【解題】
奈良の春日大社への参詣の道すがらの風景を描写しつつ、それに南都八景(奈良八景)の名所旧跡と季節の景物の描写を重ねる。縁語・掛け言葉、同音反復などを巧みに用いて言葉を滑らかにつなぎ、場面の変化、季節の変化を表現している。
【解析】
○いにしへの、奈良の都の|八重 霞 、春日の野辺 の|さ牡鹿の、角も|いつ し か|
<ガス><カス>
旧都 の|奈良の都の|幾重にも棚引く 霞の中、春日の野辺に住む | 牡鹿の|角も|いつの間にか|
○をちこちの、往き来の人の眺めぬる、南円堂の藤波や、 盛りは 夏に| |かかり たる、その|松がえの
落ち 、
あちこちの|往 来の人の眺めた |南円堂の藤 は、花盛りは春から夏に| |かけてで 、その|
|藤が|懸かっている |松の枝の
○ ふりもよく、三笠の山や|雲井坂、雨 に越え 行く |うば玉の、闇 の蛍か金砂子 、
《笠》 《雲》 《雨》
枝ぶりもよく、三笠の山や|雲井坂を雨中に越えて行くと| |闇の中の蛍か金砂子かと|
|怪しむほど蛍が光り、
○ 棹 さす舟の 佐保川に、風も 涼 しき 鈴 の音の 、 ふるの社の神さびて、
<サオ> <サホ> <スズ> <スズ>
《鈴》 《振る》
棹 さす舟が上り下る佐保川に、風も 涼 しく感じる鈴舟の
鈴 の音が響き、布留の社は神々しく、
○けがれ 心も| 猿 沢の、池に宿れ る|月の影 。
穢 れた心も|洗い去る 、
| 猿 沢の|池に映っている|月の光も清らかである。
○昔 の| 人 の |形見ぞと、 見るや 采女が |
昔、帝の寵愛が薄いのを悲観した |采女が残した|形見だと|思って見る!その采女が猿沢の池に入水した時に|
○衣(きぬ)かけし、 柳も一葉 散る |秋の 、
衣 をかけた、采女柳も一葉が散って|秋となり、
○舟を たくみし| |ささがに |の
|その柳の葉に乗って水に浮かんでいる| 蜘 蛛
を見て、
船を工夫して作っ た| |という|
○そのふることを|思ひ 寝 の、枕に響く |とどろきの、橋 |踏み鳴らす駒の足 、
《駒》
その古い伝説を|思いながら寝ていると、枕に響いてくる| 轟 の 橋を|踏み鳴らす馬の足音、
○鳴く や|鈴虫 くつわ虫 、
《鈴》 《くつわ》
| 鈴 虫やくつわ 虫も|鳴くことよ。
○ 悋 気の かほも| 三輪の里 、糸 繰りかへす |たまづさ| や。
《リン》 ≪糸≫ ≪繰り≫
嫉 妬深い表情も| 見えた |
|お三輪の住んでいた|
| 三輪の里の伝説 、糸を|手繰って恋人の正体を知り、
| | 繰り 返 し送る | 恋文 |であることよ。
○板 屋 に| はしる|玉あられ 、すゑ は|雪とも|なら ざらし、
|玉あられ| |奈良 晒 し|
<ザラ>
板葺きの屋根に|落ちて跳ねる| あられの |
|玉 は、やがては|雪とも|なるだろう 。
○ |さらせ る|さらせる|布の白妙 に、絶え ず 、絶えず| 歩みを運ぶ|なる 、春日の宮の|
<サラ>
川の水に|晒している、 |布は真っ白で、絶え間なく、 |人々がお参りする|と言う|春日大社の|
○たふとさは、書くとも|尽き じ 、やまと言の葉 。
尊 さは、 | 言 葉で|
|書いても|尽くすことは出来ないだろう。
【背景】
いにしへの奈良の都の
○一条院 御時、奈良の八重桜を 人の |奉りて侍りけるを、そのをり御前に侍り けれ ば、
一条院が在位の御代、奈良の八重桜をある人が帝に|献上しました が、そのとき御前に伺候していました ので、
○その花を |賜(たま)ひて、歌 詠めと|仰せられければ 、詠める| 。
その花を私に|下さっ て、歌を詠めと|仰っ た ので、詠んだ|歌。
○いにしへの|奈良の都の八重桜 | けふ | 九 重 に|匂ひ |ぬる|かな
旧都 の|奈良の都の八重桜が、 今日 、ここのあたり |
|新しい都、
京 の| 宮 中 で|美しく咲い|た |ことよ。
(詞花集・巻第一・春・29・伊勢大輔)
「いにしへ」と「けふ」、「八重」と「九重」の対比が一歌の眼目で、この即興の詠に道長をはじめ「万人感嘆、宮中鼓動」したと袋草子は伝える。
八重霞、春日の野辺の
○京極御息所春日に詣で侍りける時、国司の奉りける歌あまたありける中に、
○春がすみ |春日の野辺に|立ち わたり|満ちても |見ゆる|みやこ人かな
<ガス> <カス>
春がすみが|春日の野辺に| 一面に|
|立ちこめて 、溢れるほどに|
