小督(こがう)の曲
【解題】 山田流四つもの(熊野、小督の曲、葵の上、長恨歌)の一つ。平家物語第六、「小督」を題材にして歌詞としたもの。小督の局は桜町中納言、藤原成範の娘で、高倉天皇の中宮、平徳子(後の建礼門院)に仕えた女房だった。小督は宮中一の琴の名手で、天皇に寵愛された。また、それより前、平清盛の娘婿だった冷泉大納言藤原隆房がまだ少将の頃、契りを交わしたことがあった。清盛は、二人の婿(天皇と隆房)の愛情を小督に奪われたことを深く恨み、小督を呼び出して殺そうと図った。小督は世を憚って嵯峨野の奥に隠れたが、帝は小督を思い切れず、弾正大弼(だんじょうだいひつ)源仲国に命じて密かに小督を呼び返させた。この曲は、仲国が小督を探して嵯峨野を巡るところから、宮中に連れ戻すところまでを歌ったものである。後日談では、小督は宮中に帰ったものの、その後、清盛におもねる者から秘密が漏れて、無理やり出家させられてしまったと言う。 【解析】 ○「牡鹿鳴く、この山里」と |詠じ|け む 、嵯峨のあたりの|秋の頃、 「牡鹿鳴く この山里」と古人が歌に|詠ん|だという、嵯峨のあたりの|秋の頃、 ○千 草 の花も|様々に 、虫の恨みも| 深き|夜の、月 に| |まつ虫 |招く は尾花、 多くの種類の花も|様々に咲き、 |様々に |虫の恨みも| 深い、 |その深い|夜の、月の光の中で|恋人を|待つのは| | 松 虫 、 |恋人を| |招くのは尾花、 ○萩(はぎ)には露の|玉虫や 。 そよぐ|荻(をぎ)虫 くつわ虫、 鳴く音に|つれ て|仲国が、 《 轡 》 萩 には露の|玉 が|宿り、 |玉虫が|光る。風にそよぐ|荻の中に| |荻 虫やくつわ虫、その鳴く音に|引かれて|仲国が、 ○ 寮の御馬 |賜はりて、 宿直(とのゐ)姿の|藤袴 | たづぬる| |人の| 《馬》 馬寮の御馬を|拝借して、宮中に宿直した 服装の|藤袴で、小督を| 尋 ねて|嵯峨野を訪れる。 |その 尋 ねる| |人が| ○面影に | 立つ |薄霧の|をみなへし、 |そ れ| か|あらぬ| か、 面影となって|目に浮かぶ 、薄霧が| | 立つ中に| | 立つ | |女 性 |のように見える| |女 郎 花| |は、その人|だろうか、ちがう|だろうか、 ○ |幻 の、蓬 が島根 |尋ねわび 、 駒 |引きとむる|笹 のくま 、 昔楊貴妃の魂を捜す|幻術師が、蓬莱の島 を|尋ねあぐねた時の様に、仲国が駒を|引き止める|笹藪の 隅 、 |その|笹藪の 隅 に、 ○ やすらふ| 蔭|の|松風に|通 ふ、 通ふ | 爪音| 妻恋ひの、 |音に 寄る| 鹿に <ツマ> <ツマ> 一休みする| 松の | |木陰 に|訪れる、 |松風に| |似通った|琴の爪音、その、妻恋いの、牡鹿の|声に近寄る|雌鹿では ○あらね|ども、昔 |おぼゆる |笛竹 や、合はす |調べの| |まがひなき、 ない| が 、昔合奏した事が|思い出される|横笛と!| |調べを| |合わせてみると、 |小督の局に|間違いない、 ○ 声を|しるべに |慕ひ よる 、嵯峨野の奥の|片折戸 。 その琴の音を|たよりに仲国が|引かれて近づく、嵯峨野の奥の|片折戸の家。 ○想夫恋の唱歌は、 比翼の翅(つばさ)の | 雲居 |を恋ひ 、 想夫恋の唱歌は、 鳥の翅 が |高い空|を目指すように、 |帝と比翼の翅 となろうと誓い合った| 宮中 |を恋い慕い 、 ○盤渉調の調べは、 松の|連理の|枝に |かよふ 。 盤渉調の調べは、 帝と|連理の|枝となろうと誓い合った| |宮中の松の| |枝を |訪ねるかのようである。 ○小督の局 、世を忍ぶ| 住家も、明日は大原に| |かへ| ん | |姿の| 小督の局の|世を憚る|嵯峨野の奥の住家も、明日は大原に| |替え、 |髪も下ろして尼の形に|変え|よう|という|姿の| ○名残り とて、夜半に 手 ならす|つま琴|の、岩 越す| |思ひ |堰き |かねて、 《つま琴》 《岩 越す》 《せき》 名残りを惜しん で、夜半に、弾き馴らす| 爪 琴、 | 妻 琴|の、岩を越す|ほどに溢れる|思いを|堰きとめ|かねて、 ┌──────────―――────┐ ○涙に袖を|かしはば | や、人 目も|いかが |怪(あや)め |がた| ↓、 《 柏 葉 》 《菖蒲 形 》 涙に袖を|貸してこんなに濡らし|ては、人の見る目も|どんなに|見とがめる | |だろうか、 ○ 糸の色音を|しるべ|に て、 さし入る月の | 雲居 |より、御使ひに|参り しと、 《 雲井 》 箏糸の音色を|道案内|にして、軒端に差し込む月の光のように|高い空、 | 宮中 |から|お使いに|参りましたと、 ○かしこき|君|が|みことのり| 。 恐れ多い|帝|の|お 言 葉 |を伝える。そして仲国は、 ○野辺の|をち方| |分け 来つる、 露の|たまづさ| |さしよする、妻戸の| 端 の 野辺の|遠く |から| | 露を| |分けて尋ねて来 た 、その露の| 玉 |に濡れた | | 手 紙 | を|差し出す 、妻戸の|そばの ○ |縁 |の綱 、 また | |ひき 結ぶ | |御かへりごと、 《縁》 ≪綱≫ ≪引き≫《結ぶ》 縁側で、 |小督が|畳んで 結ぶ |帝への|ご返事の手紙、 小督は、帝との|縁 |の綱を|もう一度 |つなぎとめる 。 ○ |添へて |賜はる | 五衣(いつつぎぬ) 。 <ギヌ> それに|添えて仲国には使いのご褒美として| |女官の五衣 を| |下さった| 。 ○ |きぬぎぬ |贈るほどもなく、 迎ひの 車 |たてまつり 、 <キヌギヌ> 天皇は| 後朝 の文を|贈る 間 もなく、急いで小督への迎えの牛車を|差し向け 申し上げ、 ○ |昔に|かへる|ももしき| | や、 小督は|昔に|返って| 宮中 |に |帰って |暮らすようになった|ことだ! ○昔にかへる|ももしき| や、千代を 契りの |松の |言の葉| 。 | 宮中 |の! |松のように| |末永く夫婦の契りを守った| | 物語 |である。 【背景】 牡鹿鳴く、この山里 ○牡鹿 鳴く|この山里の| さが | な れ| ば 寂しかりける 秋の夕暮れ 牡鹿が鳴く|この山里の| 嵯峨 という所の| |習わし |である|ので、寂しいことよ、秋の夕暮れは。 (伝在原業平) ○山里は秋 |こそ|ことに|わびしけれ 鹿の鳴く音に|目を覚まし|つつ | 山里は秋が| ! |ことに|わびしいことだ、鹿のなく声に| |何度も| |目を覚まし|ては 。 (古今集・巻第四・秋上・214・壬生忠岑) 松虫 ○秋の野に 人 |まつ虫|の声 す | なり 我 かと |行きて|いざ|とぶらは| む 秋の野に恋人を|待つ | | 松 虫|の声がするのが|聞こえる。私を待つのかと思って、 |さあ、 |行って| |訪ねて |みよう。 (古今集・巻第四・秋上・202・読人知らず) 招くは尾花 ○秋の野の |草の| |たもと| か|花すすき | 《すすき》 秋の野のさまざまの|草の|中で、草の|たもと|だろうか、花すすきは。それで、風に揺れて、忍ぶ想いを ○ ほに|出でて 招く袖 と |見ゆ | らん 《穂》 表に|出して、恋人を招く袖のように|見える|のだろうか。(古今集・巻第四・秋上・243・在原棟梁) 藤袴 「藤袴」は菊科の多年草で、高さ1メートル余。秋の七草の一つ。また、襲(かさね)の色目の一つに「藤袴」があり、裏表とも紫。 ┌──────────────────────┐ ○なに 人 |か| 来て|脱ぎかけし|藤 袴| ↓ どういう人が |やって来て、脱ぎ掛けた|藤色の袴|であろうか。 ○ |来る|秋 |ごとに|野辺を賑はす 藤袴の花は、 |毎年 | |秋が| |来る| |たびに、野辺を賑わすことよ。(古今集・巻第四・秋上・239・藤原敏行) をみなへし 多年草で山野に自生する。高さ一メートルほどの草で、秋に黄色い小花を多数付ける。