ドナ・ウィリアムズと私
ドナと私の間には、決定的な違いがあります。それは、彼女は「自閉症」で、私は"そうじゃない"、ということです。
たとえ、アスペルガー症候群が、広い意味での「自閉症」の一種に属しているとしても、私には狭い意味での「自閉症」の症状はほとんどありません。子供の頃の遊び方や、自己形成の経緯にそれらしきものがあっても、カナー・タイプの「自閉症」児・者が見せるような、行動に現われる目だった特徴はありません。なのに、モノの見方・感じ方・考え方には、共通点があまりにも多いのです。それに、社会に出て、「生活」というものを始めるまでに、四半世紀もの時を費やさなければならなかったところなどまで、よく似ています。
それは、ひとつの謎とも言えます。
25年以上にも及ぶ放浪の末、ドナがやっと発見した「心」や「自分」というものを、私は、その同じ時間の間のいつかに、とっくに獲得していました。その形式が一般的でなかったかもしれないし、普通より遅れていたかどうかは分かりません。が、私の旅は、まるっきり無かった「心」と「自分」を探し出したのではなく、心と自分が「自閉的だったこと」を自覚する道のりでした。どちらも、「自閉的な私に」コンニチワを言って受け入れたことには変わりはありません。が、ドナは「自閉症だった私」にサヨナラを言う必要もありました。
性格も・着る服も・口調までも違う別の人格が自分の中に何人かいる、というところは、同じように見えます。しかし、彼女のキャラクターと、私の持っている複数の私は、根本的に違うもののように思います。
- まず第一に、彼女は、「自分」というものが2才の時の「私の世界」が終わって以来、全く成長しなかった中で、誰かを真似て、そのキャラクターを演じることで社会に留まっていました。それに対し、私は、どこにもお手本のない、オリジナルな「自分」であり続けました。その「自分」が社会と折り合いをつけられずにいたのでした。
- 私の中の複数の私は、どれも「自分自身」だということ。ドナは、明らかに「自分自身」とは異なるキャラクター(ウィリーとキャロル)にすりかわっていたようです。私は、まるで別人のようだけれど、複数の「自分」なのです。
- ドナは「自分」を意図的に封印したわけではありませんでした。ドナは、「自閉症」の為に、「自分自身」を見失っていました。そして、「自閉的」ではあるけれど、「自閉症」ではない「自分」に生まれ変わりました。一方私は、「自閉的」な「本来の自分」を否定しつづけ、そして、封印していたのでした。
- 彼女は、社会に乗り出して行く為の安全弁として、借り物のキャラクターを必要としました。しかし、私は、社会的人格としての私をちゃんと形成していました。本来の自分=「自我」と呼ばれているものと、社会の中で他人と接する時の自分=「社会的人格」が異なっているというのは、至って正常で普通なものです。しかし、その違和感に耐えられなかったのでした。
私は、「自閉的」だった「自分」を捨てようとして、捨てられるはずの無い「自我」まで、"あっては、ならない"ものとして、切り捨てようとしていました。情緒と人情と現実と数の理論で動いているこの日本という国にあって、アスペ的、あるいは、個性的でありつづけるのは、あまりにも辛かった。だから、わたしは、徹底的に自己否定しようとして、「自分」を抑えつけて、がんじがらめに縛っていたのでした。
本当の私は、人に見られるのが嫌い、鏡に映った自分を見たくない、写真を撮られるのもイヤ・撮られた写真など欲しくもないし、人と視線を合わせるなどは「もってのほか」でした。しかし、人前に出て行くには、他人の視線を浴びないわけにはいきません。だから、私は、人の気配を一切消す術を身に着けました。人はそれを「度胸がある」と言いました。けれど、洒落たうけこたえなど出来る筈もないから、「愛嬌がない」と非難されました。でも、中学の時、先生に「人の目を見て話しなさい」と教わって以来、私は、常に他人の目を凝視するようになりました。それこそ、睨むように。
それに、人間に対して、安全か危険かの判断はしても、好き嫌いの感情があまりありませんでした。学校の勉強は、誰に教わろうと内容に変わりはない。勉強をするのは私であって、教えてくれる人を学ぶわけではない、だから、先生が変わると教科が嫌いになるなんてことはあり得ません。常に、自分で納得ができさえすれば、それでいいのです。人は、それをガリ勉と言いました。また、誰かが先生の悪口を言うと、私はそれに合わせて、その先生の悪いところを挙げ連ねました。でも、本当は、どうでも良かったのでした。
自分のことはベラベラ喋りすぎる一方、人とどう話して良いか、まるで分かりません。「なによ、その言い方!」「どうして、人の気をそらすことばかり言うのか!」「おまえは、あげあし取りばかりする!」「そこまで言うなんて、ひどい!」「人の気持ちを考えなさい!」「そんなに大声でわめいたら、恥ずかしいじゃないか!」「ボソボソ言ったって、何言ってるか分からない!」…。ついに、声の大きさまで判らなくなりました。
