憲法7条解散は憲法違反!?


 今回の衆議院解散、総選挙に国民は半数以上が賛意を示し、総選挙は郵政民営化の是非を国民に問う実質的な国民投票となった。郵政民営化法案だけを争点にして解散した小泉首相の政治手法に批判はあるが、族議員が多い参議院で葬られた法案について国民の信を問う姿勢は評価できる。間接民主主義に飽き足らない国民は直接民主主義的手法を渇望しているのだ。強引な解散と法案に反対する党員の排除は、擬似首相公選により選ばれた小泉首相でなければ実現しなかっただろう。強力な指導力を発揮することが難しく、談合政治と族議員の集団を生みやすい議院内閣制の中で、強権政治が可能なことを小泉首相は証明してくれたのだ。

現行憲法の問題点

 問題は国会における二院制の意義と憲法第7条にもとづく解散である。憲法第7条は内閣の助言と承認により天皇が解散権を行使できるように読めるが、この条項は天皇主権を定める帝国憲法の遺物で、後に続く条文との整合性が無いのである。憲法第7条は内閣総理大臣が、行政府、司法府だけではなく、立法府に対しても絶大な権限を行使することを可能にしており、現行憲法の議院内閣制は独裁者を生む可能性を宿しているのだ。憲政の神様、尾崎行雄氏は憲法7条解散が許されるなら「すこし気の利いたものが出れば、たちまち北条・足利の時代が再現する」と指摘している。

 内閣の解散権について、最高裁は苫米地義三氏を原告とする衆議院解散無効確認請求に「訴訟手続き上の不適法がある」として自らの判断を放棄し、昭和28年4月15日付の判決で裁判官真野毅氏の補足意見を載せている。硬骨のリベラリスト真野氏は明確に「三権分立の原則から解散権は行政権に属すべき性質のものではなく、国権の抑制均衡の原則からも認められない」とし、憲法第69条にもとづかない衆議院の解散は「憲法に違反し無効」と述べている。御用学者が真野氏の意見に同意しないことは当然としても、多くの憲法学者やマスメディアが真野氏の意見に耳をふさいでいることが不思議だ。

 現行憲法のこの不備を放置することは許されない。憲法第7条に規定される帝国憲法の遺物的条項と二院制機能の見直しが必要だ。最高裁の裁判官が内閣により任命される仕組みも、司法より行政を優位に立たせて官僚独裁を許し、三権分立の原則を形骸化させている。内閣総理大臣が自分に都合が良い裁判官を任命できる仕組みも改めなければならない。

 価値観が多様化する時代における政党のあり方も問われている。同一党内に一つの法案に対する意見が異なる議員がいて当然である。議員個人を党議拘束する政党は時代に合わないのだ。郵政民営化を唱え、小さな政府を目指す小泉首相は自民党の中では異端であり、自民党内には大きな政府を好み、小泉首相に面従腹背する議員が多い。一方、民主党議員の中にも郵政民営化に賛同する議員は多く、元民主党議員であった松沢神奈川県知事は「党から除名されても郵政民営化には賛成する」と述べていた。郵政民営化法案に民主党議員が全員一致して反対し、より良い対案を出さなかったことが残念だ。

首相公選制の必要性

 二大政党の時代へ向け政党には大変身が求められる。理念が異なる勢力を集めた政党は人数が増えても迷走するだけだ。二大政党は理念が明確な「大きな政府」対「小さな政府」で価値観を共有できる集団に分かれることが望ましい。しかし、総論賛成でも個別の具体策になれば全員が一致することはあり得ないし、妥協の結果骨抜きになった法律に存在価値はない。政党に求められるのは政策の整合性と既得権との決別である。廃藩置県後の県知事に、明治政府は地元出身者を任命しなかった。地元での利権、情実を断ち切るためである。国会議員には全体の奉仕者との自覚をもち政策が立案できるものを選出しなければならない。政党の談合をパスしないと法案の提出さえ出来ない日本の政党政治を「総理を目指す男」河村たかし氏は嘆いている。米国のように議員個人による法案提出を許し、国民への影響が大きい法案については、党派を超え全国民の信託に応えて審議される仕組みが必要だ。

 フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーが言うように国民の主権は分割できないのである。価値観が多様化する時代の政党党首には、全国民の信託に応えられる強力なリーダーシップが求められる。強力なリーダーシップを発揮する方策の一つが「首相公選制(または大統領制)」だ。首相が政党の談合と妥協によって決められるのではなく、全国民により直接選出されるのであれば、首相が強権を揮っても、それは国民の意思である。有権者が首相選びに直接関与できれば国民の政治への参加意識は格段に向上するだろう。一時期、話題になった首相公選制の議論が下火になってしまったのは、擬似首相公選による小泉首相の登場で制度が不要となってしまったからである。
 現行憲法の議院内閣制の欠点を改め、三権分立の原則を形骸化させないために、首相の責任と権限を明確にした首相公選制を再検討し、制度化することが望まれる。

 現行憲法は帝国憲法第73条による議決を得て天皇が裁可し公布したものであり、改正を繰り返しても欽定憲法であることに変わりはない。帝国憲法の面影が残る現行憲法は民主主義の原点に立ち返って見直すべきだ。憲法に求められるのは「改正」ではなく「創憲」ではなかろうか?

文京区在住 後藤一郎


(文責 松井)