(6話)

清水の舞台

ところ 東山区清水寺本堂

”清水の舞台からとびおりた、 思うて。。。”
投げ売りの露店や、町角の店頭で客に品物を値切られた売り手が最後の手を打つて
「エエイッ、清水の舞台から。。。。」と、言ったように。つまり、客の心理を掻き立てる
様ないかにも決心した時に使います。もののたとえに残る”清水の舞台”
意外と古く、僧延鎮(778年)が開山。坂上田村麻呂(781年)創建される、現在の建
物は徳川家光の寄進よるものです。
高さ13メートルの懸崖に縦横に柱を組んで張り出した構造は”地獄止め”と言われ、
1本の釘も使わず、見事な構築は美しい造形美に感動を与える。
いつの頃か新聞で、 00県の25歳の男が「同じ死ぬなら、有名な清水さんで」と舞台
から投身。。。。ところが、桜の木にひかかり、万に1つの命をひろった。
「命が助かったのは、何かの因縁。今度は死んだつもりで、頑張ります」
男は改めて、本尊に誓って去って行った。
 
古くは「宇治捨遺物語」に登場する、
清水寺境内は折りから、大騒ぎだった。
検非遺使(警察官)の忠明が境内を散策中、ひょんなことから、数人の無頼の若者と口
論になった、いい争っているうち、一人の若者がにわかに刀を抜いた。忠明も抜いたが、
多勢に一人、忠明は本堂に逃げ延びた、ところがすでに相手が道をふさいでいる。
進退きわまった忠明、舞台の上から下に向かって。。。。「エイッ」??
忠明は鳥の如きに宙を舞うと、ふわり地上に降りた。無頼の若者は地だんだ踏んで悔し
がった。
 
清水は、石山寺(紫式部)。長谷寺(奈良)もうでと並んで平安期の昔から栄えた。本尊の
十一面観音のご霊験話も多く有りますが、陰暦7月10日は千日もうでといって、この一
日参拝すれば、千日参拝したのと同じ功徳が頂けると言います。
 
清水寺の古文書調査で、「成就院日記」から、このほど分かった。ことわざ通り「飛び降り」
時代背景に「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録
が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。未遂も含め234件が発生し
た。年間平均は1.6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では
424件になる計算という。男女比は7対3最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では
10代、20代が約73パーセントを占めた。清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存
率は85.4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを超す。60歳以上では
6人全員が死亡している。
京都が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。
明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。

HOME *** *** NEXT