜(ぼく)し 、草堂 初めて成り、偶々(たまたま)東壁に題す 。 香炉峰の麓 に|新たに|山荘を|占い定めて建て、草庵が初めて出来、何気なく 東壁に書き付けた。 ○日 高く |睡(ねむ)り足りて|猶ほ|起くるに |慷(ものう)し 日は高く昇り、眠りも十分とったが、まだ|起きるのは|おっくうだ 。 ○小 閣 | 衾 を重ねて 寒 を |怕(おそ)れず 小さな家だが、布団を重ねて掛けているので寒さ も|怖く ない。 ○遺愛寺の鐘 は|枕を|欹(そばだ)てて聴き 遺愛寺の鐘の音は|枕を|縦に傾け て聴き、 ○香炉峰の雪は|簾(すだれ)を撥(かか)げて|看る 香炉峰の雪は|簾 を撥ね上げ て|眺める。 (白氏文集・十六) 紫の指貫 ○雪 高う降り て、今もなほ降る に、五位 も四位 も、色 うるはしう|若やかなる が、 雪が高く降り積もって、今もまだ降っている時に、五位の人も四位の人も、顔が整っ て|若々しい 人達が、 ○上 の衣(きぬ)の色 いと きよらにて、 革(かは)の帯 のかた つき た る を| 上着の衣 の色がたいそう美しく て、牛革 の帯を締めた 跡 が付いているのを| ○宿直(とのゐ)姿 に | ひきはこえて、紫の指貫も、雪に冴え映えて|濃さ|まさりたる|を着て、 宿直 姿風にくつろげて|裾をたくし上げて、紫の指貫も、雪に冴え映えて |一層 | |濃く|見えるの |を着て、 ○袙(あこめ)の | |くれなゐ ならず は、おどろおどろしき|山吹 を| 袙 の色が、普通は|紅 だが、そうでない 場合は|けばけばしい |山吹色なのを| ○ 出だして、から傘を差したる に、風のいたう吹き て|横さまに雪を吹きかくれば 、 襟元に出 して、から傘を差している所に、風がひどく吹き付けて|横殴りに雪を吹きかけるので、 ○ 少しかたぶけて|歩み 来るに、深き沓、半 靴(はんか)などの|はばき まで、 傘を少し傾けて |歩いて来ると、長 靴、半長靴 などの|脛あてにまで、 ○雪の|いと 白う| かかりたる こそ|をかしけれ。 雪が|たいそう白く|降りかかっているの は |面白い 。(枕草子・二四七段) いと高う、降り積もりたる夕暮は ○雪の|いと 高うはあら で、うすらかに|降り たる などは、いと こそ|をかしけれ。 雪が|たいそう高くは積もらず、うっすらと|降り積もっているのなどは、たいそう ! |赴きがある。 ○また、雪の|いと 高う|降り積もりたる|夕暮 より、端 近う 、同じ心なる|人 二三人ばかり、 また、雪が|たいそう高く|降り積もった |夕暮れ時から、縁側近くで、気の合う |女官たち二三人ほどで、 ○火桶を 中にすえて|物語 など する ほどに、暗うなり ぬれ ど、 火桶を真ん中に置いて|世間話などをしているうちに、暗くなってしまったけれど、 ○こなたには火も灯さ ぬ に、おほかたの雪の光 いと 白う見えたる に、 室内 には火も灯していないのに、庭一面 の雪の光がたいそう白く見えている所で、 ○火箸して灰など 掻き |すさみて、あはれなる も|をかしきも、 火箸 で 灰などを掻き回して|何となく|しみじみした話も、面白い話も、 ○ 言ひ合わせたる こそ|をかしけれ。 お互いに話し合ったりするの は 、趣がある 。 ┌───────────────┐ ○宵も|や|過ぎ ぬ | らむ|↓|と|思ふほどに、沓の音 |近う 聞こゆれば 、 宵も| |過ぎてしまっている|だろう|か|と|思うころに、沓の音が|近くに聞こえるので、 ○あやし と |見いだしたる に 、時々かやうの をりに、覚えなく |見ゆる 人なり けり 。 どうしたのかと思って|外を見 た ところ、時々このような 時 に、思いがけなく|訪ねてくる人なのであった。 ┌───────────────┐ ○「今日の雪を、いかに| ↓と|思ひやりきこえ ながら、 「今日の雪を|どう |ごらんになっている|だろうかと|思いやり申し上げていたのですが 、 ○なでふ 事 に|障り て、その所 に|暮らし つる 」など |言ふ。 たいした事のない雑事に|妨げられて、どこそこで|過ごしてしまいました」などと|言う。 ○「今日来ん」などやうの| すじをぞ|言ふ| らむ|かし 。 「今日来ん」など の|歌のことを!| |きっと| |言っ|ているのだろう。 ○晝(ひる)ありつる|ことどもなど |うちはじめ て、 昼 あった |こと などを| 初めとして、 ○よろづのこと を|言ふ。円座(わらふだ)ばかり |さし入れたれど、 いろいろなことを|話す。円座 だけ は|さし出したが 、片方の足は円座に上げているが、 ○ 片つ方の足は|下(しも) ながら|あるに、 鐘の音など |聞こゆるまで、 もう片 方の足は|下に下ろしたままで|い て、暁の鐘の音などが|聞こえるまで、 ○ 内に も|外(と)に も、この 言ふことは|飽か ず ぞ|覚ゆる。 部屋の中の女官たちも、外にいるこの男も、ここで話すことは|興が尽きないように!|感じる。 ○ 明け 暮れのほどに|帰るとて、「雪 何 の山に|満て り」と| 誦(ず)したる は、 夜明けのまだ暗い 頃 に|帰る時に、「雪が何々の山に|降り積もっている」と|漢詩を吟じ た のは、 ○ |いと |をかしきもの な り。 この場に相応しく、たいそう|興趣深いものである。 ○女 |の限りしては、さ |も| え |ゐ明かさ |ざら |まし を、 女官たち| だけ で は、このように| |語り明かしなど| |も|出来| |なかっ|ただろうが、 ○ |ただ なる |よりは|をかしう 、 今宵はせっかくの雪の夜を|ただ普通に過ごす|よりは|趣き深く過ごして、 ○ |すきたる有様など | 言ひ合わせたり。 その時の|風雅な 有様などを後で|皆で話し合っ た 。(枕草子・一八一段) 今日来ん人を ○山里は|雪 降り積み て|道もなし |けふ| 来 む人を| あはれ とは|見 | む 山里は|雪が降り積もって、道もないほどだ。今日|訪ねて来る 人を、しみじみ懐かしいと!|思う|だろう。 (拾遺集・巻第四・冬・251・平兼盛) |
作詞:石川潭月 作曲:上原真佐喜 【語注】 降るものは、雪⇒背景 御簾をかかげて見る雪は⇒背景 香炉峰の雪⇒背景 指貫 袴の一種。裾を紐で指し貫いたところから言う。紐をくるぶしの上で縛る。活動しやすいので、貴族の平常服としても広く用いられた。 袙 男子が束帯・直衣(なおし)を付ける時に下襲(したがさね)と単衣(ひとえ)の間に着る衣服。色は表裏ともに紅だが、壮年は萌黄(もえぎ)や薄色、老人は白色を着た。 今日来む人を⇒背景 梁王の苑 前漢の梁の孝王(六代目景帝の弟。BC145年没)の営んだ兎園のこと。文選、雪賦に、梁王が兎園に遊んで置酒したとある。 ユウ公 「ユウ」は广(麻垂)」の中に臾。ユウ公は、ユウ亮。晋書、ユウ亮伝に、亮が武昌にあった時、秋夜南楼に登ったとある。 炭櫃 櫃は箱。箱型の火鉢のこと。 香炉峰 江西省の廬山(ろざん)の一峰。 遺愛寺 香炉峰の北にある寺。 五位も四位も 五位と四位は殿上人と呼ばれ、権門の若い子弟などもいて、華やかな存在だった。三位(さんみ)以上は公卿と呼ばれ、政治の中枢を担った。 上の衣 貴人の男子が衣冠・束帯の正装の時に着用する上着。袍(はう)。五位の袍の色は緋、四位のは紫。 なでふ事 「何と言ふ事なき事」が「なにてふ事なき事」→「なでふ事」と短縮化されて出来た語。打消の語が省略されてしまったのは、現代でも「何気なく」を「何気に」、また「気持ち悪い」を「きもい」と言う人がいるが、それと似ている。 今日来ん⇒背景 円座 藁で作った丸い座布団。 |