キャロルとウィリー
ウィリー
- ウィリーは生き字引のような人物で、事実の世界に住んでいて、ひたすら知識を蓄積し続けた。(『こころという名の贈りもの』P14)
- ウィリーは信じられないほど強く、怖いものは何もなかった。(P14)
- だから私は彼に「自動運転」を任せて、いつでも自分の檻の中に、引きこもることができた。そうしてわたし自身が戻ってきても大丈夫になるまで、ウィリーは速読で山のような書物を次々読破し、事実を片端から暗記し、そうやってため込んだごちゃ混ぜの事柄を披露しては、皆を感心させていた。(P14)
- またウィリーは、表面上の感情も身につけていった。たとえ本当はどうでもよくても、気をつかうのがいいような時には、ウィリーは気をつかった。無関心でも、興味を示すのがいいような時には、興味を示した。平然としていても、責任を持つのがいいような時は、責任を持った。だがウィリー自身が本当に持っていた感情は、ただひとつ。怒りだ。その怒りから、彼はいつも確固たる決断を下した。そして非常に冷静で論理的な正義感と、平等の意識を、持つようになっていった。(P16)
キャロル
- キャロルは、生ける屍のようなわたしの体に入ってきて、「世の中」から受け容れられることとひきかえに、わたしと「世の中」とを触れ合せた。(P17)
- キャロルはまた、ウィリーとは違って、どんな人にでも好かれるタイプの女の子だった。いつもにこにこして社交的で、本当は「死んでしまうべき」だったり「孤児院にやられる」かもしれないようなわたしの現実を、覆い隠してくれた。ウィリーは「世の中」とあくまで闘ったが、キャロルは自分が「世の中」の側の人間だと考えていた。(P17)
- キャロルは、お話の本のレコードや、テレビのコマーシャルや、まる覚えした他人の口調などで蓄えたことばを使って、むこうみずでうわのそらながら、わたしの人生をつかみ、進んでいった。(P17)
「自閉症」
「自閉症」は、わたしが覚えている限りの昔から、わたしを檻に閉じ込めていた。わたしが考えることができるようになる前に、すでにわたしをつかんでいた。だからわたしの考えは、機械的、反射的に、他の人の考えを繰り返すだけだった。(P11)
「自閉症」は、音よりも先にわたしをつかんでいた。だからわたしが初めて口にしたことばは、自分のまわりの人たちの会話を、意味もわからず真似しただけのこだまにすぎなかった。(〃)
「自閉症」は、ことばよりも先にわたしをつかんでいた。だからわたしの語彙の九十九パーセントは、書きことばのままの辞書の定義や、どこかで仕入れた文章を、そのまま繰り返すだけのものだった。(〃)
「自閉症」は、わたしが自分自身の欲求を感じるより先に、わたしをつかんでいた。だからわたしの最初の「欲求」も、他人の真似でしかなかった。(そういったものは、テレビでたくさん見ることができた。)(〃)
「自閉症」は、わたしが自分の筋肉をどうやって動かせばいいのかわかるようになる前に、すでにわたしをつかんでいた。だからわたしの顔の表情や姿勢やしぐさも、ひとつひとつが、わたしのまわりの人たちの真似でしかなかった。(〃)
何もかも、あらゆる面で、ひとつとしてわたしという人間そのものと結びついていたものはなかったのである。「自己」という土台を、まったく持っていなかったのだ。それは、催眠術にかかっているのに似ている。実際わたしは何の疑問も、個人としての自覚も感じずに、どのようにでも人の意のままになった。わたしは完全に疎外された状態だったと思う。これが、わたしにとっての「自閉症」というものだった。(P11〜12)
わたし(ドナ・ウィリアムズ)
わたし自身はといえば、生まれてから三歳になるまで、「わたしの世界」の中で自由に飛び回っていた。「世の中」は、そんなわたしを理解できないものとして眺めているだけだった。それが年を経るにつれて、自分の世界を持ったドナ自身はどんどん小さくなり、ついにはまったく見えなくなってしまったわけなのだ。(P17)
しかし、「世の中」は、現実世界でつかまえておくことも触れることもできないわたしにさえ、こちら側に従えと要求してくる。まだ何にも手を伸ばしたことすらないように者に、皆が「生活」と呼んでいるものを行えと、突きつけてくる。(P15)
これまでわたしが持っていた「辞書」は、「世の中」版の辞書にすぎなかった。そこには、「心づかい」という語に「支配」と書いてあった。「愛」という語には「性欲」と書いてあった。「人への思いやり」という語には「無力になること」とあり、「受容する」という語には「安っぽい娯楽に身を任せる」とあった。(P20)
