新しい波
今まで何の説明もなく、自明のものとしてたびたび引用してきたICD−10というのは、WHO(世界保健機関)のICD(国際疾病分類)の第10版〔1992年〕のことです。そして、「精神障害」のセクションはその第5章で、Fというのは全体の通し記号です。また、これは利用目的に従っていくつかの異なった版が用意されることになっていて、よく「診断基準」として紹介されているものは「臨床記述と診断ガイドライン」です。しかし、これとは別に「用語集・対照表の付いたICD−10マニュアル」も出版されています。そこに、ICD−9〔1975年〕との相違点や、アメリカ精神医学会の統計診断マニュアルであるDSMとの関連や歴史的経緯が述べられています。
その中で、重要な(と言うより、私の個人的な関心にかなう)箇所を拾ってみます。
※[緑太字]〔青細字〕下線は、原文のものではありません。
1、診断の基準と国際的な用語の統一に関すること。
現行の「診断基準」である、DSM−4やICD−10で採用されている分類体系や診断システムは1980年代以降のもの、つまり最近の動向です。また、国際的に用語が統一されたのも、1990年に入ってからです。
ICDは本来死因統計の分類を目的としたものであった。一定の診断がそれぞれになされた後の患者群を対象にして、公衆衛生や医療保健サービス、あるいは健康保険における活動などを目的とした保健情報上の分類に供することが主たる目的であった。 しかし、精神障害のセクションだけを考えてみると、ICDが発展する中で、そこに要請されることは変化し、その用途も変化してきた。つまり、当初は単に統計分類のための国際的共通語をもつということであったが、作業を進める過程で、予測以上にある分類カテゴリーに患者群が偏在したり、地域別・国別に診断の好まれ方の違いか生じるなどして、結局診断そのものに関わることの重要性が認識され、精神障害の診断、そして分類の役割が強調されるようになった。 しかし、こうした変化あるいは拡充は、ICDの歴史の中でもさほど古いものではなく、最近のことである。(P15)
[ICD−10の概要より]まず、最近得られた精神障害の研究と理解における進歩を広範に反映している。分裂病圏障害や感情病圏の障害をはじめ多くのブロックで新知見に基づいて新たなカテゴリーが追加され、また削除されたカテゴリーもある。米国精神医学会(APA)のDSM〔注:ICD−10の出版当時は3−R/1987年〕とは異なる見解を示している部分もあるが、全体としてはDSMの強い影響とヨーロッパ精神医学とを調和させる試みが行われている。(中略)今回は現実に大まかな分類体系・多軸診断・診断基準(または診断ガイドライン)あるいは用語などが統一された。(P32)
つぎに、先にもふれたが、従来は傷害や障害に関する統計的研究ないしは数量的報告のためだけであったものから、研究・臨床・教育用へと目的を明確にしたことがあげられる。(P33)
2、診断方法に関すること。
最近の診断方法は、それまでの診断の仕方と言うか病名の付け方とは異なり、病因よりも症状を優先した類似性に重きを置いています。それによって、精神科以外の診療科(主に内科)を受診した場合や心療的な観点からの診断がより正確に行われるようになったことを含め、より現実的で全人的な対応ができるようになっています。(最近、"易疲労感=疲れやすさ"の原因のひとつに「うつ病」の可能性をあげてある、電車の車内広告を見ました。それから、普通の内科の外来に「うつ病」のチェックリストが置いてあったりするのも、そうした流れの現れでしょうか?)
どうして、病因よりも病態に重きを置くようになったのかというと、患者の呈している症状が「心因性」のものであるか「心身性」のものであるかを判断するのは、言語や文化的な影響に負うことが大きいので、論理的な妥当性を欠く恐れがあるからだそうです。何故なら、「心因性(心理的な苦境が原因である)」と認めるのは診断者の主観だし、「心身性」としてしまうと心理的な要因が全く関与していないような印象を与えてしまうから。また、内科を受診している患者の中には、明らかに「精神障害」と診断される症状があるにもかかわらず、内科医はその可能性を認識していないという実際的な問題もあるようです。
[ICD−9から採用された特徴より]ICD−8〔1967年〕における症状と病因を組み合わせた分類法が廃止され、かわりに精神障害と身体障害は別々の独立した軸を用いてコードされることになった(二重分類システム)。/病因論を排した症状記述的な表現を重視するという観点から、障害の名称が一部修正された(しかし、日本語訳では多くがそのままになっている)。(P12)
ICD−9までの主要疾患群は4種であったが、10種に増え、「共通の主題または記述的な類似性」によって分類されている。そして、このカテゴリーの全体を通して障害(disorder)という用語が使われている。このことは、疾患とか病気などといった用語を使用する際に生じる困難な問題を避けるためとされている。(P33)
各障害が、共通の主題あるいは記述上の類似性にしたがって群別されたので、使用上の便宜は増したといえよう。(P33)
