ソーシャルスキルを科学する

『また思いやりを科学する』−向社会的行動の心理とスキル−(菊地章夫著)より

(以下、同書からの引用はそのページを斜体で表示する。)

ゴールドステインのリストと菊地章夫氏の【青年版の社会的スキル尺度】(P189〜197)

注:このリストは一般向けのものです。「自閉症」者にはできなくて当たり前なので、絶対に悲観しないで下さい!

A、初歩的なスキル

  1. 聞く
  2. 会話を始める【知らない人とでも、すぐに会話が始められますか。】
  3. 会話を続ける【他人と話していて、あまり会話が途切れない方ですか。】
  4. 質問する
  5. お礼をいう
  6. 自己紹介する【初対面の人に、自己紹介が上手にできますか。】
  7. 他人を紹介する
  8. 敬意を表す

B、高度のスキル

  1. 助けを求める
  2. 参加する【他人が話しているところに、気軽に参加できますか。】
  3. 指示を与える【他人にやってもらいたいことを、うまく指示することができますか。】
  4. 指示に従う
  5. 謝る【何か失敗したときに、すぐに謝ることができますか。】
  6. 納得させる

C、感情処理のスキル

  1. 自分の感情を知る
  2. 感情を表現する【自分の感情や気持ちを、素直に表現できますか。】
  3. 他人の感情を理解する
  4. 他人の怒りを処理する【他人が怒っているときに、うまくなだめることができますか。】
  5. 愛情表現
  6. 恐れを処理する【こわさや恐ろしさを感じたときに、それをうまく処理できますか。】
  7. 自分を誉める

D、攻撃に代わるスキル

  1. 許可を求める
  2. 分け合う
  3. 他人を助ける【他人を助けることを、上手にやれますか。】
  4. 和解する【気まずいことがあった相手と、上手に和解できますか。】
  5. 自己統制
  6. 権利を主張する
  7. いじめを処理する
  8. 他人とのトラブルを処理する【まわりの人たちとの間でトラブルが起きても、それを上手に処理できますか。】
  9. ファイトを保つ

E、ストレスを処理するスキル

  1. 不平をいう
  2. 苦情に応える
  3. ゲームの後のスポーツマンシップ
  4. 当惑を処理する
  5. 無視されたことの処理
  6. 友人のために主張する
  7. 説得に対応する
  8. 失敗を処理する
  9. 矛盾したメッセージを処理する【あちこちから矛盾した話が伝わってきても、上手く処理できますか。】
  10. 非難を処理する【相手から非難されたときにも、それをうまく片付けることができますか。】
  11. むずかしい会話に応じる
  12. 集団圧力に対応する【まわりの人たちが自分とは違った考えをもっていても、うまくやっていけますか。】

F、計画のスキル

  1. 何をするか決める【仕事をするときに、何をどうやったらよいか決められますか。】
  2. 問題がどこにあるか決める【仕事の上で、どこに問題があるかすぐにみつけることができますか。】
  3. 目標設定【仕事の目標を立てるのに、あまり困難を感じないほうですか。】
  4. 自分の能力を知る
  5. 情報を集める
  6. 問題を重要な順に並べる
  7. 決定を下す
  8. 仕事に集中する

何故、できなくて当然なのに、わざわざこのリストを全部載せたか?

・・・それは、この中から、それぞれの重点目標を決めて欲しいからです。あれもこれも、行き当りばったりに、ただやみくもに突っ走るよりも、何か目安があった方が取り組みやすいから。例えば、Fの「計画のスキル」があれば、「仕事」ができる。これが無いなら、TEACCHの手法で構造化してあげる必要がある。Aの「初歩的なスキル」は、口頭言語での会話に向いているのか・文字での遣り取りの方が良いのか、知っているといないのとではコミュニケーションの困難さの解消法が違ってくる。それから、他人とのトラブルを防ぐ方法だけでなく、自己否定しないことも、より良い社会生活を送る上での基本だということは、チェックをかけるのを忘れてしまう項目だ。ただし、Cの「感情処理のスキル」があったら、「自閉症」ではないとさえ言ってもいいくらいのものです。特に、恐怖・不安・混乱を自力で処理できる能力を、期待してはいけません。

ただし、「自閉症」者は、一人一人違っているので、「あの人がやっているから・あの人にできるから、できるはず。」というものではありません。確かに、お手本となる人が身近にいて、真似をしたり・お互いに競い合ったり・注意し合うことは意義あることだけれど、それぞれの能力のプロフィール特性が違うので、無理なものは無理なのです。この中で、「これならできる!」「これなら、なんとかする方法がある!」という項目を見つけて、「これだけできれば十分やっていける環境」を探すことが大切なのだ。それから、「できないこと」をフォローしたり、危険回避のためのアドバイスをしてくれる人を見つけることも必要です。(どちらかと言うと、これは"親の仕事"です。)