化粧をしたり、その場・自分の立場にふさわしい服装をするというのは、社会からの要請です。でも、私には、自分に余計なものをくっつけて修飾し、「自分」でないものに変身して人前に出るなど、言語道断なのです。ましてや、TPOに応じて自分を切り売りするなんて、許すべからざることです。ほんの数年間、私は自分の殻を打ち破ろうと努力して、人真似をしたことがありました。しかし、今は、社員・市民・母・妻などという仮面をつけることなど、断固として拒否しつづけています。社会的な人格(他人に対しての"私")が無いわけではなくても、その人格に社会性が欠けていることは確かなようです。だから、いつも、「私」は「私」です。
その間の私は、親が言ったこと・先生に言われたことを、ほとんど鵜呑みにしていました。きっと、アダルト・チルドレンだったのかもしれません。そうして、私は「こういう風にしなければいけない」で固められた人間になってしまいました。私の考え・私の欲望・私の気持ち、すべて私的なモノを否定して、そして、終いには、「本心」さえも持ってはいけない、と思ってしまいました。「自分」を無にして、他人のことを考え、他人に言われた通りの自分にならなければならないばかりでなく、誰もが、「すべきことをきちんとして、責任を果たすものだ」と思い込んでいました。
ところが気がついたら、周りは、「本心」で生きる・無責任な人間か、うわべだけ「良い子」ぶった・ずるい人間だらけになっていた! しかも、どんなに努力して普通ぶっても、世間と私との位置関係は何の変わりもありませんでした。相変わらず自分は自分のままで、人々の輪からつまはじきされ、面倒な仕事を片付けてくれる"お人好し"として重宝がられているだけの存在でしかなかったのです。そんな時に、アスペのことを知りました。それはそれは、ショックでした。「私の社会性のなさは、障害だったのか!」「今まで必死にやって来たことのすべてが、砂上の楼閣だったのか!」
しかし、アスペ的な言動が社会に容認されなかっただけで、私が悪かったわけでもなければ、私の存在が罪だったわけでもなかったのです。でも、クヨクヨしたって始まらないし、クヨクヨしたって終わらない。なんであろうと、素直に受け入れ、自分の立場を利用して、前向きに生きていくしかないのですから。ありのままの私を受け入れるとは、正に、生まれたままの状態ではない、社会性を持ったアスペの私を肯定する、ということなのです。
「自閉的」であっても、「自閉症」ではない私は、「自閉症」と戦う必要などありません。両者の違いがそのまま、「高機能自閉症」と「アスペルガー症候群」なのかさえ、分りません。しかし、人と人との間を[感じ取る]ことのできる、「自閉的な人格」を持った、二人の人間がいます。それは、確かなことなのです。
ちなみに、ドナが戦った「自閉症」というのは、以下のようなものです。彼女は、それを「わたしの世界」のことばと呼んでいます。 (『自閉症だったわたしへ』エピローグより)
- 物をふたつずつペアにすること、あるいは同じような物どうしをグループ分けすること
- 物やシンボルを整理したり秩序だてたりすること
- 模様や図形、パターン
- 激しいまばたきの繰り返し
- 明かりをつけたり消したりすること
- 繰り返し物を落とすこと
- 跳び下りること
- 片方ずつに体重をかけて、体を揺らすこと
- (自分を不安・緊張・恐怖から解放するために)体を揺らすこと、自分の手を握ること、頭を打ちつけること、物をたたくこと、自分の顎をたたくこと
- (物理的リズムを与える為に)頭を打ちつけること
- 物自体を見ずに、その向こう側を透視するように見ること、何か他の物を見ているように見えていること
- (恐怖・緊張・不安などを開放するための)笑い
- (終わりを意味するために)手をたたくこと
- 宙を見つめたり物の向こう側をじっと見つめること、物を回したり自分がくるくる回ること、同じ所をぐるぐると走り回ること
- 紙を破くこと
- ガラスを割ること
- きれいな色の物や光る物に対する愛着
- 自分を傷つけること、他の人をとまどわせるような行為をわざとすること
- 故意のお漏らし
- 物理的な接触で、可能なもの、安心していられるもの
私は、多少似たところはあっても、これほど常識的でない行動をしてはいません。オウム返しのような「自閉症」の特徴とされる症状さえ、あっても次元が全く異なっています。私が「自閉症」であるはずはありません。しかし、以下に引用する続編『こころという名の贈り物』17節の記述には、違和感がありません。もっとも、「自閉症」という単語を「自閉的」な要因という言葉に置き換えてみると、もっと的確になりますが…。