確かにわたしは、少しでも気持ちを向けられただけで、必ず「消えて」いった。人の好意という直接的な感情も、励ましのことばの気配ですらも、わたしは受け取ることができず、いつもその場で、蠍に刺されたかのように麻痺してしまっていたのである。(P21)
しかし一方、この物真似(※エコラリア=反響言語とエコプラクシア=反響動作)のおかげで、わたしはパッチワークのように継ぎはぎだらけのものながら、自分がかぶる仮面を作ることができた。だがその仮面の人物は、マンガのようにリアリティーのない「世の中」で、生きていくしかない運命だった。(P12)
そうしてあれほど頑丈だったふたつの仮面も、自分の手で打ち砕いた。それは、機械的な人真似や物真似以外に「自己」がないという状態だったからこそ、頑丈な仮面であり続けていたのだ。わたしはイメージとしうものも、打ち砕いた。さらに、二十五年間自分を守ってきたその他の武器も、ことごとく棄てた。割れたガラスの穴からは、身を刺すような寒風が、どっと吹き込んできた。(P12)
確かにわたしは、欠けたところのない「自己」を持てるようになったかもしれない。でもそれでも何か、まだ足りないものがあるような気がして仕方ない。永遠に手が届かず、永遠に「あそこ」にあるような、永遠に、ひとつだけ向こうの角を曲がったところにあるような、そんなものが。(P24)
そうして彼(※アスペルガー症候群のイアン)とわたしは、今、一緒にいながらも、それぞれ自分自身でいることができるのだ。わたしたちの間にあるものは、友情よりも深い「特別な絆」。こここそ、わたしが属するところ。本当の居場所。(P286)
私には、「自閉症者」らしい「自閉症者」であった時期がありません。というのは、私には目に見えるほどの認知の障害と行動障害がひとつもなかったから。私は、体育と給食がダメな以外は全く普通の子供でした。「アスペルガー障害」という社会性の障害だけだった私は、最初からキャロルでした。万事が「扉を開けられてしまう前にたんすから飛び出せの戦略(P88)」で対応できたその頃の私は、整合的・規則的な同一性や、音・形・光などの感覚で満ちた「私の世界」を楽しみながら「世の中」にいることができました。
私の心的な構造と「自閉症」の私を知るに至った経緯は、ドナさんと全く同じです。つまり、それは「積極奇異型」と呼ばれる「世の中」と係わることが出来る「自閉症」の一つのタイプとしての共通点でしかありません。だから、私には「自閉症」のドナさんとも、現在のドナさんとも何の接点もありません。
私には、「あそこ」にあるものが何であるかは解かっている。けれど、永遠に手が届かないことも解かっているので、永遠に見て見ぬ振りをしながら"役目を果たし""らしく見える"(『こころという名の贈りもの』P17)ように振る舞い続けるでしょう。そして、道の真ん中で花吹雪を降らせるのはいけないということ(P13)などは始めから解かっているのに、壁紙に花吹雪を降らせるのはいけないことだと解かっていてもやめられない「不良アスペ」のままでい続けるでしょう。
私はもうとっくに、ドナさんに追い越されてしまっています。この違いは何か? それは、「自閉症」のままで大手を振って道を歩けるところに住んでいるかどうかの違いです。そして、仕事や研究のためでなく自然体で(と言うことは、単にあしらいが上手いだけだとか、本当はウンザリしているのに付き合ってくれているのではないかと疑うことなく)「自閉症」のままの「わたし」でいられて、それを自然に容認してくれる人に出逢えたかどうかの違いです。そう、それは症状の軽重には全く関係がないのです。
〈人〉と〈人〉との間、つまり「世の中」と「世間」の人々に何の愛着もない人生は虚しいです。でも、これからも私は、普通以上に「人間」らしく振舞うことが出来ても、〈宇宙人〉で在り続けるでしょう。
だが本当のところは、祖父は実際に死ぬのよりもかなり前から、わたしにとっては存在しない人になってしまっていた。わたしは自分ではいつも、祖父も父も、自分が三歳の時に死んだと考えていたのだった。それは、二人ともわたしが三歳の時に、もうわたしの世界に入ってこられる人ではなくなってしまったからである。(『自閉症だったわたしへ』P149)
最後に、私が自分の意識の中で殺してしまったたくさんの人達へ・・・
「さようなら!」
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