|立ち並んで | |見える|みやこ人たちであることよ。
(藤原忠房献上・拾遺集・巻十六・雑春・1046・凡河内躬恒)
角もいつしかをちこちの
「落ち」は正しくは「おち」。鹿の角は三月ごろ前年の分が落ち、五月ごろ生える。しかし三百年ほど前から、十月に角を切り落とすようになった。これは、一番角が硬くなる十月が鹿の発情期と重なるので、牡鹿同士が傷付けあったり、人間に危険が及ばないようにという配慮からである。
南円堂の藤波
南都八景の一つ。南円堂は興国寺の境内にあるお堂で、弘仁十四(西暦823)年、北家藤原冬嗣によって建てられた。古代には藤棚というものはなく、藤はたいがいは松の枝に懸かっており、風が吹くと波のように揺れたので、藤波と言う。
南都八景(参考)
僧蔭涼軒真蘂が将軍足利利義にお供して春日詣に出かけ、風光明媚な風景として日記に記したのが始まりとされている。
「東大寺の鐘・春日野の鹿・三笠山の雪・猿沢池の月・佐保川の蛍・雲井坂の雨・轟橋の旅人・南円堂の藤」の八景で、この曲の歌詞には、「東大寺の鐘」を除く七景が詠み込まれている。アンダーラインはこれに関係する部分。
三笠の山
三笠山は現在の若草山のこと。山頂が三つあり、三つの笠が重なっているように見えるので三笠山と呼ばれたという説と、「御傘」の意という説がある。1935年、この山名に因んで三笠宮家が創設された際に、同じ名前では恐れ多いとして山焼きに因んで若草山と改称した。
雲井坂 奈良県庁の東側、現在の国道169号線沿いにあるゆるやかな坂。「雲井坂」の碑が立っている。林宗甫著『大和名所記・和州旧跡幽考』には、次の歌が引用されている。
○村雨の晴れ間に越えよ |雲井坂 |三笠の山は|程ちかくとも
|み笠|
|雲井坂は|
村雨の晴れ間に越えなさい。 |三笠の山は|近くにあり、
| 笠| は|手元にあっても。(奈良八景・為重)
采女 諸国から選ばれて献上された若い女官。この采女は、『大和物語』に書かれている。
○昔、奈良の帝に仕うまつる |采女 ありけり。容(かほ)貌(かたち) |いみじう きよらにて、
昔、奈良の帝にお仕えしている|采女がい た 。顔 かたち が|ものすごく美しく て、
○人々 よばひ、殿上人などもよばひ けれど、 |あは ざりけり。そのあは ぬ 心 は、
人々が求婚し、殿上人なども求婚したけれど、誰とも|結婚しなかった。その結婚しない理由は、
○帝をかぎりなうめでたき 物になむ思ひ奉り ける 。 帝 召してけり。
帝をかぎりなく素晴らしい人と 思い申し上げていたからである。ある時、帝はその采女を召し寄せた。
○ さて後、又も 召さ ざりければ 、 |限りなく心憂しと思ひ けり。
しかしその後、それ以上は召し寄せなかったので、采女は|ひどく つらい 気持ちになった。
○ 夜 晝 心に|かかりて |おぼえ |給ひ |つつ、 |恋しくわびしう|おぼえ |給ひけり。
帝は夜も昼も采女の心に|忘れがたく|感じられ|なさり 、また、恋しく寂しく |感じられ|なさった。
○帝は召ししかど、ことともおぼさず。さすがに |常には| 見え 奉る 。
そうはいっても、普段は|帝にお目にかからない訳にはいかない。これでは|
○なほ |世に経(ふ)|まじき |心ち |しけれ
ば 、夜、みそかに猿沢の池に身を投げ|て |けり。
とても|生きて行け |そうもない|気持が|し
た ので、夜、ひそかに猿沢の池に身を投げ|てしまっ|た 。
○かく 投げつ とも|帝は|え知ろしめさざりけるを、ことのついで ありて|
そのように身を投げてしまったとも|帝は|ご存知にならなかったが、ことのついでがあって、
○人の奏 しけれ ば、 |聞こし召してけり。 |いと いたう|あはれがり|給ひ |て、
人が奏上した ので、そのことを|お聞きになった 。帝は|たいそうひどく|あわれに |お |
|思い |になっ|て、
○池のほとりに|おほみゆきし給ひて、人々に歌 |詠ま|せ|給ふ 。柿本の人麿、
池のほとりに|お出まし になって、人々に歌を| |お |
|詠ま|せ|になった。柿本の人麿、
○わぎもこ の|寝くたれ髪を| 猿沢の池の|玉藻 と 見る ぞ|悲しき
いとしい乙女の|寝乱 れ髪を、今は猿沢の池の|玉藻になってしまったかと思って見るのは|悲しいことだ。
○と詠める時に、帝 、
と詠んだ時に、帝は、
○猿沢の池も|つらしな |吾 妹子が| 玉藻かづか ば|
