●井上メルマガ('09/10/7) 靖国f派への審判
井上さとしです。
先日、京都の治安維持法犠牲者国家賠償同盟の総会で、「靖国派、改憲派の実態と国賠同盟に期待するもの」と題して講演する機会がありました。靖国派が90年代の後半から総結集し改憲派の中心になってきた流れを振り返り、今回の総選挙で国民がどのような審判を下したのか調べてみて、改めて総選挙での自公政治退場の審判の重みを実感しました。
河野談話や村山談話に危機感をもった靖国派が総結集し、97年に二つの重要な組織が結成されました。一つは、中川昭一氏代表、安倍晋三氏事務局長で結成された日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(その後、名称から「若手」は外れた)」で、その後、教科書攻撃やNHKの慰安婦問題テレビ番組への介入の先頭に立ちました。もう一つが「日本会議」とその国会議員版である「同国会議員懇談会」です。
安倍氏が総理になったときの内閣はこの2つの議員の会に参加する議員が大半を占めました。安倍氏自身が今の憲法を連合国に対する「侘び証文」のようなものだとまでいうなか、靖国派は憲法改定運動の中心にすわるようになり、同内閣は教育基本法の改悪や憲法改悪のための国民投票法を強行しました。
しかし、安倍内閣は07年参院選挙で大敗北し、その後、突然政権を投げ出しました。靖国派には手痛い打撃となりました。この参院選で、参院憲法調査特別委員長をつとめ憲法改定の国民投票法案を強行した関谷元建設大臣が落選しました。
そして今回の総選挙。衆院の憲法調査特別委員会の委員長だった中山太郎元外務大臣も落選しました。当選議員全体でみても、新憲法制定推進議員連盟に所属する議員の139人中、今回当選したのは53人にとどまったのです。
毎日新聞のアンケートでは、05年総選挙で当選した議員のうち84%が改憲支持。当時の同紙は「96年の衆院選挙後…41%だった改憲派は、約10年で2倍以上に伸長」と書きました。今回はどうか。全当選者の中で改憲賛成は68%に減り、9条については、改憲反対は51%となりました。
さらに靖国派の総本山である日本会議国会議員懇談会加盟の議員がどうなったか。講演のときには最新の名簿がなかったのですが、先日の中華人民共和国建国60周年祝賀会の会場で「教科書ネット」の俵義文さんから貴重な資料を頂き、全貌が判明しました。
今回の総選挙に立候補した日本会議国会議員懇談会への加盟議員は168人。そのうち、半数を超える86人が落選(自民82、国民2、無所属2)し、当選者のうち比例復活は21(自民20、民主1)という結果でした。
落選者の中には、先にあげた中山太郎氏をはじめ「日本の前途と歴史教育を考える会」の現職会長である中山成彬元文部科学大臣、初代会長である中川昭一元文部大臣など靖国派の中心人物が並びました。
さらに保岡興治元法務大臣、小坂憲次元文部科学大臣、久間章夫元防衛大臣など靖国派の閣僚経験者も軒並み落選しました。国民はこの総選挙で靖国派に対して厳しい審判を下したのです。
もちろん鳩山総理自身が新憲法制定推進議員連盟の顧問であり、鳩山内閣には日本会議所属の閣僚もいることは見過ごすことはできません。しかし、今回の国民の審判は、この政権に世論の枠をはめていることも事実です。再び、靖国派の台頭をゆるさないために、歴史の真実を伝え、九条を活かす世論をひろげることが何よりも重要です。
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