認知障害者の心の風景

−に迫ってみるひとつの試み−

私のような広汎で微細な困難を持つ者のことを、偏った性格や人格障害に含める見方もあるかもしれません。しかし、ここは、「自閉症」周辺の障害を解明する場だから、敢えて「認知障害:先天性で発達の過程で現われていくもの」に結び付けてみました。それほど奇妙なことをした覚えのない私でも、「自閉」とか「注意欠陥」にかかわる事柄について、多少、思い当たる節があります。よく言われる症状について、≪本人≫は「どんな感じがしているものか」ちょっと並べてみます。

ただし、こうやって書いたり喋ったりできる人は症状が軽い。重い人は自覚しにくいし、人に伝える手段も少ないので、すべてに当てはまるわけではありません。それから、「意味盲」の傾向が多分にある私の書くことですから、下記の用語の学術的な意味とは無縁なことも、ご了承下さい。

注意の転動

衝動性

多動・多弁

パニック

視線

経験がつながらない。

意味盲

対人関係

 

それで、どうすればいいのだろうか? 

さしあたっては、こういう人は自分の他にもたくさんいることを知って欲しい。

それで、どうしようというわけではないし、どうもできないけれど、似たような人がいると思っただけで安心できないだろうか。

そして、思ったままに、打ち明け話をしたらどうだろう。バカにされるんじゃないか、悪いんじゃないかと恐れる必要は、もうないのだから。

 


       

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