一説に「をみな」(美女)をも「圧(へ)す」(圧倒する・へこます)美しい花の意という。 ┌───────┐ ○人の 見ること や|苦しき ↓|をみなへし 人が自分を見ることが |恥ずかしいのか、女郎花 よ、 ○ 秋 霧に|のみ |立ち 隠る | ら ん それで、秋の霧に| |立ったまま隠れて| |ばかり| |いるのだろう。(古今集・巻四・秋上・235・壬生忠岑) 蓬が島根たづねわび ○ |君王 |展 転 | の|思ひに |感ずるが為に 道士は、|天子が|夜も寝られず|楊貴妃のことを|思っていることに|同情し て 、 ○遂に 方士|をして 慇懃に |覓(もと)め|しむ とうとう 部下の仙人|に命じて 丁寧に 楊貴妃の魂を|探さ |せ た。 ○ |空(くう)を排し 気に馭して 奔(はし)ること 電(いなづま)のごとく 仙人は、|空 を分け、風に乗って、走り回る こと 稲妻 のごとく ○天に昇り 地に入りて | 之 を求むること|遍(あまね)し 天に昇り、地にもぐって、 |隅々まで |これを捜し求めた。 ○上は碧落を|窮め 下は|黄泉 上は青空の|果てまで探し、下は|黄泉(よみ)の国まで探したが、 ○両処 |茫茫として |皆 見えず どちらも、つかみ所がなく、|何も見えなかった。(白楽天・長恨歌) 笹のくま ○笹の隈(くま)檜(ひ)の隈河 |に|駒 止めて|しばし | 水 |飼え 檜 の隈河の| 笹の陰 |に|駒を止めて、しばらく|馬に水を|飲ませて下さい。 ○ |影|を| だに |見| む | その間、 | せめて 、 |あなたの、水に映った|姿| |だけでも|見|ていたい|から。(古今集・巻二十・神遊び・1080) 松風に、通ふ爪音・想夫恋 ┌─────────────────────────┐ ○ 琴の音に峰の松風 | 通ふ | らし |いづれの|尾 より| |調べ初め|け ん | 《琴》 《緒》 | ↓ 琴の音に峰の松風が| 訪れてくる|ようだ|。ど の|尾根から|松風の音が|響き初め|たのだろう|か。 |似通っている|ようだ|。ど の|糸 から| 琴 の音が|鳴り初め|たのだろう|か。 (拾遺集・巻八・雑上・451・斎宮女御) この歌を古い例として、琴の音はしばしば松風に例えられる。平家物語の本文には、次のようにある。 ○亀山の辺り近く、松の一むらある方(かた)に、かすかに|琴 ぞ|聞こえ|ける。 |琴の音が |聞こえ| た 。 ○峰の嵐 か、松風 か、尋ぬる人の琴の音 か、おぼつかなく は|思へ |ども、 峰の嵐だろうか、松風だろうか、尋ねる人の琴の音だろうか、はっきり分からないと |思った| が 、 ○駒を速めて行くほどに、 片 折 戸 |したる 内に、琴をぞ|弾き|澄まさ| れ | た る。 |扉一枚の粗末な門を|構えた家の中で、琴を!| |一心に| お | |弾き| |になっ|ていた。 ○ |控へて 是 を|聞き|けれ| ば 、少しも紛(まが)ふ|べう|もなき、小督殿の爪音なり。 仲国が馬の歩みを|抑えてこれを|聞い| た |ところ、少しも間違う |はず|もない、 ○「楽は何 ぞ」と 聴きけれ ば、「夫を想うて恋ふ」と詠む想夫恋といふ|楽 な り。 「曲は何だろうか」と思って、聴いていると、「夫を想って恋う」と書く想夫恋という|曲である。 ○さればこそ 、 | 君|の御事 思ひ出で|参らせ て、 楽 |こそ|多けれ 、 この楽を 予期した通り、小督殿は|ご主君|の 事を思い出し|申し上げて、雅楽の曲| は |多い が、特にこの曲を ○弾き|給ひ |ける |やさしさよと|思ひ、腰より横笛(やうでう)|抜き出だし、ちっと| 鳴らいて、 |お | 弾き|になっ|ていた|優雅 さよと|思い、腰から横笛 を|抜き出し 、ピッと|吹き鳴らして、 ○門(かど)を|ほとほとと|叩けば、やがて |弾き止み|給ひ |ぬ。 |とんとんと|叩くと、すぐ 琴を|弾き止め|なさっ|た。 しかし、雅楽にはこの名の曲はなく、現実にあるのは「相府蓮」という曲である。物語をロマンチックにするため、架空の曲名を作ったのだろう。『徒然草』214段にも次の記述がある。「相府」は大臣の官邸の意である。 ○想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふるゆゑの名にはあらず。もとは相府蓮、文字の通へるなり。晋(しん)の王倹(おうけん)、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。 |
