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その(一)

緋桜

ピンク‐桜

染井吉野

枝垂桜

八重桜

俳句寺の春は、まず三月下旬のから四月上旬に咲く、 桜から始まります。染井吉野桜がほとんど
ですが、南方の桜、
緋桜 も五六本植えられていて、この緋桜は吉野桜より先に咲き三月中旬から
三月下旬頃、満開となります。花はいつも下を向いて咲きます。この緋桜が咲き終わると、
いよいよ
染井吉野桜が咲き始めます。染井吉野桜が 満開になると俳句寺は
白一色で恰も雪が降ったような光景と成ります。

またその頃、染井吉野の白い花弁がピンク色をしている桜
も滝つつじの傍に植えられていて、染井吉野とは違った風情がある
桃色の綺麗な桜を見ることが出来ます。そして、俳句寺では、染井吉野が
ちょうど花吹雪となる頃、まだ幼木ではありますが
枝垂桜が満開となります。また、
境内の裏山では
山桜も咲き始め、 色々の桜をこの時期、俳句寺で見ることができます。そして、
最後に咲く桜は、ボタンのように大きなピンク色した桜、
八重桜が咲き、桜の季節は終わりとなります。


五 色 椿

俳句寺の表庭には、今から二百五十年前、正覚寺中興開山様が植えたと言われる樹齢250〜300年の
五色椿散椿の二本の椿があります。五色椿は、神奈川の名木百選の椿で、四月初旬頃から咲き始めます
それらの椿は、 ピンク に加えて、 ピンク ピンク の斑の混合色です。

下の五色椿の見たい写真をクリックすると拡大写真を見る事ができます。

ピンク

ピンク

ピンク


散 リ 椿

散り椿とは、昔から一般に椿は首から落ちて散りますが、この椿は花弁が一片づつ、ひらひらと散って
行きます。ですから、散り椿の木の下の地面には、散った花片がじゅうたんの様にひきつめられています。
花はすべてピンク色です。

花弁のじゅうたん 散り椿の花 散り椿と五色椿

境内に咲く珍種椿の花の紹介


花 祭 り

そして、四月八日は、お釈迦様の誕生日で、タンポポ、スミレ、椿、桜、水仙、等の花々を御影堂に飾り、 お釈迦様の誕生 を祝います。花御堂の中には、天上天下を指す生まれたばかりのお釈迦様が居て、
 それに甘茶を注いでお祝いをします。

 兄弟でお釈迦様へ甘茶をかけて
誕生祝
コーヒーショップ
Runbiniからの全景
   幼稚園のお友達もお祝いへ

上の写真は、 四月八日の花祭り 風景です。
最初の写真は花見堂で、かわいい子供たちが天と地を指す、お釈迦様に甘茶をかけています。
次の写真俳句寺を国道から見上げた全景写真です。俳句寺の対面にあるコーヒーショップ
るんびにから撮っています。最後の写真は、四月八日は幼稚園の入園式が多いようですが、
入園式を終えた園児が寺に集まって来たときの様子です。最近では,小学校はすでに四月八日は
六時間授業となり、小学生は、午後の帰りと成りますので、俳句寺の四月八日は、午後から
賑わいを見せます。まず、午後一時半から、御詠歌講の皆さんによる、

お釈迦様の生誕を祝うご詠歌

お祝いするご詠歌講の皆さん

お釈迦様の誕生をお祝いする御詠歌の奉詠をし、その後、お茶を飲みながら談笑していると、
庭の方には、甘茶を家に持ち帰って家族と共にお祝いする為、甘茶を入れるポットを持ったり、
ビンを持ったりした小学生や、地域の方々が お祝いに集まり始めます。そして、夕方になると、
今度は学校帰りの制服を着た中学生が集まりお誕生をお祝いして四月八日が終わりす。


る ん び に

とは、お釈迦様は、現在のネパール国の中に在った釈迦族 の小王国の子で、カピラバッツの
執政官のであった、 父シュッドーダナとマーヤ夫人の間に生まれた子です。ある時、母親のマーヤ
夫人がお産のため、実家に帰る途中「るんびに」と言う花園に立ち寄ったのです。 すると急に花の匂いに
産気づき、お釈迦様が誕生したのです。そして、天からはお祝いに甘露の雨が降り、産湯の代わりをしたと
いう事から、四月八日のお釈迦様の誕生日には、お生まれになった花園

るんびに園

を形どって、屋根を春の花でいっぱいに飾った花御堂に、天上天下を指すお釈迦様の誕生佛を
入れ、甘露の代わりに「甘茶」を注いでお祝いするのです。ですから門前にある

コーヒーショップ

click→ る ん び に←here

の名はお釈迦様がお生まれになった地名の事なのです。又、俳句寺の春は、
次の『
春 その二 新緑 』もすばらしいですよ!

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