『鳥インフルエンザ問題の今後(48)』



シベリアでガンカモ類がH5NIで大量死したとの報道が事実なら、ウイルスと自然宿主との共存共栄関係が崩れた決定的な証拠になるだろう。それを置いても最早日本を含めた少なくとも全アジアのAIウイルス浸潤はアウトブレークの有る無しに係わらず事実として常識的に捉えておくべきである。にもかかわらず国があくまで清浄国論に固執するならば「同定なくして発症なし」という選択にならざるを得まいとこのホームページで唱えて来た。これは「鶏に最初に取り付いた時は総てLPAIである」とした喜田説に沿って、ならばLPAIのうちに処分して、少なく共アウトブレークは防げということであった。これは無論環境のウイルス浸潤は既にあり養鶏場は100%被害者であって、環境が清浄で鶏にLPAIが取り付く訳がないとした上での選択で唯一の自衛策でもある。

その意味で今回の水海道の事例は、多大の犠牲を出しながら環境汚染を自場の鶏で証明する形を選んだことになる。環境汚染は既にあるんだとする認識に立てば、わざわざアウトブレークを買って出る人は居なくなるし、繰り返すようにこの立場は地方行政まで同じである。

図らずも今回茨城の被害農場の大きな犠牲のお陰で、少なく共その環境中のウイルスの存在を証明出来た。改めてのサーベイランスの必要がどこにあるのか。あるとすれば「とき様」の云われる不認可ワクチンの追求位しか思い及ばない。

これが非常に歪んだ考えであることは重々承知で本来なら口にするのは憚られることである。しかしその歪みのもとはアジアの実態を無視した、国の「清浄国論」である。
国と小委員会は我々のそのような考えを察してか、何処の国でも前例のないアウトブレーク無しの抗体だけでの殺処分を強行した。その結果本来は環境を証明して呉れた功績のある30万羽の鶏を血祭りに上げてしまった。

各地方行政の立場でも、この茨城の例を他山の石として、小委員会の全く子供じみた殺せ殺せでない総合的判断をもって事に処して貰いたいものである。
これ以上鶏共を血祭りに上げずとも、大人としての常識的な判断での証明は十分なされたと考えるべきである。疫学的な証明など判断力のまるでない学者世界の絵空事に過ぎない。そんなことを信じて居たら日本中に鶏は居なくなる。

ただ今後、全国的サーベイランスで、たとえ一件の陽性例が出なくても今回の茨城の例と隣国情報で常識的に環境中のウイルス浸潤は十分あると考えて、繰り返す学者のいう疫学的証明は絵空事であるとの認識で、総て鶏病はトリフル絡みであると用心してくれぐれもアウトブレークを防がなくてはならない。その意味でも一部地方の庭先養鶏の廃鶏再生の習慣はやめるべきだと思う。

サーベイランスの結果はカプア先生をも悩ませ、農家のモニター鶏差し替え疑惑まで口にした。LPAIの監視は成功しない、否成功した国はないというのが常識である。
一方HPAIの突発を未然に防ぐための監視は各養鶏場の責任だ。公的サーベイランスの結果は、先進国のイタリアの話でも全く無関係と見るべきである。
改めてこの冬が心配だ。
わが家もツープラツーンでの夏休みに入る。しばらくご無沙汰である。次回には鶏小屋が空になっているかも。 皆様 お元気で 。

H 17 8 2. I, SHINOHARA