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スズメバチに関する七つの誤解


牧野 俊一

 わたしがまだ大学にいたころ,研究室に警察から電話がかかってきました。何事かと思えば,なんでも「中年男性がハチに刺されて死んだらしいが,本当にそういうことがありうるのか」とのこと。この判事氏は変死の線で捜査でもしていたのでしょうか。しかしスズメバチの刺傷で毎年数十人を下らない死者が出ているのは紛れもなく事実です。
 ハブやヒグマなど,人間の生命に危険を与える生物はむろん他にもいます。しかし生息地は限られており,ヒグマなど昨今では出会うほうが難しいのではないでしょうか。一方,スズメバチは全国どこでも見られ,住宅地での発生すら問題になっています。もちろん林野にも多く,仕事がら野外に出る機会の多い私たちは,その危険性について知っておかねばなりません。
 とはいえ,いたずらな恐怖は禁物です。彼らもむやみに人を刺すわけではなく,万一刺されたとしても命にかかわることはまずありません。スズメバチについてはマスコミでも毎年のように取り上げられているせいか,かつてよりも情報量は多くなったようです。しかしまだまだ奇妙な,そして場合によっては危険な誤解が残っています。こうした誤解を解くのはハチ研究者の義務でしょう。この機会に代表的な誤解を書き留めておくことにします。


誤解1:スズメバチは一度人を刺したら死ぬ

 ミツバチの毒針には,極端に言えば釣針ような「かえし」がついているので,刺した針は腹部の末端もろとも敵の体の残るためハチは死にます。しかしスズメバチの毒針はそうした構造をしておらず,刺した相手から抜けやすく,もちろんハチは死にません。


誤解2:刺されたらアンモニアを塗るとよい

 これも「神話」と言ってよいほど根強い誤解ですが,スズメバチの毒液はほとんど中性に近く,アンモニア(アルカリ性)で中和しようとするのは無駄で,氷で冷すほうがよほど効果的です。痛みをやわらげるには抗ヒスタミン剤の内服を。刺されたらすぐ口で毒を吸い出すのもいくらか効果があります。


誤解3:人が刺されて死ぬのはハチ毒成分のせいである

 スズメバチによる死亡はほとんどが,アレルギー性のショックによるものです。ハチ毒アレルギー体質の人では,過去に刺されたときに体内にできた,ハチ毒に対する抗体が,2度目に入ったハチ毒に過敏に反応して血圧低下その他の症状を起こし,これが危険なわけです。ハチ毒自体に溶血その他の生理作用があるのは確かですが,1,2か所刺されたくらいの毒量では(たいへん痛いのは確かですが)命に別状ありません。つまり不幸な犠牲者は,ハチ毒そのもののせいでなく,むしろ自分の生理作用のために命を失ったと考える方が正確です。


誤解4:2回以上刺されると危険

 いま述べたように,これは全くの誤りではありません。しかしだれもが花粉症にかかるわけではないのと同様,ハチ毒アレルギーを持つ人は人口のごく一部です。通常体質ならば,刺されるほど症状が軽くなることのあります。某スズメバチ研究者は,シーズンはじめにわざと刺されて,「免疫をつけ」ていたそうです。
 しかし刺された後で次のような症状が出たらアレルギーショックである恐れが強いのでただちに医師の手当が必要です。全身のじんましん,腹痛,めまい,意識がもうろうまたは不明,呼吸困難など。ハチ毒アレルギーショックで死亡する場合は,刺されてから1時間以内であることが多く,一刻も早く処置しなければなりません。


誤解5:虫よけ(忌避剤)をつければスズメバチはよってこない

 虫よけにはスプレータイプや直接皮膚に塗るタイプがありますが,いずれもカ,ブユなど吸血性の虫を防ぐものです。スズメバチは巣に危害を加える外敵に向かってそれこそカミカゼのように捨て身で攻撃をかけてきます。虫よけなど全く役に立ちません。
 ただしスズメバチがそばに寄ってきたときの対処の仕方は,場合によります。一般的にいって,攻撃性は巣に近いほど強くなります。これは当然でしょう。基本的には,巣から離れて餌集めなどをしているハチが向こうから攻撃してくることはありません。例えば車にハチが入ってきても,絶対にあわてぬこと。つかみでもしない限り刺しません。落ちついて車を止め,飛び去るのを待てばよいのです。
 巣の至近距離に近づくと,偵察バチが敵の回りを飛んで警戒します。このとき敵の正面で大あごをかみ合わせてカチカチという音を発することがあります。なんとも不気味なもので,いうなれば最後通告です。すみやかに,しかしゆっくりと後ろに下がることをお勧めします。手で払えば確実に刺されます。
 音によって相手に警告するということは,考えてみると興味深くありませんか。スズメバチの進化の過程において,その主要な敵は,少なくともこうした音を聞くことのできる生物だったと思えるからです。彼らの毒がほ乳類に特異的に痛みを起こす成分を含むことも考えあわせると,スズメバチの主な敵は,巣にいっぱいつまった幼虫をねらうほ乳動物なのでしょう。


誤解6:スズメバチはミツバチの仲間である

 両方とも大きな巣を作って暮らしていますが進化の歴史から見ると両者の関係はずいぶん遠いものです。ミツバチは幼虫の餌として,花粉や蜜を与えますが,スズメバチは毛虫やハエなど動物質の餌を与えます。だから,スズメバチは巣に蜜をためることはありません。なおスズメバチの仲間は世界で約60種,日本からは16種が知られています。
 話がそれますが,彼らの狩る餌の量がどれくらいなのか,ごく大ざっぱな試算をしてみましょう。スズメバチの大きな巣では,年間約1万頭ほどの働きバチが生産されます。その寿命は平均1か月,野外で働く期間を20日間とします。彼らが1日当たり50頭の餌を狩ったとすると,巣全体の働きバチが年間に狩る餌数は,50×20×10000=一千万。このうち「害虫」の占める割合がどの程度かは,いちがいに言えませんが,捕食性天敵としての彼らの役割を注目させるに足る数字でしょう。


誤解7:スズメバチの巣は翌年また使われる

どんなに大きな巣でも秋になると空になり,翌年再利用されることは,少なくとも日本ではありません。母バチが1頭でまた一から始めるのです。
 ちなみにこの母バチがいわゆる女王バチですが,このことばのイメージとは異なり,春先の女王は自分だけで巣作りや子育てをすべてこなします。この時期の巣は小さく,女王は攻撃性がほとんどないので駆除も簡単です。彼女が産卵に専念できるようになるのは,娘である働きバチが羽化する夏以降のことなのです。      以上七つの誤解,解いていただけたでしょうか。

このページは牧野俊一氏のご好意により転載しました