【解題】
謡曲「葵の上」の詞章の一部をそのまま歌詞としたもの。賀茂の祭りで光源氏の正妻、葵の上の一行に屈辱的な仕打ちを受けた光源氏の愛人、六条の御息所が、光源氏の正妻で懐妊中の葵の上の枕元に生き霊となって出現し、葵の上にたたりをなす場面。葵の上はこの後、光源氏の御子、夕霧を産むが、程なく世を去る。
【解析】
○怨霊「 |三つの|車に|のり |の道 、
「私はこうして| |車に|乗って| |現われたが、仏の教えのように、
|三つの|車に|乗って|
|仏法 |の道に入り、
┌───────────┐
○火 宅(くわたく) |の門(かど)を|や|出で |ぬ| らん|↓、
火事の家 のような現世|の門 を| |出られ|た|だろう|か、いや、出られない。
○夕顔 の 宿 の |破(や)れ車 、
<ヤ> <ヤ>
夕顔の花が垣根に咲く粗末な 宿 のような|壊れた 車に乗っているので、加茂の祭りの、あの|無念を
○ |遣(や)る|方 |なき |こそ|悲しけれ 。
<ヤ>
晴らす |方法も|なく 、
破れ車を|進める |方法も|ないの|
は |悲しいことだ。
○ 憂き世は | うし | の|小車(をぐるま)の 、
<ウ> <ウ>
| 憂し |
憂き世は、| 牛 |が引く |小車 のように、
|つらい|ことが次々と|
┌──────────────────────┐
○廻(めぐ)る| |や| |報(むく)い|な る | らん|↓。
廻ってくる |が、これも| |我が所業の|報 い|なので|あろう|か。
○およそ |輪廻(りんね)は車の輪のごとく、六趣(ろくしゆ)四生(ししよお)を出で |やら|
ず 。
そもそも|輪廻 は車の輪のように、六趣 四生 を出ることが|出来|ない。
○人間の不定(ふぢやう)|芭蕉 泡沫(はうまつ)の | 世の習ひ 。
人間の定めないこと は|芭蕉や泡沫 のようであり、それがこの世の姿 である。
○昨日 の花 は|けふ|の夢 と、
昨日まで花のように栄えたものも|今日|は夢のように消えてしまうと、
○驚 か|ぬ | |こそ|愚か |
な
れ。
気づか|ない|の| は |愚かなこと|である。
○ | 身の|憂き | に| 人 |の |恨みの| なほ |添ひ て、
源氏の君に冷たくされた|わが身の|つらさ|の上に、葵の上|に対する|恨みが|さらに|加わって、
┌────────────────┐
○忘れ も|やら|ぬ |我が 思ひ 、せめて|や|暫(しば)し |慰む| ↓|と、
忘れることも|出来|ない|私の悔やしい思いが、せめて| |しばらくの間でも|慰む|だろうか|と、
○梓(あづさ)の弓 に |怨霊(をんりやう) |の、これまで|現れ出で|たる |
な り。
梓 の弓の音に引かれて、怨霊 となった私|が、ここまで|現れ出 |た の|である。
○あら恥かし | や| |今とても|忍び車の我が姿、
ああ恥ずかしい|ことよ、車争いの時も忍び車だったが、今 も|忍び車の私の姿、源氏の君を待ちわびて、
○月をば眺め明かすとも、 |月には|見え | じ 。かげろふの 、
《 陽炎 》
月を 眺め明かしても、このみすぼらしい姿を|月には|見られ|たくない。かげろうのように、
○梓の弓のうらはずに、立ち寄り |憂き を|語ら|ん、立ち寄り憂きを語らん。梓の弓の音は|いづく|ぞ。
《立ち》
梓の弓のうらはずに 立ち寄って|つらい思いを|語ろ|う、 |梓の弓の音は| どこ|だ。
○東屋(あづまや)の母屋(もや)の妻戸(つまど)に|居 |たれ| ども、
東屋の 母屋 の妻戸 に|座ってい|た |けれども、
○ |姿 |なけれ|ば 問ふ |人もなし。
私は怨霊で|姿が|ない |ので、声を掛けてくれる|人もない。
