磯千鳥
【解題】 移り気な男を待って、一人眠れずに夜を明かす女の悲痛な感懐を、海辺の景色と磯千鳥の声に託して歌ったもの。 【解析】 ┌────────┐ ○うたた寝の、枕 に響く|暁(あけ)の鐘、 げ に| まま ならぬ |世の中を、何にたとへ| ん|↓ うたた寝の|枕元に響く|明け方 の鐘、本当に|この、ままにならない|世の中を、何にたとえ|よう|か、 ○ 飛 鳥川 、昨日の淵(ふち)は今日の瀬と、 |変はり| |やすき を|変はるなと、 《明日》 《昨日》 《今日》 あの 飛 鳥川が、昨日の淵 は今日の瀬に| |変わる|ように無常なのに、 |その|変わり| | 易 い心を|変わるなと、 ○契(ちぎ)りし事も|いつしかに 、 身は|浮き舟の |かぢ|を絶え、今は 寄る 辺も| 約束し た事も|いつの間にか忘れて|この身は|浮き舟のように| 楫 |を失い、今は立ち寄る岸辺も| ○しら 波| | や。さほの雫(しづく)か 涙の雨か、濡れにぞ濡れし|濡れ衣| 、 知らず、 白 波|に漂う|ことよ。 棹 の雫 か、私の涙の雨か、しとどに濡れた|濡れ衣|をまとい、 ○身に泌(し)む|今朝の浦風に、侘(わ)びつつ鳴くや|磯千鳥 。 身に沁みる |今朝の浦風に、悲嘆に暮れて 鳴く!|磯千鳥のような私です。 【背景】 世の中を何にたとへん ┌───────┐ ○世の中を何に譬へ| ん|↓ 朝 開き |漕ぎ去 に し|船の 跡 なき |がごとし 世の中を何に譬え|よう|か、朝、港を出て、漕ぎ去っていった|船が、何の跡も残さない| ようなものだ。 (万葉集巻三・351・沙彌満誓) 類似の歌が古今和歌六帖、拾遺集、和漢朗詠集などにある。 飛鳥川 ┌──────────┐ ○世の中は 何 |か|常なる | ↓ 世の中は、何が| |変わらない|だろうか、いや、変わらないものは何もない。 ○ 飛鳥川 昨日の淵 ぞ|今日は瀬に|なる 《明日》 《昨日》 《今日》 あの飛鳥川も、昨日の淵が |今日は瀬に|なっている。(古今集・巻第十八・雑下・933・読人しらず) 楫を絶え ○由良の とを|渡る 舟人 |かぢを絶え |ゆくへ も|知らぬ 《ゆくへ》 由良の瀬戸を|渡ってゆく舟人が| 楫 を失って| 行 方 も|知らず漂うように、 |この先どうなるかも|分からない ○ |恋の 道 | かな 《道》 私の|恋の成り行き|であることだなあ。(新古今集・巻第十一・恋一・1071・曾彌好忠) 濡れにぞ濡れし ○ | 見せ |ばや な この悲しみの涙で色が変わってしまった私の袖を|お見せし|たいものですね。 ○ |雄島のあまの袖|だにも| |濡れにぞ濡れ |し| あの古歌にある|雄島の漁師の袖|さえも、波で|しとどに濡れはし|た|が、 ○色 は|変はら|ず 色までは|変わら|なかったですよ。(千載集・巻十四・恋四・886・殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)) 上の歌は、さらに下の歌を本歌とした本歌取りである。 ○松島や| 雄島の磯に|あさり |せ|し|海人の袖|こそ| 松島!|その雄島の磯で| 漁 を|し|た|漁師の袖| は | ○ |かく は|濡れ|しか | 涙で濡れた私の袖のように、こんなにも|濡れ|ていた|ことよ。(後拾遺集・巻第十四・恋四・827・源重之) |
作詞・橘岐山 作曲・菊岡検校 筝手付・八重崎検校 【語注】 世の中 「男女の仲」という意味もある。 世の中を何にたとへん⇒背景 飛鳥川⇒背景 明日・昨日・今日は縁語。 楫を絶え⇒背景 かぢ(楫) 舟を漕ぐ道具。櫓(ろ)や櫂(かい)の総称で、方向舵のことではない。櫓は船尾に一つ付けて水を左右に掻き、舟を進めるための細長い板。櫂はオール。 濡れにぞ濡れし⇒背景 朝開き 朝の船出。「朝ぼらけ」(夜が明けてくる頃)とは別の語。 明日・昨日・今日は縁語。 ゆくへと道は縁語。 雄島 宮城県松島湾の島の一つ。歌枕。 かくは濡れしか しかは過去の助動詞「き」の已然形。係助詞こその結びになっている。 |