4人によるチャンピオン争いの例

1999年のチャンピオンシップ争いは、残り3戦で4人による争いとなりました。1960年以降、このような4〜5人によるチャンピオンシップ争いは7回あります。戦略、流れ、勝負どころ、移籍の影響、チーム内確執、最終戦の最終ラップの運命など、さまざまな要素がからみあうドラマとなっています。直近の1986年からさかのぼって見て行きましょう。

※1990年以前は、全戦得点合計ではなく、16戦中ベスト11戦の得点というように計算されていましたので、入賞得点の単純加算ではありません。

※※以下の表で背景が薄いグリーンはチャンピオンになった者。灰色はそのレース前に脱落した者を示します。

 

1986年 最速ではないが戦略にたけたプロストに凱歌

ドライバー チーム 第13戦終了時 第14戦ポルトガルGP 第15戦メキシコGP 最終戦オーストラリアGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
マンセル ウィリアムズ・ホンダ 4勝 61点   2位 優勝 70点 3位 5位 70点 PP リタイヤ 70点 2位
ピケ ウィリアムズ・ホンダ 4勝 56点 5 6位 3位 60点 2位 4位 63点 2位 2位 69点 3位
プロスト マクラーレン・TAG 3勝 53点 8 3位 2位 59点 6位 2位 64点 4位 優勝 72点 チャンピオン
セナ ロータス・ルノー 2勝 48点 13 PP 4位 51点 PP 3位 55点 3位 リタイヤ 55点 4位

速さは圧倒的なウィリアムズ・ホンダがコンストラクターズタイトルをとる。それを駆るマンセルかピケか。第14戦はマンセルが優勝し、初のタイトルに前進。2位プロストは11点差と開く。セナは脱落。

第15戦メキシコはベネトンの作戦が決まり、ベルガー初優勝というレース。ウィリアムズがタイヤ戦略で敗れ、2位プロストが6点差とじわり近寄る。

最終戦オーストラリアは、マンセルが3位に入ればチャンピオンという有利な状況だったが、タイヤバーストで霧散する。タイヤを心配したピケがピットインの間に、プロストが首位にたち、そのまま優勝してチャンピオンになった。最速ではないが着実に2位を重ね、最後に勝ったプロストに凱歌が上がった。

 

 

1983年 流れが変わったプロストとルノーの失速、ピケとBMWの急上昇

ドライバー チーム 第12戦終了時 第13戦イタリアGP 第14戦ヨーロッパGP 最終戦南アフリカGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
プロスト ルノー 4勝 51点   5位 リタイヤ 51点 8位 2位 57点 5位 リタイヤ 57点 2位
アルヌー フェラーリ 3勝 43点 8 3位 2位 49点 5位 9位 49点 4位 リタイヤ 49点 3位
ピケ ブラバム・BMW 1勝 37点 14 4位 優勝 46点 4位 優勝 55点 2位 3位 59点 チャンピオン
タンベイ フェラーリ 1勝 37点 14 2位 4位 40点 6位 リタイヤ 40点 PP リタイヤ 55点 4位

この年、ルノーは念願のチャンピオンに手の届くところに来ていた。しかし第12戦オランダGPでプロストはピケと無用の接触、両者リタイヤとなる。ここから流れが変わっていく。

BMWターボの性能向上もあり、ピケは息を吹き返してイタリア、ヨーロッパと連勝した。逆にプロストは進化が止まったルノーとの仲が悪化する。ルノーはプロスト放出を考える。一方、フェラーリはコンストラクターズタイトルを得たが、終盤、信頼性を落としてしまう。アルヌーが最終戦の予選で負傷したのも痛かった。

最終戦は好調ブラバムBMWのピケが独走、プロストはついていけず、ターボトラブルでリタイヤ。それを知ったピケはペースを落とし、3位で2度目のチャンピオンをしとめる。

 

 

1982年 乱戦を制したロズベルグ、ポイントは14戦目に強豪を抑えての優勝

ドライバー チーム 第13戦終了時 第14戦スイスGP 第15戦イタリアGP 最終戦ラスベガスGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
ピローニ フェラーリ 2勝 39点   39点 39点 39点 2位
ロズベルグ ウィリアムズ・フォード 0勝 33点 6 8位 優勝 42点 7位 8位 42点 6位 5位 44点 チャンピオン
ワトソン マクラーレン・フォード 2勝 30点 9 11位 13位 30点 12位 4位 33点 9位 2位 39点 3位
ラウダ マクラーレン・フォード 2勝 26点 13 4位 3位 30点 10位 リタイヤ 30点 13位 リタイヤ 30点 5位
プロスト ルノー 2勝 25点 14 PP 2位 31点 5位 リタイヤ 31点 PP 4位 34点 4位

フェラーリはコンストラクターズタイトルをとるものの、G・ビルヌーブの死、ピローニの重傷(シーズン途中で引退)という悲劇に会う。誰がピローニの点を上回るかが焦点となった。ワトソン、ラウダ、プロストらは2勝したがリタイヤも多く、勢いに乗れない。

前年ノーポイントで無名のロズベルグは、この年、トップチームのウィリアムズに拾われる。そして一気にチャンピオン争いに加わる。第14戦スイスでプロストとラウダを抑えて唯一の勝利を上げ、首位に立った。続くイタリアではプロストとラウダが脱落。ワトソンのみにチャンスが残る。最終戦ラスベガス市街地で、ワトソンは必死に優勝を目指すが、ロズベルグも必死に走り、入賞する。こうして史上最大の乱戦は決着がついた。

 

 