○巫女「不思議や|な |誰とも見え |ぬ |上臈(じやうらふ)の、破れ車に| 召さ れ | た る| に、
「不思議だ|なあ、誰とも分から|ない|高貴な女性 |が、破れ車に|お乗りになっ|ている|傍らに、
○青 女房と|おぼしき|人の、牛もなき車の轅(ながえ)に取りつき 、さめざめと|泣き|給ふ |痛はしさよ。
若い女官と|思われる|人が、牛もない車の轅 に取りすがり、さめざめと| |お |
|泣き|になる|痛わしさよ。
┌───────────┐
○(廷臣に)もし かやうの|人にても|や|候ふ |らん|↓」
もしや、こういう|人 で
!| |ございましょ| う|か」
○廷臣「おほかたは|推量|申し |て|候ふ 。ただ|つゝまず名を|おん名乗り| 候へ」
「だいたいは|推量|申し上げ|て|おります。ただ|隠さず 名を|お 名乗り|なさいませ」
○怨霊「それ 娑婆(しやば) 電 光 の|
境 |には、
「そもそも、現世 という稲妻が光る間のような短い |時間|には、
○恨むべき | 人もなく、悲しむべき 身も|あら|ざる| に、
恨むはずの|他人もなく、悲しむはずのわが身も| な い |のに、
┌────────────────────────────────────-┐
○いつ|さて | |浮かれ 初(そ)め| つ | らん|↓。
いつ|いったい、魂が体を抜け出て|さまよい出し |てしまった|のだろう|か。
○ただ 今 梓(あづさ)の弓の音に、引かれて現れ出でたる| |を|ば、
《弓》 《引か》
ちょうど今、梓 の弓の音に、誘われて現れ出 た |亡霊|を|!、
┌──────────┐
○如何(いか)なる者と|か|おぼし召す |↓。 これは|六条の御息所(みやすどころ)の怨霊|
な り。
どのよう な 者と| |お思いになります|か。実は
私 は|六条の御息所 の怨霊|である。
○われ|世に在りし |いにしへは、雲上(うんしやうの花の宴 、春のあしたの| 御遊 に|馴れ 、
私が|時めいていた|昔 は、 宮 中 の花の宴で、春の 朝 の|管絃の 遊びに|馴れ親しみ、
○仙洞 |の|もみぢ| の秋の夜は、月にたはぶれ| |色香に染み、
仙洞御所|の| 紅葉 |を賞する 秋の夜は、月に浮かれ |花の|色香に興じ、
○華やかなり|し|身 |なれ|ども、 |衰え| ぬれ | ば
華やかだっ|た|身の上| だ |が 、今は栄華が|衰え|てしまった|ので、
○朝顔の|日影 |待つ間 の|有様
な り。ただいつ と なき 我が心 、
朝顔が|日の出を|待つ間に萎れてしまったような|有様である。ただいつからともなく、私の心には、
○もの憂き |野辺の早蕨(さわらび)の、萌え出でそめし |思ひの露 、
《露》
憂鬱で 、
もの悲しそうな|野辺の早蕨 が、芽を出すときのように|悩みの種が生まれ、
○ か か る| |恨みを|晴らさ|ん|と て、これまで現れ出で|たる| な り。
《掛 か る》
このような|やり場のない|恨みを|晴らそ|う|として、ここまで現れ出 |た |のである。
○思ひ知ら| ず |や 世の中の情 は| 人のため|なら| |
ず 。
思い知ら|ない|か、世の中の情というものは、他人のため|
で |は|ない。
○われ | 人のため |つらけれ |ば、必ず 身にも|報(むく)ゆ |なり 。
自分が|他人のために|つらく当たれ|ば、必ず我が身にも|報いが返ってくる|そうだ。
┌───────┐
○何|を嘆くぞ || くずの葉の|恨みはさらに|尽きす|まじ 、恨みはさらに尽きすまじ。
↓《くずの葉》《裏》
何|を嘆く!の|か、 葛 の葉の|恨みは決して|尽き |ないだろう、
