症状にならない症状
[不快刺激]
- パニックになるのは、その場で反応してしまうほど刺激と混乱が強い場合。
- 何故かイライラしてしまうだけとか、感覚遮断で対応できるのは、その場では原因も対象もよくわからないほど軽微な場合。
- 精神的な影響を与えるほどの恐怖や不安の対象になるのは、それが強迫的・固執的になってしまう場合。
[快刺激]
- 知識や興味の対象として妥当なものは、優れた能力として活かせたりオタクとしての道が開ける。
- 強さやのめり込む時間が適当なものは、安全な基地として機能できる。
- あまりにも強く没頭してしまうと、生活に支障をきたすほどの行動障害になる。
今日は、よその掲示板に自分で書いたことの説明をしようと思います。
これを「診断基準」(非・自閉症者の目)で見ると、こういうことになります。
DSM−4では、(3)の「行動、興味および活動の限定され、反復的で常同的な様式」のうちの、
- 強度または対象において異常なほど、常同的で限定された型の、1つまたはいくつかの興味だけに熱中すること。
- 特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
- 物体の一部に持続的に熱中する。
ICD−10では、
- 物の本質的でない要素(たとえばそのにおいや感触)に特別な関心を持つこともよくある。
- 個人の環境において、いつも決まっていることやその細部の変更(たとえば、家庭において飾りや家具を動かすことなど)に抵抗することがある。
お気づきだとは思いますが、これは「自閉症」の三つ組の障害の一つとされている「こだわり障害」について記述されている部分です。
通常、「こだわり」と言うと、何かを収集するとか、細部まで完璧を期すとかいう意味で使われます。が、「自閉症」の「こだわり」というのは、至って感覚的・即物的なところに根があります。或いは、「感覚−知覚の歪み」とか「認知の偏り」といったことにも関連するものです。ただ、わざわざ[快・不快の感覚]とせずに[快・不快の刺激]としたのは、外界にある物事の「知覚」や「認知」の内の、特定の「要素」「形状」/「関係」「情態」をも含む、多岐の範囲にわたっているからです。
その前に、上が一体何を指しているのかわからないといけないので、TBSドラマ『君が教えてくれたこと』に登場した、繭子さんの例を挙げます。
繭子さんは、カメラのフラッシュでパニック発作を起こしました。これは、視覚が過敏で、強い光刺激に反応してしまった為です。レストランでは、席に座ってボーッとしてしまいました。これは、空調の音が影響を与えたからです。でも、何が原因でそうなったのかは狭山先生に言われるまで分かりませんでした。そして、政治家の水島氏に強い恐怖心を抱きました。これは、過去の記憶が、恐怖体験を鮮明に甦らせたからでした。
一方で、雲や天気図の形状に強い興味を示し、気象予報の天才です。キラキラするものに強く惹かれ、それが安らぎを与えてくれます。ただ、繭子さんは、行動障害(社会的に不適切な行動)のない、非常に優秀な「自閉症」者でした。(人の気持ちを損ねるような憎たらしいことを言わず、あんなに素直で美人で可愛い「自閉症」者が実際にいるかどうかということは、この際問わないことにします。)
このなかで、「知覚過敏」と呼ばれるものについては、比較的判り易いと思います。「音」「色」「光」「臭」「味」「触」などの感覚に対する知覚の過剰反応なので、不快なものに対して過度に反応すればパニックになるし、快感を与えるものに執着して離さないとか、ちょっとした変化に異様にこだわる「自閉症」児(者)というのは、よく見られます。
しかし、「認知の偏り」に関連するものは、非・自閉者には想像がつかなくて、非常に解かりにくいものです。特定の「形」や「角度」などが、安心感・不安感・恐怖心を与えているなんて、言われてみても何のこっちゃか解からない人の方が多いと思います。たいていは、非・自閉者が普通、何も感じないことに敏感で、世間一般の共通認識には無関係、或いは、不適切な反応をしてしまうからです。
「自閉症」者が世間に受け入れられないのは、非・自閉症者が理解し難い行動や、社会的に不適切な行動をしてしまうからです。でも、本当は不快だけれど我慢したり何も感じないように感覚を抹殺していても、恐怖症・不安障害などの神経症的な症状として現れないものは見過ごされてしまいます。それから、何かの知識が豊富だとか、コレクションに夢中になっているのは取り柄として珍重されるのに、奇妙なものにこだわって一日中そればっかり繰り返しているのは異常な行動になってしまいます。
もともとの根っこは同じなのに、非・自閉者の「つごう」によって、良いことばっかり取り上げられて、悪いことはカットされてしまうのは、やむを得ないことかもしれません。でも、本人たちは、そんな価値付けとは無関係に、全身で、症状として認められない症状と共に生きています。表面に現れる氷山の一角だけを問題としたり、それだけに対処しないようにして欲しいものです。
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