楫枕
【解題】 船の上で暮らす遊女たちの、悲しくもやるせない心情を歌ったもの。海と水辺の景物が、遊女の心情を表す比喩として巧みに用いられている。諦めのうちに日々を暮らしながらも、いつかは頼むべき人と堅い絆で結ばれ、この漂泊の生活から抜け出たいと言う思いが、切々と歌われている。 【解析】 ○空櫓(からろ)押す |水の煙の | 空櫓 を押すと上がる|水の煙の行方が定まらないように、 ○一 方(ひとかた)に、靡(なび)きもやらぬ |川竹の 、うき|ふし |繁き 、 《竹》 《節》 一つの方向 に、靡 きもし ない|川竹の 節 が|多いように、 一人の男 に、すがり 切れない|遊女の身は、辛い|ことばかりが|多い 、 ○ |繁き|浮 寝の泊まり舟 、 夜 夜 | 身にぞ|思ひ知る| 。 ≪舟≫ ≪寄る≫ 辛いことばかりが|多い|浪を枕の泊まり舟そのものと、岸に寄るたびに| | 夜毎 夜毎、わが身に!|思い知る|ことよ。 ○ 浪 か 涙か 苫(とま)洩(も)る | 露か、濡れにぞ濡れし我が袖の、 <ナミ> <ナミ> 《袖》 浪のしぶきか、私の涙か、苫 を洩 れて落ちる|夜露か、しとどに濡れた私の袖の、 ○ @絞(しぼ)る| 思ひを|押し包み、流れ 渡りに| 浮かれて暮らす、心尽し の|楫 枕 。 《絞 る》 《包み》 袖を絞 る|悲しい思いを|押し包み、流れに任せて|客とは浮かれて暮らす、苦労ばかりの|舟の流浪。 A萎(しを)る| 心も萎れ る| ○ 差して|行 方の |遠くとも、 つひに|寄る 辺は岸の上、 棹差して|行く | |行 方 は|遠くても、舟が最後に|行き着く所は岸の上、 ○ 松の根 |堅き 契りをば、せめて頼ま | ん。頼む は| 君 に、 私も、岸辺の松の根のような|堅い夫婦の絆 を!、せめて頼りにし|よう。頼るのは|あなた、そのあなたに、 ○心 許して 、 君 が手に、B繋(つな)ぎ|止めて よ 、千代 |よろづ代も。 心を捧げて…、あなたの手に、 繋 ぎ|止めて下さい、千年も、 万 年も。 |C結び | | 結び | 【背景】 苫洩る露 状況は違うが、言葉の綾は次の歌を踏まえている。『八重衣』参照。 ○秋の田の|かりほ|の|庵(いほ)|の|苫(とま) |を|あら| み 秋の田の|仮小屋|の|小屋 |の|草葺き屋根の目|が|粗い|ので、 ○わ|が|衣 手は| | 露に濡れ つつ 私|の|衣の袖は|屋根を漏れてくる|夜露に濡れることよ。(後撰集・巻第六・秋中・302・天智天皇) 濡れにぞ濡れし我が袖 ○ | 見せ |ばや |な この悲しみの涙で色が変わってしまった私の袖を|お見せし|たいものです|ね。 ○ |雄島のあまの袖|だにも| |濡れにぞ濡れ |し| あの古歌にある|雄島の漁師の袖|さえも、波で|しとどに濡れはし|た|が、 ○色 は|変はら|ず 色までは|変わら|なかったでしょう。(千載集・巻第十四・恋四・886・殷富(いんぷ)門院大輔) 上の歌は、さらに下の歌を本歌とした本歌取りである。 ○松島や| 雄島の磯に|あさり せし|海人の袖|こそ| 松島!|その雄島の磯で| 漁 をした|漁師の袖| は | ○ |かく は|濡れ|しか | 涙で濡れた私の袖のように、こんなに|濡れ|ていた|ことよ。(後拾遺集・巻第十四・恋四・827・源重之) |
作詞:橘遅日庵岐山 作曲:菊岡検校 箏手付:八重崎検校 【語注】 空艪 櫓で水の表面を軽く漕ぐこと。水の流れに舟を任せる時の漕ぎ方。唐櫓という言葉はない。 川竹 遊女のこと。「うき川竹」「川竹の流れの身」とも言う。 竹と節は縁語。 浮寝 水上に舟を停めてその中に寝ること。 舟と寄るは縁語。 苫 菅(すげ)や茅(かや)をむしろのように編み、和船の上部や仮小屋を覆うのに用いるもの。 苫洩る露⇒背景 濡れにぞ濡れし我が袖⇒背景 袖と絞ると包みは縁語。 校異@A 校異BC 秋の田の 刈り入れ時に一人粗末な仮小屋で夜を明かし、田を守る人の、心細さが詠まれている。 かりほの庵 仮庵(かりいほ)が圧縮されて「かりほ」になった。その後にまた「いほ」を重ねたのは、調子を付けるため。 雄島 宮城県松島湾の島の一つ。歌枕。 |