- 自閉症は、目には見えない。でもわたしが自分のことばを見つけ、自分のことばを使いたいと思っていても、自閉症のためにそれができなくなってしまう。
- 自閉症のために、わたしは自分が何を感じているのかきちんと把握する前に、あらゆることを一度に感じてしまう。逆に、まったく何も感じなくなってしまう。
- 自閉症のために、わたしは何の考えも興味もなくしてしまい、自分は何も考えておらず、何も興味を持っていないのだと思ってしまうことがある。逆に、誰かを相手に、自分の考えていることや興味のあることを表わしたくてたまらなくなり、心が爆発しそうな気分になることもある……しかしそんな時でも、外には何も現われない……顔にも目にも、何の表情も浮かばない。まして、ことばは出てこない。
- 自閉症のために、わたしは自分自身の体から切り離され、何も感じなくなることがある。逆に、何もかもを感じすぎて、苦痛になることもある。
- 自閉症のために、わたしは何の自己もないと感じることがある。逆に、ひたすら自分だけに感覚が絞られていって、まわりの世界のすべてがゆがんで見え、あげくのはてに、消えていってしまうこともある。
- 自閉症は、シーソーのようだ。一番上にいる時も、一番下にいる時も、わたしには人生全体が見えない。ただその中間を通る一瞬だけ、かすかに目に入るのだ。もし自分が自閉症でなかったら、持つことができたのであろう人生が。
- そしてわたしがつかんだ一番大切なことは、自閉症による症状がわたしなのではないということ。
- 自閉症は、わたしが自由に自分自身であろうとすることを、邪魔しようとする。自閉症は、わたしから人生を奪っていこうとする。友情を奪っていこうとする。思いやりを、分かち合うことを、興味を示すことを、自分の知性を生かすことを、愛されることを、奪っていこうとする……そしてわたしを、生き埋めにしようとする。
アスペルガー症候群の人達が日常的に起こす"困ったこと"の多くは、「想像力」の欠陥によるものだろうと思います。「社会的相互作用」=自己が他己と係わり合うことそのもの、に困難があるとは限りません。ドナは、そこのところから「自閉症」でした。だから、もうひとつ、締めくくりの言葉が必要になります。
- わたしは自閉症と闘うことができるのだ。自閉症をコントロールすることができるのだ。自閉症がわたしをコントロールするのではない。
私は「自閉症」ではありませんが、この点に共通する困難を抱えています。しかし、アスペルガー症候群という「自閉症」の一形態があると知ったことで、コントロールしやすくなりました。「自閉症」ではないけれど、「自閉性」の「障害」があるというのは、紛れもない事実です。
そして、「自閉的」だけれど、そのこと自体は決して悪いわけではないという「私」の存在もまた、確かなことです。私は、普通になったわけでもないし、普通になろうとも思っていません。しかし、その私の中に、「自閉的」だけど「社会的」な人格があり、「自閉的」な「本来の自分」がいます。「社会的」な私は、自分をさらし者にしてまでも、「自閉症」を弁護します。しかし、「自我」である私は、孤独を愛し、決して人からの働きかけに応じようとはしません。そのふたつの自己がいるのは、人間として当たり前のことなのです。
人は誰でも、心の中の潜在意識という暗がりに、見知らぬもう一人の自分(あるいは何人もの自分)をかかえている。そうした人物たちは、わたしたちの一部分を知ってはいるが、わたしたちをまるごと理解しているわけではない。だから彼らには「彼らの居場所」におさまっていてもらわなければならないわけだが、そのためには、ただひとつの方策しかないのだ。それは、自己というものを、自分で感じ、自分でつかみ続けていること。
しかしわたしたちは、自分の中に自己というものがあることを、必ずしも初めから知っているわけではないのである。
『こころという名の贈り物』序文
「自閉症」であることと、「自閉的」であることは、ともに、社会に受け入れがたいことです。しかし、自分自身までも捨ててはいけない! 自閉的な自分は、多少、生き難いかもしれない。しかし、それは、磨けば珠になるような、とっても素晴らしい≪個性≫なのです。
ドナ・ウィリアムズと私は、ほぼ同世代です(正確に言うと、ドナは私よりほんの少しだけ若い)。この問題の理解は、まだ始まったばかりなのです。「自閉症」や「アスペルガー症候群」そして、「自閉的」であることに適切な教育をし、なおかつ、自分自身を失わせない、これは、ひとつの挑戦です。その成功のカギは、私達の世代の失敗や経験を、次の世代に活かせるかどうか、というところに懸かっているのではないでしょうか?
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