もうひとつの故郷

Kiroroの新曲があまりにも素晴らしいので、ここのところずっと"音"に浸かっています。といっても、今度の曲は音はいいけど歌詞がキライなので、その内容を現わしているタイトルも書きたくありません。で、そういう曲は日本語をシャットアウトして、音階(ドレミ)にして聴きます。その点、外国語の曲は、どんな内容でも音として聴けるので便利です。が、邦楽だと、"意味"を聞き取りたくない時は他のものに置き換える必要があります。

だから、今聴いているのは、Kiroroの金城さんの声や楽器の音・旋律の上下長短と伴奏との関係・和音が崩れていく快さ(これは、不協和音が解消されるとか、一つの和音がいろいろな形に崩されて演奏されていることを指します)なのです。高価な機器を用いてセッティングを完璧にしたり、部屋を締め切って大音量で聴く必要は全くありません。私は、一定の角度の場所に置いて右耳で聞きさえすれば、安物のラジカセでも音の中に入り込み、ジェットコースターに乗っているかのような感覚を楽しむことが出来ます。

でも、薬が効いているとこういう楽しみ方ができないのです。薬を飲んだばっかりで一番効いている時間帯に音楽を聞くと、全体としてまとまっていて、何が主で中心になっているかが、とってもよくわかります。ミキシングで歌が引き立つように調整されているまんまに聞こえてきます。そればかりか、歌詞を音階にする作業が困難になっているので、シャットアウトできません。だから、夜中にはカラオケの方を聴くようにしています。

それで、音楽に関しては効き目がなくなっているからといって、昼間は完全に薬が切れているかというと、そうでもないのです。何に効くかというと、"人間"への効果は十分にあるのです。こと、"人間"となると、相手の表情や発言したことの一部だけが異様に際立って感じられることがなくなったし、そういう部分的な記憶が残像としていつまでも再生されることもなくなりました。たくさんの情報の内で、重要なものとそうでないものの取捨選択が自然に行われるので、図と地の混乱がなくなっています。

それから、非科学つながりでもうひとつ書くと、"気"の流れが完全に変わりました。薬を飲む前は、"気"の出入り口のツボが四六時中開けっぱなしになっていて、絶えず周りの"気"の影響を受け続けていたのですが、まずそれが閉じました。そして、自分の体を囲んで自分を守る"衛気(えき)"が、ちゃんと機能するようになりました。特に、体の前面にはバリアとなって、自分の"気"が漏れ出すのも、他人の"気"が関渉してくるのも防いでくれます。これは、普通あって当然のもので、今までなかったことの方が異常だったのです。(この話、≪本人≫以外にはチンプンカンプンでしょうけれど…。こういう、知識として蓄積されないような、体で感じるものがとっても大切なのです。)

でも、先の"音"の場合は、本当はとっても科学的なのかもしれません。私が惹きこまれて、他の何事もできなくしてしまうような魅力的な"音"たちの波形には、共通するものがきっとあります。お気に入りの音の並びには、絶対に数学的な規則性があります。"音"以外のものでも、私を虜にする特定の"形"には、きっと関数的な法則があるはずです。他にも、パソコンのファイルの入れ子構造とか電車の系統番号とかの数学的な支配関係にゾクゾクできるのも、普通の人に味わえない特典です。

それはそれとして、"人間"たちをそういった部分的なものに振りまわされずに見れるようになったお陰で、"こちら"に足りないところと"あちら"に欠けているところが、よく分かるようになりました。どういう時には余計な手出し口出しをしてはいけないのか、分別がつきました。そして、"こちら"からすれば下らないことに"あちら"が囚われている時にはその盲点をつけるので、それを取り柄にすれば良いわけです。どちらが優位だとか支配するとかいうのではなく、そういう協力関係を保っていけばいいんじゃないかと思います。でも、自分で自分がよく判らなくなっていることも、確かですが…。


          

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