しかし、そもそも「自閉症」者の場合、この下位項目のところからつまづいている。例えば…。

「会話を始める」(P191)

  1. あいさつをする。
  2. スモールトーク(ちょっとした話、たとえば天候のことなど)をする。
  3. 相手がそれを聞いているかどうか確かめる。
  4. 主な話題に移る。

「他人の感情を理解する」(P192)

  1. 相手に注目する。
  2. 相手が何を言っているか聞く。
  3. 相手がどう感じているか予想をたてる。
  4. その感じをどう表現したらよいか(うれしい、悩んでいるなど)考える。
  5. その中でいちばん良さそうな方法で表現してみる。

と、「それができれば苦労しない!」けれど、世間からは「どうしてできないのか!」と責められることばかりが並んでいます。


次に、ハーギーの社会的スキルの六つの特色(P193〜195)を要約してみます。

  1. 社会的スキルは、目標指向的な行動である。:例えば、相手に注目、相手の話にうなずくのは、相手に気楽に話してもらうという目標をめざしてとる行動である。
  2. 社会的スキルは、たがいに結びついたいくつかの行動から構成されている。:相手に気楽に話してもらうためにされるいくつかの行動(ほほえんだり、うなずいたり、相手に注目したり)は、ばらばらにされるのではなく、こうした行動のつながり全体から"気持ちの良さ"を感じるのである。
  3. 社会的スキルは、ある具体的な状況に適した行動である。:相手が誰であるか、話がされる目的・場面・状況によって、態度を変える必要がある。
  4. 社会的スキルは、いくつかの明確な行動の単位によって定義することができる。:例えば、「面接を受ける」というスキルは、面接者と顔を合わせるとか、質問に答えるといった下位スキル(具体的な行動)から構成されている。更にその下位には、相手と目を合わせるとかきちんと椅子に座るといったより小さな単位が含まれている。
  5. 社会的スキルは、いくつかの学習可能な行動から構成されている。:訓練や模倣によって、(ある程度)習得可能なものである。
  6. 社会的スキルに欠かせないのは、自分自身でコントロールできるかどうかということである。:スキルを構成しているひとつひとつの行動は身についても、状況に合わせて、また、他の行動とも合わせて使えるか・タイミングよくできるかどうかが問題なのだ。

と、これまた、「それができれば苦労しない!」けれど、世間からは「どうしてできないのか!」と責められることばかりが並んでいます。


では、どうして、「自閉症」者にはそれができないのか?・・・これが、今日のメインテーマなのだ。


で、これまた、セルマンという人が、子どもが「他人の気持ち」が分るようになるための四段階をまとめているので、それを「自閉症」と関連付けてみます。(147〜8) 

※ただし、ここに記述されている内容は、健常児のものです。

  1. 自己中心的段階:他人の表面的感情は理解するが、自分の感情と混同することも多い。同じ状況でも他人と自分では違った見方をすることもあることに気づかない。
  2. 主観的段階:人々は、情報や状況が違えば、違った感情や考え方をすることには気づくが、他人の視点に立てない。
  3. 自己内省的段階:自分自身の思考や感情を内省できる。他の人が、自分の思考や感情についてどうみるか予想できる。
  4. 相互的段階:第三者の視点を想像できる。互いに相手の思考や感情などを考えて、相互交渉しあっていることが分かる。

「自閉症」は社会性の障害だと言っても、反社会的な行動をする障害ではなく、社会性が無い(非社会性)という障害だということを、まず第一に押さえておく必要があります。「自閉症」者のとる行動が不可解なのは、その行動が"自我の構造が社会的でないが故の行動だ"ということが理解できないからです。しかし、「自閉症」の「診断」が下って勉強をし、理解し・受容しても、今度は非・社会性の故にとってしまう行動を、「反社会的な行動」と解釈されたり、「躾や養育態度が悪い」とか「性格が悪い」ととられてしまう、という社会的重圧と闘わなければなりません。そこが、辛いところです。

ただ、「自閉症」児というのは、「自閉症」のまま発達する(成長する)人なので、だんだんに周りの人に気づくようになり、社会的な行動ができるようになります。が、当然のことながら、限界もあります。「自閉症」の診断基準にある「社会的相互作用」の障害というのは、正にこの相互的段階ができないということなのです。

幼児期〜学童期前半の「自閉症」児が他者の行動を見て何かをするのは、「他人と同化してしまう」故の行動であることが多くあります。相手の苦しさ・悲しさを、ハッキリと名称化(名付け)して「共感」しているのではなく、自分が全く同じ状態になってしまって、それを逃れるために行動をするのがそれです。よくあるのが、テレビのワンシーンの中の、本人にとっては何らかの「感情」を起こすキューとなる行動と同化して、いきなり泣き始めたり・怒ったりして、スイッチを切ったりチャンネルを変えてしまうというもの。でも、非・自閉者には、どうしてそんなことをするのか全く解からない。これを、「自閉症」児なりの自己中心的段階と言ってもいいと思います。

