教科書から消えた文部省唱歌 | ||||||
1。 村の鎮守の 神様の
きょうは めでたい お祭り日 どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 朝からきこえる 笛太鼓 |
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2。 年も豊年 満作で
村は 総出の 大祭り どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 夜までにぎあう 宮の森 |
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3。 治まるみ代に 神様の
めぐみ あおぐや 村祭り どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら きいても心が いさみ立つ |
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次の日、いつも利用する「四季の森温泉」で天満宮の近くに住む知人に会いましたので、話を聞きました。
壊れかけた鳥居は今年作り替えるそうで、春は桜がきれい、秋にお祭りをする、お籠もりは持ち回りでやります等など。
後日詳しくお話を聞きに伺うことにしました。
南郷谷にはたくさんの「鎮守の杜」があります。村の人々の営みやその地方の風習が少しでも勉強できれば、
訪れる楽しみも増します。今年は「鎮守の杜」には目が離せません。
「鎮守の杜(森)」村の中心に一区画を境内としたところにある森をいい、境内は村の主要行事を決めて執り行う場であり、杉・檜が多い森は神社の風致を形成し、神社の修理・改修の用材確保上の機能を持ちます。「中郷天満宮」も聞くところによると、昔はもう少し大きな山だったとの事でした。 | |||||
勉強しました | |||||
「天満宮」天界にある神が天神で、大地の神地祇(ちぎ)と相並ぶ存在です。 『日本霊異記』にはむかし尾張国の農夫が天から落ちてきた雷神を助けて子を授かったと言う説話がありますが、その子の頭には蛇が巻き付いていたと言う。天神は雷・雨・水・蛇と結び付けられて荒ぶる神であり、同時に農業神でもあった。 9世紀後半、元慶年間(877〜885)京都の北野の地で祭られて祭神は雷であり、農耕神でしたが、10世紀にいたり、菅原道真の御霊(怨霊)が北野に祭られて以来天神信仰と結びつき、祭神を菅原道真とする北野天神は天神信仰の代表であるかの形態となりました。 室町期に入ると、菅原道真を学問の神とする天神信仰が弘まると五山の禅宗界を中心に渡唐天神の思想がつくられ、 その後、天神は綱敷天神・水鏡天神・飛梅天神など様々な形態をとることになります。 天満宮の名は殆ど天神と重なり、天満宮としては北野天満宮・太宰府天満宮などですが、道真が天満大自在天神・天満天神・火雷天神など神号で呼ばれるようになり、各地の天神は天満宮を称することになりました。 |
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「お籠もり」秋の彼岸に天神様に感謝して、早朝から「おにしめ」「おこわ」をつくって神様にお供えをし一日中お宮で過ごします。毎日二軒づつ交代で一週間続けられます。昔は泊まり込みもありました。 (お籠もりも地域ごとに違いはあるようです。) |
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11月下旬、青い空と淡い雲。藁こずみと、霞んだ山並みが鎮守様を引き立てていました。
二月の寒い夕方、高森から買い物の帰り、鎮守様に挨拶すると、後ろの山並みが赤く焼けていました。
めったにお目にかかれない「赤根子」です。