サルモネラと卵の問題(2)



心ある人達は皆、サルモネラ菌による食中毒と生卵を結び付けることを疑問視する。食品としての生卵は単なる動物蛋白源ではなく生きていくのに欠かせないエンザイムの宝庫でもある。熱を加えることによってそれらを破壊すれば、たちまち腐敗菌がとりついて夏など数時間で腐ってしまうが、生だと殻を割ってもそんな短時間で腐ることはない。これが白身に含まれるリゾチームなどのエンザイムの力である。特に新鮮な生卵は黄身を白身が覆い、殻がなくても容易には腐らない。マーカーとしての腐敗菌に限らずサルモネラ菌の増殖に対しても同様である。

それをこともあろうに実験室では、無防備な黄身の真ん中に注射器でサルモネラ菌を注入して実験した。全く自然界では在り得ないやり方である。あまつさえそれを70度に熱して菌を殺し70度に熱すれば安全と宣伝した。卵の安全性に関してはこんな馬鹿な実験がもとになって居るのである。
それは生卵を食う習慣のないヨーロッパなどの国々が、生卵を毛嫌いするのは分からぬでもないが、卵かけご飯や、すき焼きのつけ卵を食文化として持つ日本の場合はその安全性は充分経験済みのはずである。それを簡単に覆して放棄してしまう我が国の国民性には本当に首をかしげるばかりだ。それでも殻を割れば黄身が露出する。割ったら直ぐ食べるのは当然である。

加藤先生が云われるように、どういうわけか一時期SEが全く出なくなったことがある。昭和30年代まで、何処にでも居たエンテリティディスはその後チフィムリュームに代わり、それも出なくなる。そのかわり昔は全く居なかったヨーロッパやアメリカでダブリンに替わってエンテリティディスが問題視されるようになった。それを無定見に受け入れて我が国の場合も大騒ぎとなって都内のホテルからは半熟卵までが消えてしまった。しかし繰り返すように昭和30年代まではエンテリティディスは、我が国特有の種類と教えれていたのである。それに細菌の場合は薬剤耐性こそできるもののインフルエンザウイルスのように極端にシフトすることはあり得ない。況んや菌の大きさ自体が変わる筈もない。昔は容易に卵の中に入り込めなかったものが最近のは外から入ってしまう。菌の性質が変わったんだとする説を読んだことがあるがそれを云うなら変わったのは卵殻の方だ。

卵の細菌汚染を考えるとき、環境中の腐敗菌や食中毒菌を防ぐ第一の関門である卵殻を完全なものにすることが対策としては最も大切であり自然の摂理に適った考え方であるが、近年の量産による卵はそれが極端に脆弱化している。その証拠に本来はヒビがなければ腐らない筈の殻付き卵が調理場に数日置いただけで黒玉になる例が普通になった感じである。最近では、その卵殻の劣化が産卵開始後5〜6カ月で起こることが問題であり、劣化が認められた卵はパック詰めをせずに箱玉として流通する。これが調理場に入るのだ。どうにも不可解なサルモネラ菌の波が起きて居る間は、調べれば環境中のゴキブリに至るまで汚染していると考えられる。ましてや都会の環境にも跋扈するクマネズミなどはもともとSEに対してカテゴリー1、つまり固定宿主として考えられて来た存在である(獣医微生物学)。それを捕食するペットの犬猫もまた水平感染の元凶ともなりうる。

これらのことから特定のサルモネラ菌が跳梁して居る間は、その環境中での水平感染こそ重視されるべきだが、今のように都合よく鶏卵が元凶扱いされるとあっては、その生産場での対策も無論重要なことは間違いない。月並みだが健康な鶏と健全な卵が実際はそのすべてであるが、消長を繰り返す特定種のサルモネラが認められるうちは、やはり卵に菌が付着することを避けねばならない。従来から云われて居たのは、生産段階では卵表面のクチクラを落とすと菌が侵入し易くなるから卵は洗うな。一方冷蔵庫に入れる際は表面を洗い流せというのが一番実際的な方法だったが今は流通の仕方が違う。卵はパック詰めされる際、塩素殺菌され、鶏が健康で本来的な、菌のインエッグ状態が在り得ないとすれば以後調理されるまで隔離状態は保たれるからパック卵自体はまったく安全を保つことができる。感染が起きるとすればパックから取り出した後である。

一方、昭和30年代まで採卵鶏では普通に存在した陽性鶏の産んだ卵で実際食中毒を起こした例は、身近では全く知らない。しかし卵殻に付着する形での垂直的な感染も無きにしもあらずと考えれば陽性鶏の存在は採卵鶏の場合も許せない。

そこで実際その昭和30年代のサルモネラ猖獗期に陽性鶏を出さないためにわれわれが講じた手段は、診断液による検査後、種鶏を一段ケージに収容して人工授精にしてしまったことである。当時は農村にクマネズミが多く、電線を群がって渡る姿を日常的に目撃して居たほどで、魚粉など原料の汚染も心配され、管理者は魚粉を口に含むなと注意もされたが、油分が変敗した魚粉の刺激味は実際食べて見ないと現場では分からない。だから口で吟味する方法は変わらなかったが、だからといって抗生剤の世話になったことは一度もなかった。

そしてそれ以後不思議なほど陽性鶏の出現は皆無となった。だから鶏の陽転には経口摂取以外の汚染動物との何らかの接触が考えられたが、その後の傾向をみると、やはりSEの流行期を過ぎたことがその理由と思われる。猖獗を極めたものがいつの間にか居なくなり、そのうちまた所を変えて出現する構図は、繰り返すようにウイルスも細菌も同じようで皆勝手に人為的に絶滅させたと思い込んで居るだけだという気がする。インフルエンザでもショウプの有名な実験以来まだ解明された形跡はない。いずれにしても過去われわれはサルモネラで手痛い打撃を受け、さまざまな体験もしている。しかし自身を含め、その第一線に居ながらサルモネラによる中毒に出くわしたことはなく、いつの時代でも生卵は生きるための活動源であるとの認識を変えたことはない。最も安全な機能食品である生卵をサルモネラごときのために煮てしまってどうする。ただそのためには健康な鶏と健全な卵は絶対的な条件となる。

しかしSEそのものは人間にとってカテゴリー2、つまり単なる食中毒菌ではなく、大量に感染すればリンパ節を経て血中に入りパラチフスや敗血症を起こすこともあるとされ、エンテロトキシンを産生するとも云われ幼児は特に危険とされるから、生産者としてもその汚染は厳重に監視する必要はある。ただわが家を中心に考えれば、妊娠中からどの子もどの子も離乳以後は生卵か半熟が主食で、我田引水ながら唯一信頼できる安全な食物であったわけで、そのために安全を期し、また自然の摂理からも安全であるべき生卵の機能を殊更避けてしまう愚を見過ごしてはならないと思うだけである。

H 18 10 15  I,SHINOHARA.