勝率75%以上を記録した車はF1の歴史上、6つあります。圧倒的な強さには、そうなるだけの戦略と、時代背景がありました。
戦前の1938年にエンツォ・フェラーリにより作成された1.5リッター直8スーパーチャージャーつきマシン。最終的に425馬力まで発生。F1黎明期を制覇します。フェラーリを創立したエンツォの非過給マシンに1951年イギリスGPで打倒され、アルファロメオは翌年撤退。
1950,51年チャンピオン
13戦10勝(勝率77%)
1-2フィニッシュ4回
9連勝
平均得点3.4
PP10回(PP率77%)
予選1-2位独占9回
FL13回(FL率100%)
1位周回全戦(1位周回占有率79%)
アルファロメオなき後、フェラーリに敵はいなくなりました。F2規格の非過給2リッターで争われた2年間に、フェラーリは直4の170馬力マシンを登場させ、アスカーリの9連勝などレースを席巻します。フェラーリ500の記録のほとんどは35年間も破られませんでした。
1952,53年チャンピオン
15戦14勝(勝率93%)
1-2フィニッシュ10回
14連勝
平均得点3.2
PP13回(PP率87%)
予選1-2位独占7回
FL13回(FL率87%)
1位周回全戦(1位周回占有率89%)
2.5リッター時代に1954年途中から参戦し2年連続チャンピオン。直8で275馬力。勝率75%はシルバーアロー不敗神話に偽りあり。ダイムラー・ベンツ社の巨額の予算・人員からは、単なるレース屋のフェラーリに勝って当然でした。1955年ルマン大事故により撤退。
1954,55年チャンピオン
12戦9勝(勝率75%)
1-2フィニッシュ5回
4連勝
平均得点3.6
PP8回(PP率67%)
予選1-2位独占4回
FL9回(FL率75%)
1位周回10戦(1位周回占有率68%)
ジョン・バーナード設計のカーボンモノコック・シャシーに、オーダーメイドのTAGポルシェV6ターボ(750馬力)。他チームがターボの信頼性と燃費に悩む中、ボッシュのマネジメント・システムが威力を発揮。ラウダ・プロストのコンビは予選が弱いがレースは勝てる自信がありました。
1984年ドライバーズ、コンストラクターズチャンピオン
16戦12勝(勝率75%)
1-2フィニッシュ4回
7連勝
平均得点4.5
PP3回(PP率19%)
フロントロー独占なし
FL8回(FL率50%)
1位周回13戦(1位周回占有率51%)
ターボ最後の年に、厳しい過給圧と燃料規制のもと、ターボ使用チームは苦しみました。規制されるほどに有利になる1.5リッター、ホンダV6ターボ(685馬力)。レースではセナ・プロストの最強コンビで他を圧倒します。
1988年ドライバーズ、コンストラクターズチャンピオン
16戦15勝(勝率94%)
1-2フィニッシュ10回
11連勝
平均得点6.2
PP15回(PP率94%)
フロントロー独占12回
FL10回(FL率63%)
1位周回全戦(1位周回占有率97%)
前年、シューマッハに両タイトルを奪われたが、天才設計者ニューウェイを擁するウィリアムズがベストと言えました。この年、シューマッハがフェラーリ移籍で慣れの1年となり、ウィリアムズの天下になったのです。たとえヒルとビルヌーブがシューマッハ・クラスでなくとも。
1996年ドライバーズ、コンストラクターズチャンピオン
16戦12勝(勝率75%)
1-2フィニッシュ6回
5連勝
平均得点5.5
PP12回(PP率75%)
フロントロー独占9回
FL11回(FL率69%)
1位周回全戦(1位周回占有率75%)
※この中にない強豪マシンは、勝率75%を達成していません。たとえば、1998年ハッキネンのマクラーレンMP4/13、1992年マンセルのウィリアムズFW14B、1975年ラウダの312T、1963〜65年クラークのロータス25など。それらが速くなかったのではなく、強力なライバルが勝ちっ放しを阻んだからと言えます。勝率75%以上とは、敵がいない状況だったという意味なのです。