○あら恨めし や、今は打た| で |は| かなひ|候ふ|まじ」
ああ恨めしいことよ、今は打た|なくて|は|気が済み |ます|まい」
○巫女「あら浅まし や、六条の御息所ほどの|御身 にて、うはなり|打ち |の|おん振舞い 、
「ああ呆れたことだ、六条の御息所ほどの|ご身分
で 、 後妻 |いじめ|の|お 振舞いとは、
┌───────────────────┐
○いかで |さる |事の候ふ |べき| ↓、 、 ただ |おぼし召し止まり | 給へ 」
どうして|そんな|事があって|良い|だろうか、いや、良くない、ともかく|思いとどまりなさっ|て下さい」
○怨霊「いや、 |いかに言ふとも、今は|打た| で |は|かなふ |まじ」と、
「いや、あなたが|どう 言っても、今は|打た|なくて|は|気が済む|まい」と、
○ |枕 に|立ち寄り|ちやうと|打てば、 葵の上の|枕もとに|近 寄り|ピシッと|打てば、
○ |この上は | |と て |立ち寄りて、
青女房も、こうなったら|私も許してはおけない|と言って、葵の上に|近 寄って、
○青女房「わらは|は| |あとにて| |苦を見する」 「 私 |は|葵の上の|足元
で |葵の上を|苦しめる 」
○怨霊「 |今の恨みは| |有りし |報い 、嗔恚(しんい)の|ほむら|は 身を焦がす。 「私の|今の恨みは|あなたの|過去の所業の|報いだ、怒り の| 炎 |は我が身を焦がす。
○思ひ知ら| ず |や、思ひ知れ。恨めしの| 心 |や、あら |恨めしの|
心 |や。 思い知ら|ない|か、思い知れ。恨めしい|気持ち|だ、ああ、|恨めしい|気持ち|だ。
○人の恨みの |深くして、 |憂き 音に|泣か|せ|給ふ|とも、 私の恨みがこんなに|深いので、あなた(葵の上)は|悲しい声で| | お |
|泣き|になっ |ても、
○ |生きてこの世に|ましまさ |ば 、水 暗き 、沢べの蛍の影よりも、 このまま|生きてこの世に|いらっしゃ|たら、水が暗く淀む 沢辺の蛍の光よりも、
○光る君とぞ| |契ら | ん。 |わらは|は《蓬 生》(よもぎふ)の 光る
光る君と!|あなたはまた|契りを交わす|だろう。それに引きかえ、 私 |は|蓬の原 の
○もと | あら|ざり |し|身 と|なりて、葉末の露と 消えも|せ | ば、
《本》
もともと|源氏の君とは関係|なかっ|た|身の上に|戻って、葉末の露のように消えも|した|ならば、
○それ |さへ|ことに|恨めし や。夢 に|だに|かへらぬ|ものを、我が 契り 、
そのこと|まで|特 に|恨めしいことよ。夢の中で|さえ|帰らない|
の に、私の源氏の君との契りは、
○ |昔語りに|なり| ぬれ |
ば 、なほも |思ひ|は
もう二度と戻らない|昔語りに|なっ|てしまった|ので、なおも源氏の君への切ない|思い|は
○増 |鏡 、その| |面影|も恥づかし や。
《鏡》
増すばかり、鏡に映った|その|私のやつれた|面影|も恥ずかしいことよ。
○ 枕 に|立て| る|破(や)れ車
《枕》
葵の上の枕元に|立っ|ている|破 れ車に
○ |うち乗せ 隠れ | 行か|う|よ、うち乗せ 隠れ行かうよ」
葵の上を| 乗せて、こっそりと|連れて行こ|う|よ、 」
【背景】
登場人物
葵の上…光源氏の正妻。左大臣の娘。光源氏の子(夕霧)を懐妊中で床に伏せっている。セリフはない。
怨霊…六条御息所の怨霊。六条御息所は、亡くなった前皇太子の未亡人で、光源氏の愛人。
巫女…梓弓の弦を叩いて葵の上にとりついた怨霊を呼び出し、鎮めるための梓巫女。
廷臣…謡曲の台本には、「朱雀院の臣下」とある。葵の上を見舞いに来た朝廷の使い。
