天国と地獄

自分を取り巻く全てのニンゲンたちと敵対関係に陥り、原因不明の頭痛・眩暈・耳鳴り・低体温・低血圧・無気力状態になって、ボーッと宙を見つめて体が動かなくなる。こういうことが、繰り返し何度もある。だいたいそれは、感ずることと考えることをやめて、受動的に何でもハイハイと請け入れて「いい子」し過ぎた後にやって来る不適応状態なのだ。

過剰適応状態の私は、これ以上便利な生き物はいないくらいに重宝される。なにしろ、普通ならとっても我慢できないような状況にも不平不満ひとつ言わずにおとなしくハマっているのだから。いや、それどころか、尋常ではとっても出来ないような超人的な働きで、仕事をバリバリこなしてしまう。そういう時には、どんなにひどい扱いを受けても全然平気なのだ。何故なら、「自分なんてモノが無い」のだから、ひどいことを言われても何も感じない。"普通"にしていることが、本当は自分には不自然なのだという事にさえ気づかない。たま〜に、「どうして、私はこんなところにいるのだろう?」と思うくらいが関の山だ。

しかし、それに疲れてヘタレこんでしまうと、とたんに冒頭の状態に戻ってしまう。

そう、これはたまに陥る状態ではなくて、元々の私の状態なのだ。私はいつも、そこにいたいのに、周りからの必要に迫られて動かなければならなくなると、「よっこらしょ!」と出かけていたのだ。

一般に、自閉症者が「心の理論」を獲得すると言われている小学校高学年の頃までは、単にボーッとして何かを見つめているだけだった。しかし、その後、わけのわからない音声記憶と映像記憶のフラッシュバックが頻繁に起こるようになり、犬に向かってしゃべり・ノートに自分のことを「バカ」だの「死ね!」だのと書き付ける生活が始まった。今から思うと、その時点で鬱病(正確に言うと躁鬱病)になっていたのだった。

今は、犬の代わりに目の前にパソコンがあり、ノートの代わりに学会や「親の会」に行っている。で、だからと言って、何も高級にはなっていない。ただ。現実とのギャップが広がっただけだ。だって、現実には私は『ひとりきり』で『ここにいない』ので、自分には「生きている価値が無い」とか「どうやって死のうか」とか考えて世の中に収まっていればいいのに、突然、「自分の感覚・自分の感情・自分の言葉を持って生きていて良い」場があることを知り、しかも仲間がた〜くさんいて、そこでは悠々と羽根を伸ばせることになったのだから。

だいたい、ついこの間まで、「ニンゲンなんてものは、強欲で野蛮なだけだ」と思っていた。しかし、そういう目的もないのに接近してくる人がいるだけでなく、「援助」しようとしてくれて、更には「共感」さえできるなんて、本当に予想も出来なかった。

しかし、そんな居心地が良過ぎる"天国"から、人に係わられることがほとんど恐怖の外傷体験になる"地獄"に帰っていかなければならない。そこでは、精一杯背伸びして、言いたくもないセリフを言っている間は大事にされる。けれど、ひとたび顔も見れないほど怖くなってしまうと、話をするどころか同席することさえ不可能になってしまう。そうするとまた、「ケンカ売る気か!」とか「シカトしている!」とか「いい加減にしろ!」と怒鳴られる。

なんだか、何も感じないでいた時の方が幸せだったような気がする。

でも、それでは、あまりにも虚しすぎる。

事の起こりは、「遺書」でした。ただ、自分の状態を言い表わす言葉を見つけては、書き付けていただけでした。今は、全然知らない人と解かってくれそうにない人は、永久に平行線になることが分かったので、そういう状況を避けて、これから何とかなりそうな子どもに向けて話しています。そういう世話を焼いている時だけ、「生きた心地」しているんですけれど…。

毎回、天国からの帰り道は、本当の「天国への階段」になりそうなんです。

だって、"生きていて良い"場所が、あまりにも少な過ぎるから。


      

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