今様朝妻舟(いまやうあさづまぶね)

【解題】

 朝妻は近江の国から琵琶湖を渡って京へ行く旅人の利用する渡し場だったが、そこに舟遊女がいて、鼓を打ち、歌を歌って旅人を慰め接していた。その遊女のやるせない感懐を歌ったもの。

【解析】


○一夜(ひとよ) 仮寝の|あふみ路の|朝        妻|山は|深からぬ、人   の|契り   の|
            |逢ふ   《浅》           《深》

 一夜     の旅寝で|逢うだけの|
            | 近 江路の|朝が来るまでの一夜妻。  |
                  |朝        妻|山は|    |客と遊女の|
                                |浅い  |     |契りを言う |

○ 名 なれ やと、     |慣れ に  し|とこ  の |山風 に、寝乱れ 髪の|柳      かげ、
 言葉だろうかと、客の相手に|慣れてしまった| 床   の中、
                      |鳥籠  の |山 の |
                             |山風 に、寝乱れた髪の|柳の枝のような 形 、

○  |つなが  ぬ 舟の   |浮きて|世に  、ついの|寄る辺は|いさ|     や|河    、
 岸に|つないでいない舟のように、浮いて|世に漂い、最後の|寄る辺は、いさ      や|河だろうか、
                                  |さあ、どこだろうか|     、

○@いざAいさ|   |しら波  も|声 添へ て、打つや鼓  の、
                         <ウツ>    

 @さあAさあ、それは|知らないが 、
           | 白 波  も|声を合わせて、打つ!鼓の音が、

○ 打つや   鼓  の、うつつ|な |  や。
 <ウツ>       <ウツ>
  打つ!遊女の鼓の音が|頼り |ない|ことよ。

【背景】

 朝妻舟

 朝妻は滋賀県北東部、米原(まいばら)市の一地区で、琵琶湖の東岸に今でも朝妻筑摩の地名が残っており、天野川の河口に面した朝妻公園に朝妻湊跡の石碑がある。東山道(中山道)と北陸道の分岐点である番場(米原市内)や鳥居本(彦根市内)にも近く、古代、中世を通じ東海、関東と京都を結ぶ要地であった。朝妻と東海道の大津を往来する舟を「朝妻舟」と言い、遊女を乗せることが多く、和歌にも多く詠まれている。また英一蝶(はなぶさいっちょう)の描いた『朝妻船』は名高い。(高橋誠一氏の記事による)。

  

 一夜仮寝の

○遊女の心を|    。
 遊女の心を|詠んだ歌。

                             ┌───────────────―───┐
○一夜(ひとよ)|  逢ふ |往き来の 人の|浮かれ 妻|幾たび|   変はる|契り|なる|らん|
 一夜だけ   |枕を交わす、往 来の旅人の|仮そめの妻|幾たび|相手が変わる|契り|であ ろう|か。

○   結(ゆ)ひ|  捨てて|夜な夜な変はる|旅枕    |仮寝の夢の跡も|はかなし
 契りを結   び、また捨てて、夜な夜な変わる|旅枕のお相手、仮寝の夢の跡も|空しいことよ。

                              (平斎時・続千載和歌集・巻十八・雑下)

                                     ┌─────―───────-┐
○この |   寝(ね)ぬる| 朝 妻    舟  の、 浅 からぬ契りを|たれに|また交はす|  らん|
              
<アサ>        <アサ>                     |
 今まで|一緒に寝  ていた|                                    ↓
 この |         | 朝 妻の渡しの舟遊女は、 浅 からぬ契りを| 誰 と|また交わす|のだろう|か。

                                   (伝後水尾(ごみずのお)院御製)

 朝妻山

 朝妻の湊跡から西に4キロほど入った天野川の北岸の山地を日撫山と言う。頂上は海抜250mで、北は長浜市に接している。この山を古くは朝妻山とも言った。山頂からは琵琶湖をはじめ伊吹山、霊仙山が一望できる。

○今朝    行きて 明日には  |   来 |な  |む    |と云ひし|    |  子| が|
 今朝は別れて行き 、明日にはまた|     |きっと|
                 |訪ねて来る|   |つもりだよ|と言った|朝 妻の|
                                      |一夜妻の|あの子、その|

○朝妻山に霞(かすみ)|たなびく
 朝妻山に霞    が|たなびいている。(万葉集・巻第十・1817・柿本人麿歌集より)

 いさや川

○淡海道(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる    |いさ      や川|
 近江道     の鳥籠   の山に流れている|いさ      や川|
                       |さあ、どうだろうか 、あの人は私を思っているだろうかと、