青女房…六条の御息所に付き添って登場した、御息所の侍女の亡霊。
三つの車にのりの道
法華経「比喩品」に、次のような話がある。
一人の長者がいて、ある時、家が火事になった。長者には、たくさんの子供がいて、皆、家の中で遊んでいた。長者は
子供たちが珍しいものを好むことを知っていたので、門外に羊車、鹿車、牛車の「三つの車」があるので、早く火事の家
から出て来れば、好みの車を与える、と嘘をついた。子供たちはその車が欲しくて、皆、家から逃れた。その後、長者は
子供たちに、種々の宝で飾ってある大白牛車を与えたという。
この話は、仏が衆生を救う方法を比喩で表したもので、火宅のような現世から衆生を救い出すためには、「方便」を使ってでもするのが一つの導き方であるという教えであろう。
芭蕉
○風吹けばあだにやれ行く芭蕉葉のあはれと身をも頼むべき世か(夫木集)
泡沫
○川波の滝津早瀬にくめる泡の消ゆる待つ間も定めなき世や(師直家集)
○是の身は泡のごとし。久しく立つを得ず。是の身は芭蕉のごとし。中堅きこと有る無し。(維摩経)
六趣
「六道」とも言い、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道の六界のこと。衆生は善悪の業によって六趣を生まれ変わり流転する。
四生
生物が生まれる形に、胎生・卵生・湿生・化生の四つの形がある。胎生は人間のように大人(成体)と同じ形で生まれるもの。卵生は卵の形で生まれるもの。湿生は細菌やカビのように、湿った所から生まれるもの。化生は、霊魂、鬼、龍などのように、何もないところから生まれるもの。
昨日の花はけふの夢と
○昨日の栄華は今日衰えたり 転(うた)た秋蓬の定むる処無きに似たり
○春夢より長きこと幾多(いくばく)の時ぞ、(白氏文集)
忍び車
貴人がお忍びで出かけるときの、わざとやつした車。網代車を使うことが多い。網代車は、構造が簡単で、車の屋形と左右の脇に網代を張っただけの車。普通は、四、五位の殿上人が使うもの。六条の御息所は、お忍びで加茂の祭りを見に行った時、網代車に乗って行った。その時の屈辱の思いがもとになって怨霊となって現われたので、今も網代車に乗っている。ちなみに、高級な車としては、唐車・檳榔毛の車などがある。
月には見えじ
○月は|見| む 、 月には|見え | じ |とぞ思ふ。憂き世に|めぐる |
月は|見|たい、だが、月には|見られ|たくない|と!思う。憂き世に|うろつく|私の
○ |影も |恥ずかし
みすぼらしい|姿も、思えば|恥ずかしいので。 (今川了俊・落書露顕に聞き書きとして引用)
六条の御息所の怨霊
ここで初めて、怨霊が自分の正体を明かす。六条の御息所は、左大臣の息女で、しかも皇太子の后だったので、将来は天皇の后、つまり女御や中宮などの地位が半ば保証されていた。その時点では、未来のホープ、時代の花形的存在だったことになる。ところが、皇太子が病死したために、若くして未亡人になってしった。そうなると、単に前皇太子の夫人だったというだけで、確たる地位・肩書きもなく、いわば日陰の存在になってしまった。それはプライドが高く、知性・教養のある御息所としては耐えられないことだっただろう。御息所が、時代の若い花形として登場した光源氏の『忍びありき』の相手となったことには、こういう背景がある。御息所は、結局は伊勢神宮の斎院(さいいん・神に仕える皇族の女性)となって一生を終える。
破れ車・牛もなき車
加茂の祭りの日、六条御息所の車は権勢を笠に着た葵上の従者たちに乱暴され、車は壊され、牛も外されて、御息所は雑踏の中に立ち往生した。いわゆる車争いの事件である。御息所は、この事件の後、魂が体を離れ、生霊となって夕顔や葵の上にたたるようになった。(源氏物語・葵の上)