やがて、「他者が自分とは違うこと」と「他者の中に、自分と同じことを感じている人(いわゆる気の合う人)とそうでない人とがいる」ことに気づくようになります。そこで、特定の人となら話せるけれど、そうでない人には話してはいけないことがあることも分るようになります。また、本当に相手の気持ちが解かるとか・同情しているかどうかは定かではないけれど、「泣いている人」に理由を聞いたり、「今は話したくない」と言われたら話しかけてはいけないということも分ってきます。これは、「自閉症」児なりの主観的段階。

そして、「心の理論」を獲得して、「他者が自分を見て評価している」ことが分ると、「他の人が、自分の思考や感情についてどうみるかを観念的に決めてしまう。」ようになります。何故、観念的になのかと言うと、「自閉症」という障害の性質上、公的自意識(人の目に映る自分の姿に心を配る自意識)が自然にないので、「自分がこういうことをすると⇒他者はこういう風に評価する」という公式を丸暗記するしかないからです。これが、「自閉症」的な自己内省的段階。

しかし、本当に「他者の視点」に立っているのではなく、観念的な「普通一般の考え」に自分で自分を縛っているだけです。だからやはり、「いつでも・どこでも・いかなる場合」でも「同じ振る舞い」をすることに固執する、と言うより、せざるをえません。また、初期の段階では「この人の前」では「こうしていい」とか「この人」には「こういう要求をしていい」ということは分っても、「いま・ここで」言って良いことと悪いことという状況別には対応できません。その人の顔を見るなり、いつでも・どこでも・同じようにしゃべりだすという行動をとってしまったりします。だんだんに状況の認知は良くなって行くけれど、その後は、言っていい場とそうでない場の区別がつくようになるだけで、決して相互交渉するレベルには行き着きません。

仮に、「相手に認められたい」とか「こうしたら喜ぶだろう」という動機があっても、その方法が「ひとりよがり」で「共感」的でないならば、一方通行の域を出ることは不可能です。


そこでまた、ハーギーの社会的スキルの六つの特色に話を戻してみる。


だいたい、無理難題ばかりが並んでいます。その理由は、以下の通りです。

  1. 目標指向的な行動:相手に注目、相手の話にうなずくことはできても、「相手に気楽に話してもらう」という目標を設定すること自体が難しい。
  2. たがいに結びついたいくつかの行動から構成されている:いくつかの行動(ほほえんだり、うなずいたり、相手に注目したり)を、ばらばらにすることはできても、こうした行動のつながり全体をうまくつけて、"気持ちの良さ"を感じさせるのが難しい。
  3. ある具体的な状況に適した行動:相手が誰であるか、話がされる目的・場面・状況によって、態度を変えること自体が、至難のワザ。
  4. いくつかの明確な行動の単位によって定義することができる:「面接を受ける」というスキルを、一つのまとまった単位として学習することはできるかもしれない。しかし、教わっていないことが起きた時に、臨機応変に対処することは難しい。
  5. いくつかの学習可能な行動から構成されている:訓練や模倣によって、(ある程度)習得可能なものであるが、下手に学習して人間関係に深入りさせられることが、本人にとっての幸福に繋がるかどうかは疑問。
  6. 自分自身でコントロールできるかどうかということ:スキルを構成しているひとつひとつの行動を身につけるだけでも容易ではない。状況に合わせて、また、他の行動とも合わせて使える・タイミングよくできるなんて、まず無理。

ただ、だから、「自閉症」者は社会的な行動が全くできないということではありません。自我の構造に社会性がなくても、向社会的行動(愛他行動・思いやり行動)をすることはできるからです。いや、現実に、こういうことのできる「自閉症」者はいるものです。

これは、菊池氏の作成した「大学生向きのおもいやり行動尺度」です。(P62)

こういう、「社会的に好ましい行動」で、あまり状況による変則的な変化のないものは、習得することが可能だし、かえって、こういう社会的な行動をしたがるものです。(いや、逆に、だれかれ構わずこれをやって、犯罪被害に遭う危険の方を恐れている人の方が多いと思います。)

ただし、下の項目は、意図的に外しました。

というのは、こういう「行動」そのものはできる(いや、逆に、こういうことをするのが好きだという「自閉症」者は結構いる)けれど、相手との関係で"できなくなってしまう"場合があるし、本人は一生懸命やっているけれど"相手には迷惑"という例も多々あるので…。何故かというと、本人に「社会的な感情」がないので、相手の「気持ち」が本当には分らないからですね。やっぱり。

そもそも、存在していること自体がボランティアだし…。


          

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