存在の実感

普通、≪自閉症≫というと、明らかに奇異な行動をしたり、不随意的な常同運動があったり、コミュニケーションが出来ないかあっても困難というような、精神発達遅滞を伴う重度の≪自閉症者≫を指すようです。こうした、古典的な≪自閉症≫の概念に囚われている多くの人にしてみれば、この用語を軽々しく使う私たちを、歯がゆく思っているに違いありません。また、逆に、アスペルガー症候群が≪自閉症≫に連続するものだという認識に異論は無いにしても、「違うものだ」と強調したい人もいるでしょう。

確かに、幼児期には明らかに≪自閉症≫の症状を持っていて、明らかにそれと分かるような行動をしていても、成長するにつれ(一部残遺する者もいますが)、なんとなくそれらしき表情をするものの、ほとんど見分けがつかなくなるケースが多いのです。そうなると、家族も本人も"普通"になったと思い込んだり、思い込みたいと強く思ったりするし、できれば隠し通そうとさえするでしょう。

なにしろ、社会の側に受け入れる素地が全く無いのですから、見た目分からないのにわざわざ障害があると言い立てるのは不利になるだけだし、だいたい、「甘ったれるな!」と言われてしまうのがオチです。誰だって、失敗したり・ドジ踏んだり・上手く出来なくて叱られたりしているのに、障害のせいにして許されるのなら、みんな「障害者になりたい!」と思うことでしょう。ただ、今のところ、障害⇒差別という図式の方が強いので、ひた隠しにしようというわけです。

そういうアスペの人たちの中でも、言葉の理解・意思表示・行動統制という点で、明らかに不都合な障害が残る場合は特に、就職先を探すのが困難です。しかし、知能や技術的な能力は十分ある人でも、人間関係でトラブルを起こしたり他の精神障害を引き起こしてしまったりで、仕事が続けられなくなったり自分からやめたり・・・。どんなに障害が軽くても、苦労が絶えることはない、と言っても過言では有りません。


私の場合の、その理由を考えてみました。

第一に、私には「自分がこの世界にいる」という実感がありません。建物やら山やら空やら、視覚的にはいろんなモノが見えています。けれど、常に、本当に有るかどうか疑わしくって、この手で触って確かめたいという衝動に駆られます。時には、自分の存在さえ、幻のように感じることがあります。

もしかしたら、子供の頃、鏡が嫌いで逃げまわっていたのも、このせいかも知れません。だって、鏡の映像って、奥行きがはっきりしていて妙に立体感があるから。奥行き知覚の無い二次元の世界にいる私にとって、鏡の中だけが三次元で、とってもブキミな存在だったのではないでしょうか。現在は、一応克服していますが、何となくイヤです。(注:ドナさんのように鏡をのぞくのが好きだという人もいます。これは、私だけの特殊事情です。)

それに、目の前に現れては消えて行く「人間」が、私の目に見えていない時にも確かに実在していることが信じられないわけでは有りません。でも、もともと関心が希薄な上に、自分と「心」のあり方の違う・実在する「人間」をありありと思い浮かべるなんて、しょせん無理な話です。ましてや、その人間が目に見えないネットワークを持っているとか、一人一人が主体となって人間関係を持っていることなど、推測するのさえ困難なのです。だから、私は、他人を観念でしかとらえることができません。

でも、テレビに映る人にだけは関心を持てるのは、単に名前と顔が出る度に紹介されるし、画面そのものが二次元だからという理由もあります。が、その人が何をやっている人で・今何を考えているか、テロップに出たり司会者がまとめてくれるのでとっても分かりやすいのだと思います。恐らく、ゲームのキャラクターも、設定やデータがとても分かりやすく説明してあったり、数字で示されたりしているのが良いのでしょう。そもそも、私に矛先が向けられるとか襲われるなんてこと絶対にない! これが一番。

私には、こんな紙のようなうすっぺらい一方的な世界観しかないので、まるで表と裏をひっくり返すように、一瞬のうちにあっちの端からこっちの端まで極端に移行してしまうのです。今まで、何度も何度もせっかく積み上げてきたものを自分の手で壊すようなことをして来たのは、正に、この不安定さがクセモノだったのです。(これと、毎日のように襲ってくるフラッシュバックの嵐とは、きっとニワトリとタマゴの関係なのでしょう。)

にもかかわらず、なんとなく生き延びているのは何故?

それはきっと、何か他のものを頼っているからだと思います。私に、自分の存在をはっきりと感じさせてくれるモノが、人と違っているのです。私の場合は、恐らく「音」「形」「色」「気」「モンスター」「神話」といったもののようですが、他のアスペの人たちにとっては、ガンダムだったり電車だったりアニメだったりするのではないでしょうか?


 ≪自閉症者≫と一口に言っても、それぞれ個性がとっても豊かなのでひとくくりには出来ません。しかし、少なくとも、実在する「人間」ではない「何か」の方がより身近でリアルなものとして訴えて来るので、それに虜になっている人たちという点で共通しているように思います。この感性は、恐らく、普通の人達には最初から無かったか、幼児期のごく初期の頃にあったかもしれないけれど、その後ごく自然に「人間」に興味の対象が移って消えてしまったものなのかも知れません。


               

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