○ 日(け)の|この頃は|    恋ひ  つつ も|あら      む
 今日   |この頃は|あの人を恋い慕いながら!|過ごすことでしょう。(万葉集・巻四・487・斉明天皇)

○犬上の鳥籠の山なる    |いさや川|いさ        と答へよ  |我が名  |もらす  な
              
<イサ> <イサ>
 犬上のとこの山を流れている|いさや川|さあ、どうでしょうかと答えなさい、私の名前を|もらしてはいけません。

                                  (新葉和歌集・巻十四・恋四)

【参考】

 「三つの船」の解題再掲

 
明治十二(1879)年、明治政府は音楽教育の調査と研究のため音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)を開設し、日本における音楽教育の基本方針を西洋音楽と東洋音楽の折衷とした。明治二十(1887)年に、音楽取調掛が東京藝術大学の前身である東京音楽学校に改組され、その開校式に山勢松韻作曲の『都の春』などが演奏され、この年に日本音楽の教科書の第一輯(集)が発行された。『三つの船』はその翌年の明治二十一(1888)年に発行された第二輯の日本音楽教科書に掲載されたものである。この曲は、もとは『今様朝妻舟』だったが、遊女の心情を唄った歌詞は学校教育には不適当とし、その替え歌を作り、『三つの船』となった。曲の節は同じである。

 「今様朝妻舟」「さみだれ」の出版によせて (二代伊藤松超)
 
 1880年代から1920年代にかけて、文部省の指導のもとに、音楽取調掛(1887年に東京音楽学校と改称)によって、箏曲を音楽教育に取り入れるために、”恋”や”遊女”を主題としたような歌詞は、卑俗で教育に適さないという理由で、いくつかの曲の替歌が作られ、曲名も改題するということが行われました。
 この「今様朝妻舟」、「さみだれ」もその例で、それぞれ替歌が作られ、「三つの舟」・「秋の夜」と改題されました。
 音楽は、本来内容があって形式が作られるもので、すでに作られた形式に、全く内容の違うものを、字数だけあてはめて、形式を整えようという考え方が、少なくとも一定の芸術的な高さを求めようとすれば、そもそも無理なことで、この二曲の場合には、内容も低められ、曲節も不自然なものになっていて、明らかに失敗しています。
 そのためでしょうか、現在は稽古でも、したがって会でも、あまり使われていません。
 この二曲は、その格付け、難易度から、いわゆる「手ほどき」(初学曲)の曲とされていますが、作者の力量は、さすがにこの小曲でも発揮されていて、山田流唄物の味わい、唄い口を身につけさせるために、むしろ積極的に取り上げるべきではないかと思うのです。
 その意味で、「三つの舟」・「秋の夜」は、すでに博信堂から出版され、「小曲集・下」に収められていますが、あえて原曲に戻して出版することにしました。
 しかし、実際に使っていただく上では、山田流唄物の味わいが、ある程度分かりかけて、唄うことが面白くなってきたという段階、例えば、一応「中許し」の曲が唄えるようになった、というような所で使っていただく方が、むしろ効果があるのではないかと思います。
 また、”独吟”というような形で会に出すのにも適していると思います。
 そういう考えから、その段階で、その目的で使っていただくために、歌の節の形は、どちらかといえば”手ほどき用”ではなく、いわば”玄人ごのみ”というか、一定の経験を持った人が、唄の面白さを味わいながら、豊かな表現力を身につけられるのではないか、と思われる節付けを選びました。
 使っていただいて、ご意見をいただければ幸いです。(出版は昭和61年11月10日)
作詞:不詳
作曲:山田検校



【語注】


一夜仮寝の⇒背景
朝妻山 米原近辺にある山で、霞の名所とされた。⇒背景
が対比的に使われている。


とこの山 鳥籠の山。滋賀県彦根市の正法寺山(384m)。彦根の東方犬上郡多賀町にある鍋尻山(838m)という説もある。
いさや川 一説に、鍋尻山の麓から流れてくる現在の芹川を言う。⇒背景


校異 
@博信堂A
打つや鼓の 
遊女は鼓を持っていて、それを打ちながら舞を舞う。

うつつなや
 「うつつ」は「現実」、「な」は「なし」の語幹で、現実感がないこと。「や」は詠嘆。






























































淡海 琵琶湖は古くは「近つ淡海(あはうみ)」(都に近い湖)と呼ばれ、「遠つ淡海」(都から遠い湖=浜名湖)と対照された。前者が省略されて「近江(あふみ)」、後者が圧縮されて「遠江(とおとうみ)」となった。



















































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