猿沢の池も|無情だなあ、私のいとしい乙女が|身を投げて玉藻の中に沈んだら、
○水 ぞ|干(ひ)|な | まし
水が!|乾い |てしまえ|ばよかったのに。
○と|詠み|給ひ |けり。さ てこの池には、 墓 | せ |させ|給ひて|なむ|
と| |お |
|詠み|になっ|た 。そしてこの池には、采女の墓を| | お |
|作り| になっ て|ネ!|
○帰ら|せ|おはしまし|ける|と|なむ| 。
| お |
帰り|になっ | た |と|ネ!|いう話だ。 (大和物語・百五十段)
舟をたくみしささがにの
「ささがに」は「蜘蛛」。「ささ」は「小さい」の意で、蜘蛛は形が小さな蟹に似ていることから、「ささがに」が蜘蛛の異称となった。太古の中国で、伝説上の皇帝である黄帝が烏江という河の対岸にいる賊徒を平定しようとしたとき、臣下の貨狄(かてき)が、水に浮いている柳の落葉に蜘蛛が乗っているのを見て舟を発明し、舟で河を渡って平定に成功したという伝説がある。(謡曲『自然居士』など)
轟の橋 轟橋。所在地は現在は不明だが、前掲『大和名所記・和州旧跡幽考』には、「東大興福両寺の中間、押明の門の南のほとり此の橋のならびの北に雲井坂あり。」とあり、雲井坂の少し南、吉城川にかかってたという。次の歌が引かれている。
○うち渡る人目も絶えず行く駒の踏みこそ鳴らせとどろきのはし (小倉前中納言藤原定継)
三輪の里
古事記の「三輪山伝説」で知られる。三輪の里に活玉依姫(いくたまよりびめ)という容姿端麗な娘がいた。そこに立派な身なりの男が夜中にどこからともなく通ってきた。お互いに愛し合っているうちに、ほどなく娘は妊娠した。娘は両親に問われてその訳を話したが、その男がどこの誰かが分からない。そこである夜、男の裾(すそ)に糸を縫い付けておいた。翌朝、その糸を見ると、鉤(かぎ)穴を通って外に出て、残っている糸は三輪(さんわ)だけだった。糸を辿って行くと、三輪山の神の社まで続いていた。そこでこの男は三輪の神の子であると分かった。その糸が三輪残っていたので、この地を三輪(みわ)と言うようになった。
歌舞伎の『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』はこの伝説をもとにして作られ、活玉依姫は、嫉妬深い酒屋の娘お三輪に替えられている。
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作詞:不詳
作曲:初世山登検校
【語注】
春日(かすが) 春日を「かすが」と読むのは、「かすが」という地名に掛かる枕詞「春日(はるひ)の」の「春日」を借用したもの。同様の例として、「明日香」に掛かる枕詞「飛ぶ鳥の」を借用して「飛鳥」を「あすか」と読むようになった。
いにしへの奈良の都の⇒背景
八重霞、春日の野辺の⇒背景
角もいつしかをちこちの⇒背景
南円堂の藤波⇒背景
三笠の山⇒背景
雲井坂⇒背景
うば玉の 「ぬばたまの」とも言う。「夜・闇・黒」などに掛かる枕詞。
笠・雲・雨は縁語。
金砂子 金箔を細かい粉にしたもの。色紙、蒔絵などに散らして装飾に用いる。
佐保川 奈良県東部の春日原生林に発し、奈良盆地を貫流、大和郡山市額田部南町で大和川に注ぐ。
鈴の音 昔は鈴舟と言って、舟に鈴を吊るし、浪や風で鳴る音を楽しんだので、その連想で言葉をつなげた。鈴と振るは縁語。
ふるの社 石上神宮(奈良県天理市)のこと。
猿沢の池 奈良の興福寺のそばにある池。
采女 ⇒背景
舟をたくみしささがにの⇒背景
轟の橋⇒背景
駒と鈴とくつわとリン(鈴の鳴る音)は縁語。
三輪の里⇒背景
糸と繰りは縁語。
玉あられ 氷の粒が降る「あられ」に奈良名産の菓子「玉あられ」を掛けた。「玉あられ」は奈良名産の葛湯などに入れる澱粉の玉。
ならざらし 茶道で茶巾(茶碗を拭く小さい布)に用いる麻布は奈良産のものが珍重され、麻糸を灰汁で晒して天日に干し、白くする高度な技術は、「奈良ざらし」と呼ばれている。
わぎもこ 吾妹子。「吾が妹(いも)子」の短縮形。「妹」は男が女を親しんで呼ぶ言葉。女が男を親しんで呼ぶのは「背(せ)」。
水ぞ干なまし 「まし」は反実仮想の助動詞。水が乾いてしまえばよかったのに、実際は水が乾かなかったので溺れてしまった。
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