『鳥インフルエンザ問題の今後(103)』



鶏の研究誌11月号に感染経路究明チームの寺門座長のインタビュー記事が載っているが、感染経路として挙げて居る4つのルートのうち、例えばペットバードに関してはオフィシャルの発表では輸入実績がないとされ、実績がなければ消去の対象とされた経緯から、公式発表が如何に実態から外れたものか、動物検疫対象外だったペットバードの実際の数値(日本獣医畜産大学HP)と比較して、それを基準とした考察が如何に危険なものか慄然とさせられる。これでは感染経路の究明など出来る筈がない。

9月、毎日新聞生活家庭部、小島正美記者の《記者の目》に快哉を叫んだのは、記者の目が等しく農水省の言動に注がれ、その意向に沿う形の記事しか受け入れられないことを知って、それに阿ねるばかりの中で敢然とワクチン論を取り上げた大新聞記者の勇気を称える意味も大有りで、伝聞では書けない真の《記者の目》として絶賛したのである。その後同紙の社説、10/6の経済部記者の反論などは予想されたもので、少なく共この二年間当局のプロパガンダに遮られたままの古びた報道の蒸し返しで面白くも何とも無い。

さてその《経済部》の記者の目だが、どこの国でもワクチン論と経済問題は切っても切れぬ関係で、この記事のように<安全性の証明は不十分−−経営支援充実こそ先決>と切って捨てるほど単純で簡単な問題ではないことくらいは周知のことである。
一口に国は国民を守る義務がある、と云っても残念ながら家業を守ることとか、いわんや家畜家禽の類いまではその範疇になく、最終的には生活保護で事足りる。従って我々は自衛を心掛けるしかないのである。
自分たちの家畜は自分たちで守るのが我々の基本姿勢だとしても人畜共通病の場合は当然人間優先である。万が一にも家畜を守ることが公衆衛生の妨げになってはならないとすることも畜産農家に課せられた大切な義務であり、その遵守は何物にもまして優先させなければならないことは百も承知している。しかし家禽といえども一つの命である。我々もまた生活保護ではあまりに潔しとしない。不必要な虐殺ならば避ける努力を惜しむべきではない。そこにワクチンという選択肢も出て来るわけである。

ワクチンの性能などというものは記者の伝聞に頼らずとも業界の人間なら熟知している。経営支援は繰り返すが最終的に生活保護で事足りることも十分知らされて来た。

我が国ではワクチン問題は事実上タブー視され、まともに議論されたことがない。国の《清浄国論》の手前常に却下され続けて来たのである。そこへ風穴を開けたのが小島記者であり、塞ごうとするのが社説であり今回の記事である。何物にも阿ねない《記者の目》をこそ我々は望むのであり、ワクチン賛成論だけを期待しているわけではない。

H 17 10 19. I,SHINOHARA.