里の暁

【解題】

 
初夏の短か夜のほととぎすの声と蛍の光に、闇夜の中に漂う亡き人の魂を感じ取り、もう一度その人がこの世に返ってほしいという思いがこみ上げてくる。その願いも、明け行く空に立ち上る蚊遣り火の煙とともに消えてゆく。短くまとまった情景描写の中に痛切な哀悼の気分が巧みに表現されている。この曲は、歌詞の内容から、追善物とされている。

【解析】


○梓弓、        |  入る 方 |ゆか し |夕月の|匂へ       る|春も|たちばなの  |
 《弓》  
        《射る》                          |立ち     |
 梓弓を張ったような月が|西に沈む行方を|見ていたい|夕月の|匂うように霞んでいる|春も|去り、    |
                                            |橘   の香る|

○夏    |来|に|け(る)|らし 。  一声は、山郭公(ほととぎす) |鳴き  捨てて、
 夏がやって|来| た    |ようだ。あの一声は、山郭公      が|鳴き声を残して、

○   あやめも|知らぬ |鳥羽玉(うばたま)の、闇夜        |を照らす蛍 火の、その 影  さへも、
                                             <カゲ>

 ものの区別 も|付かない|烏羽玉     の|闇夜に消えたのだろう。
                       |闇夜        |を照らす蛍の火の、その 光 にまでも、

○ かげろふの、  立ち          |まさり      | た る|思ひ寝の  、
 <カゲ>
 《かげろふ》  《立ち》

   陽 炎 が|  立つように|あの人の姿が|ますますはっきりと|
       |目に浮かん  |      |         |でいる|思い寝の中で、漢の武帝が|

○亡き    魂(たま)|  返す    |もろこしの、その    故事(ふること)の|忍ば  れて 。
 亡き李夫人の魂   を|呼び返したという|中国  の、その反魂香の故事     が|思い出されて…。

○         |空だき    ならぬ|     |煙の    末も、
 ここに焚かれている|空だきの反魂香ならぬ|蚊遣り火の|煙の立ち上る先も、

                           ┌───────────────┐
○妙(たへ)   に|薫(かを)り し |雲の端の、いづち |行く  |    らん|
 不思議なほど美しく|薫    っている|雲の端の、どこ に|行き着く|ことであろう|か。

○          |  短夜(みじかよ)の|空   。
 もうすぐ明けてしまう|この短夜     の|空の中で。

【背景】

○ほとゝぎす |声も|  高 音の|横雲に|鳴き  |捨てて|     行く|曙の空
 ほとゝぎすが|声も|  高い声で|
          |山の高 嶺の|横雲に|鳴き声を|残して|飛び去って行く|曙の空であることよ。

                                 (続千載集・巻三・夏・永福門院)

 蛍火

○もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る
                            (後拾遺集・巻第二十・雑六・1162・和泉式部)

作詞:後楽園四明居
作曲:松浦検校
箏手付:浦崎検校



【語注】


梓(あづさ)弓 梓の木に弦を張っただけの最も簡素な弓。古代からある。弓は「射る」ものなので、「入る」に掛かる枕詞となる。
ゆかし 「行かし」が語源と言われる。「行きたい・見たい・知りたい」の意から、後世は「奥ゆかしい」の意になった。
夕月 陰暦三日から十日くらいまでの、夕方だけ見える月。
鳴き捨てて⇒背景
鳥羽玉の 「闇・夜・黒」などに掛かる枕詞。「ぬばたまの」とも言う。
陽炎が同音反復。
蛍火⇒背景
思ひ寝 恋人を思いながら寝ること。
もろこしの、その故事 反魂香(はんごんこう)のこと。漢の武帝が、李夫人の死後、香を焚いてその煙の中にその面影を見たという故事。
空だきならぬ 「空だき」はどこで焚くのか分からないように、部屋や家の中に香を燻(くゆ)らすことで、ここでは反魂香のこと。作者は今目の前に焚かれている蚊遣り火の煙を反魂香になぞらえ、故人の魂を呼び戻してくれたら、と願っている。

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