1981年 チームメイト同士の確執、スキをついたピケが王座

ドライバー チーム 第12戦終了時 第13戦イタリアGP 第14戦カナダGP 最終戦ラスベガスGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
ピケ ブラバム・フォード 3勝 45点   6位 6位 46点 PP 5位 48点 4位 5位 50点 チャンピオン
ロイテマン ウィリアムズ・フォード 2勝 45点 0 2位 3位 49点 2位 10位 49点 PP 8位 49点 2位
ラフィー リジェ・マトラ 1勝 34点 11 4位 リタイヤ 34点 10位 優勝 43点 12位 6位 44点 4位
ジョーンズ ウィリアムズ・フォード 1勝 31点 14 5位 2位 37点 3位 リタイヤ 37点 2位 優勝 46点 3位
プロスト ルノー 2勝 28点 17 3位 優勝 37点 4位 リタイヤ 37点 5位 2位 43点 5位

4人の争いはイタリアでプロストが優勝し、5人に増える。しかしカナダでプロストとジョーンズがリタイヤし、最終戦は3人の争いになった。

コンストラクターズタイトルをとったウィリアムズだが、ロイテマンとジョーンズに確執があった。ジョーンズはサポートにまわるつもりがなく、勝手にレースをリードする。これが敗因になっていく。

灼熱のラスベガスは体力勝負のサバイバル戦となる。優勝しかないラフィーは予選の不振で遠のいた。ポイントリーダーのロイテマンはPPからずるずると後退。ピケは首のケガで完走が難しく思えたが、耐え抜いて逆転王座についた。

 

 

1974年 王者フィッティパルディが挑戦者たちを最後に退ける

ドライバー チーム 第12戦終了時 第13戦イタリアGP 第14戦カナダGP 最終戦アメリカGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
レガッツォーニ フェラーリ 1勝 46点   5位 リタイヤ 46点 6位 2位 52点 9位 11位 52点 2位
シェクター ティレル・フォード 2勝 41点 5 12位 3位 45点 3位 リタイヤ 45点 6位 リタイヤ 45点 3位
ラウダ フェラーリ 2勝 38点 8 PP リタイヤ 38点 2位 リタイヤ 38点 5位 リタイヤ 38点 4位
フィッティパルディ マクラーレン・フォード 2勝 37点 9 6位 2位 43点 PP 優勝 52点 8位 4位 55点 チャンピオン

前年不調だったフェラーリが復活。若手ラウダが6連続を含む9PPで最速を発揮すれば、ベテランのレガッツォーニは12戦で入賞10回の安定ぶりを示す。

ティレルはスチュワートの引退とセベールの死を乗り越え、新鋭シェクターが着実にポイントを稼いできた。

しかし唯一の王者経験を持つフィッティパルディは、第13戦2位、第14戦優勝と勝負どころで貫禄を見せる。ライバルが次々に倒れた最終戦も4位で締めくくって、2度目のチャンピオンに輝いた。

 

 

1968年 G・ヒルがライバルたちを抑え、亡きクラークに栄冠を捧ぐ

ドライバー チーム 第9戦終了時 第10戦カナダGP 第11戦アメリカGP 最終戦メキシコGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
G・ヒル ロータス・フォード 2勝 30点   5位 4位 33点 3位 2位 39点 3位 優勝 48点 チャンピオン
イクス フェラーリ 1勝 27点 3 負傷 27点 27点 15位 リタイヤ 27点 4位
スチュワート マトラ・フォード 2勝 26点 4 11位 6位 27点 2位 優勝 36点 7位 7位 36点 2位
ハルム マクラーレン・フォード 1勝 24点 6 6位 優勝 33点 5位 リタイヤ 33点 4位 リタイヤ 33点 3位

前年チャンピオンのハルムが第10戦で優勝し、G・ヒルに追いつく。第11戦では若手のスチュワートが優勝し、にわかに混戦となった。

迎えた最終戦メキシコは、G・ヒルが4年前に敗れた舞台でもある。レースではスチュワートにトップを明け渡す。しかしG・ヒルは辛抱強く走り、逆転する。

シーズン初めにクラークが死んで、意気消沈するロータスを奮い立たせたG・ヒルが、1962年以来2度目のチャンピオンに輝いた。

 

1964年 サーティースが最終戦の最終ラップで逆転チャンピオンに

ドライバー チーム 第7戦終了時 第8戦イタリアGP 第9戦アメリカGP 最終戦メキシコGP 最終順位
勝数

得点

予選 決勝 得点 予選 決勝 得点 予選 決勝 得点
G・ヒル BRM 1勝 32点   3位 リタイヤ 32点 4位 優勝 39点 6位 11位 39点 2位
クラーク ロータス・クライマックス 3勝 30点 2 4位 リタイヤ 30点 PP リタイヤ 30点 PP 5位 32点 3位
サーティース フェラーリ 1勝 19点 13 PP 優勝 28点 2位 2位 34点 4位 2位 40点 チャンピオン
ギンザー BRM 0勝 17点 15 9位 4位 20点 13位 4位 23点 11位 8位 23点 5位

最速男クラークが前半に3勝し、2年連続王座かと思われたが、後半にリタイヤを連発し、混戦になっていく。かわってG・ヒルが着実に表彰台に登り、ポイントリーダーとなる。サーティースのフェラーリは中盤から速くなり、猛然と追い上げる。

そして迎えた最終戦。G・ヒルはフェラーリのセカンドドライバー、バンディーニにぶつけられて大きく後退する。レースはクラークが終始独走し、王座と思われた最終ラップ、オイルパイプ破損でストップしてしまう。このままならG・ヒルだったが、サーティースはバンディーニに2位を譲られ逆転。初めて2輪と4輪の両方のチャンピオンになった。