作詞:横田袋翁 作曲:山田検校 【語注】 牡鹿鳴く、この山里⇒背景 まつ虫⇒背景 招くは尾花⇒背景 尾花 すすきの穂を花に例えて言ったもの。 荻虫 尺取虫のこと。 くつわ虫 くつわ(轡)と馬は縁語。仲国が馬に乗って登場することを暗示する。「がちゃがちゃ」「くだまき」とも言う。 寮 ここは馬寮(めりょう)のこと。天子の馬を飼う役所。 藤袴⇒背景 をみなへし⇒背景 蓬が島根たづねわび⇒背景 駒 元は「子馬」の約。「馬」の歌語として使われることが多い。 笹のくま⇒背景 松風に、通ふ爪音⇒背景 笛竹 横笛。仲国は横笛の名手で、昔宮中で小督の局の琴と合奏したことがあった。 片折戸 一方だけちょうつがいで開く戸。粗末な家であることを表している。 想夫恋⇒背景 唱歌(さうが) 楽器の旋律に合わせて歌を歌うこと。 比翼の翼・連理の枝⇒背景 雲居 「雲の居る所・高い空」の意。「雲井」は当て字。ここは「宮中」の意も掛けている。 盤渉調 中国で定義された音楽の十二律の一つ。洋楽のロ(H)調に当たる。十二律は、壱越・断金・平調・勝絶・下無・双調・鳧鐘・黄鐘・鸞鏡・盤渉・神仙・上無。 大原 大原は高野川を京から十二キロも北に遡った地であり、そこに居を移して出家するということは、都の生活から完全に離れることを意味した。 つま琴 爪で弾くところから、箏の異称。妻が弾く筝の意にも使われる。以下、「岩越す」「せき」「柏葉」「菖蒲形」「雲井」は「琴」の縁語。 岩越す⇒背景 せき 筝の裏板の内側に横に渡してある木。 かしはば(柏葉) 筝の末尾の装飾に張ってある柏葉の形をした薄板のこと。 あやめがた(菖蒲形) 筝の形の名称の一つ。 怪(あや)め 終止形は「あやむ」。マ行下二段活用。 雲居 箏の調弦法の一つの雲井調子を掛ける。 妻戸 開き戸のこと。「引き戸」は「遣り戸」と言う。 縁の綱 男女の縁を綱に譬えた。縁と結ぶ、綱と引くは縁語。 ひき結ぶ 書いた手紙を細く畳み、結び目を作ること。 五衣 五枚重ねの袿(うちぎ)。 きぬぎぬ 男女が契りを交わした翌朝、男が女の許に手紙を届けさせた。これを後朝(きぬぎぬ)の使い・後朝の文と言う。ここは帝が仲国を介して小督と消息を交わしただけなので、「帝からの翌朝の挨拶の手紙」程度の意味。 きぬぎぬ贈るほどもなく 平家物語によると、天皇は仲国が宮中に帰った夜の翌日の夕刻、小督への迎えの車を急ぎ差し向けられた。 牡鹿鳴く 鹿が鳴くのは求愛行動の一つで、成獣(大人)の雄が、秋にだけ鳴く。 声すなり 「なり」は伝聞推定の助動詞。 秋の野の草のたもとか 秋の野に咲く草の総体を人の姿になぞらえ、その中で花すすきを袂の部分と見立てた。すすきと袂・袖を結びつけた歌の代表的なもの。 すすきと穂は縁語。 琴と緒(琴糸)は縁語。 亀山 大堰川(桂川)の南岸に嵐山があり、北岸に小倉山、亀山がある。 弾き澄まされたる 「澄ます」は「心を込めて…する」意。「笛を吹き澄ます」「行ひ澄ます」などの例がある。 君 高倉天皇のこと。 横笛 「オウテキ」と読むと「王敵」に通じるので、これを忌んで「ヨウジョウ」と読むと言う。 長生殿 驪山の麓にあった玄宗皇帝の離宮華清宮の中の宮殿の名。 比翼の鳥・連理の枝 翼が連なっている雌雄の鳥と、別々の木の、木目(理)が繋がった二本の枝。ともに想像上のもので、男女または夫婦の仲が深く睦まじいことの喩えで、「比翼連理」とも言う。 |