娑婆電光の境
○人生天地の間、石を鑿(うが)ちて火を見、電光の隙(げき)を過ぐるがごとし。(淮南子)
水暗き、沢辺の蛍の影
○蒹葭(けんか)水暗く蛍夜を知る(和漢朗詠集・夏・蛍・許渾)
|
作詞:世阿弥
作曲:山田検校
【語注】
三つの車にのりの道⇒背景
のりの道 「のり」は「乗り」と「法(のり)」の掛詞。法は仏法。
出でぬらん この「ぬ」は完了の助動詞だが、ここでは意訳した。
夕顔の宿の… 以下、下線部は、源氏物語の巻の名が織り込まれている。
遣る方なき 「遣る」は「破れ」と連韻。
輪廻 衆生が三界六道に、無限に迷いの生死を繰り返すこと。輪廻転生。流転。
六趣・四生⇒背景
芭蕉⇒背景
泡沫⇒背景
昨日の花はけふの夢と⇒背景
驚かぬこそ 「驚か」は、表は「はっと気づく」、裏は「目を覚ます」の二重の意味で使われている。目を覚ます意味の驚くは夢の縁語。
梓の弓 弓にはいろいろな種類があるが、梓の弓(梓弓)はもっとも古い素朴な構造のもので、梓の木を丸く削って弓にしただけのもの。古い形なので呪術に使われた。ここでは巫女(みこ)が梓弓を引いて、その音で、御息所の怨霊を引き出すのに使っている。
月には見えじ⇒背景
うらはず 弓の上部の絃を掛ける所。霊魂が降り立つ場所。
立ちとかげろふは縁語。
東屋の母屋 東屋の「まや」の連韻で母屋(もや)の序詞とした。「東屋」は屋根と四本柱だけの小さな建物で、庭の隅などにある。ここでは言葉のあやだけのために出した。母屋は寝殿造りの中心にある大きな建物。葵の上は左大臣の娘で、しかも懐妊中だから、その寝所は母屋にしつらえられていたと取れる。
妻戸 開き戸。普通は、建物の四隅にある。
破れ車・牛もなき車⇒背景
青女房 若く地位の低い女。ここは、御息所の侍女の怨霊。この侍女も、車争いで屈辱を受けたので、「さめざめと泣」いている。その恨みを晴らすため、御息所の怨霊に従ってここに現われた。
轅 車の前に付いている、牛を繋ぐための長い柄。
娑婆電光の境⇒背景
弓と引かは縁語。
六条の御息所の怨霊⇒背景
世に在りしいにしへは、 ここに登場した御息所の怨霊は生霊(いきりょう)であり、御息所は生きている。「世に在りし」は「生きていた」という意味ではない。
仙洞 仙洞御所のこと。天皇の御所はもちろん内裏・宮中だが、上皇(太上天皇)や院(出家した上皇)の御所を仙洞御所と呼んだ。
色香 ここは菊などの秋の花の色香。
もみぢ 源氏物語に「紅葉の賀」の巻がある。
華やかなりし身なれども、 直訳では「華やかだった身の上だが」となるが、現代語では、「華やかな身の上だったが、」と言う。
かかる恨みを かかると掛かるは掛詞で、露と掛かるは縁語。
報ゆなり 「なり」は終止形に下接しているので、断定ではなく、伝聞推定の助動詞。
くずの葉の 葛の葉は風が吹くと白い裏を見せるので、裏見と同音の恨みに掛かる枕詞。
この上はとて立ち寄りて 現在の能の演出では、青女房は登場人物にはなっていないが、もともとは登場する演出だったらしい。御息所が葵上を打つのを見て、その侍女の青女房も一緒になって葵上を苦しめたのである。
水暗き、沢べの蛍⇒背景
蓬生ともと(根本)は縁語。
消えもせば 「せ」はサ変「す」の未然形。
夢にだにかへらぬものを せめて夢の中でだけでも帰ってきて欲しいのに、それも叶わない。決して帰ってこないことを強調している。
増鏡 「真澄の鏡」の略。鏡は枕元にあるので、枕の縁語。葵上の病臥の枕元に、鏡が置いてあることを暗示している。
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