ICD−10全体の基本的な約束として二重分類システムであることは既述した。それに加えて、第5章(F)の中だけで、明らかに2つ以上の診断名が想定される場合もでてくるであろう。そのようなときには、臨床像を網羅するうえで必要な診断をできるだけ多く記録するという原則に従うことが勧められている。ただ、こうした2つ以上の診断名を記録するとき、いずれの診断を優先させるか、つまりどれを主診断とし、他を副診断または付加的診断とするかという場合、その優先度は得られた診断の中で最も目的にかなうもの、すなわち当該の臨床場面において、実際にコンサルテーションや受診を必要とするにいたった障害にふり当てるというのは当然のことである。また一方では、長いスパンをもって縦断的に患者の全体像を見渡すための生涯診断として、当該患者にとって最も重要なものを選んでおくことも有用である。そのようなときには、ある受診時では適切とされた診断と異なる場合もあり得る。(P34)
3、自閉症の位置付けと分類に関すること。
「自閉症」の歴史と変遷を語る際に、「原因と治療法について、これほど目まぐるしく変わった障害は他にない」とよく書かれていますが、ここまではっきりと明文化されていたことは知りませんでした。まだまだ検討の余地が大きい分野ではありますが、その前から研究をしていた一部の先駆者の功績のお蔭で、現在の考え方が一般化されたのはつい十年前、臨床現場に普及し始めたのはほんの数年前だということがよく分かります。
[ICD−9から採用された特徴より]分類上の位置がICD−8とは変更されたカテゴリーがある。たとえば、小児自閉症は精神分裂病から、特に小児期におこる精神病にかわった。(P12)
[ICD−10の概要より]小児自閉症や崩壊性障害などは、ICD−9において精神病として分類されていたが、ここではDSM〔注:ICD−10の出版当時は3−R/1987年〕と同様に、広汎性発達障害に包括されることになった。疾病分類学上不確実な点はあり、DSM3−Rでは独立した下位分類の位置を与えられていないレット症候群やアスペルガー症候群および他の小児崩壊性障害を明確な障害としてこのグループに入れてあるが、それについてはこれを是とするに足る知見が、既に得られたという考えからである〔注:DSMでは第4版/1994年から採用されています〕。(P44)
4、児童精神科全般に関すること。
児童・青年期の「精神障害」や「発達障害」の重要性が認知され始めたのも、つい最近だということが分かります。
[ICD−10の概要より]ICD−9では、〔特に独立したセクションが与えられておらず、神経症・人格障害およびその他の非精神病性精神障害の中の〕313児童期と青年期に特殊な感情障害、314児童期の過動症候群、そして315特殊な発達遅延の3分類が、特に児童・青年期のために準備されていた。それに対し、このF80―F89心理的発達の障害と、次のF90―F98小児期および青年期に通常発症する行動および情動の障害のブロックが、小児期と青年期に特有な障害のために準備されたものである。これらは、ICD−9と大きく異なりDSMにより近いものとなって、分類項目は著しく多くなっている。しかし、児童や青年にも他のカテゴリーに配置されている障害の多くのものを見ることがあり、必要に応じて用いられることになろう。たとえば、F50摂食障害、F51非器質性睡眠障害、F64性同一性障害などは、児童精神科医もよく利用する項目のはずである。(P43)
5、多軸システムに関すること。
単に、病気としての不都合といった漠然とした困難さばかりではなく、臨床的な所見から認められる「診断されるべき障害」・「機能的な障害」の程度・環境や状況に対する「適応能力の障害」の組合せとして今現在の個々人の状態を把握することで、より本人の困難さの現状に則した支援が可能になるはずです。(特に、最近、「軽度発達障害(知的障害の軽い発達障害)」という概念が生まれたのも、その影響です。)
〔DSM3/1982年で採用された多軸システムの有用性について〕しかし、精神障害に罹患した患者の全体的で広範な理解をするうえでは、臨床的症候群(第一軸)の記述のみでなく、発達の問題や人格上の偏り(第二軸)、その臨床状態に影響する可能性のあるまたは単なる合併症あるいは精神的な状態に影響を受けて生じた身体症状(第三軸)、臨床的状態の発症に関わる心理ストレス要因(第四軸)、さらには患者の本来の社会適応水準(第五軸)を十分に把握しておくことが必須であろう。(P52)
ICD−10(F)の多軸記載方式は、第一軸の臨床症候群、第二軸の機能障害診断尺度、そして第三軸の主としてストレス要因からなる。(P53)
- まず、第一軸は、DSMとちがって、人格障害を含む精神障害だけでなく、あらゆる身体障害も記載するようになっている。
- 次に、第二軸は、WHO機能障害診断尺度と呼ばれるものを使って、対象者の機能障害について利用可能な情報全てを利用しながら「全体的評価」と「特定の領域での評価」を行おうとするものである。特定の領域というのは、セルフケアと生活能力、職業的機能(勤労者・学生・主婦として期待される役割の遂行度)、家庭内での機能(配偶者・親・子・他の親族との相互作用)、そしてより広範にわたる社会的行動(他人や地域社会との相互作用や、そこでの役割、または余暇時の活動性など)の4領域である。評価レベルそのものは、機能障害なし、最小限の障害、明らかな障害、重度の障害、非常に重度の障害、そして最大限の障害までの6段階に区分するもので、さほど困難性はない。
- 第三軸は、正しくは「環境・状況的要因、および個人的生活様式、日常生活管理上の因子」と呼ばれる側面を評価する軸であり、大きくは環境的・状況的要因と生活様式・日常生活管理上の問題の2つの部分の評価からなっている。
〔しかし同時に、「診断」に関する注意事項が、ICD−10「精神および行動の障害:臨床記述と診断ガイドライン」注釈に述べられています。〕慣例的に精神症状とみなされてきた、個人レベルでの能力低下の中には、洗面・着衣・摂食・排泄などの身だしなみや生命維持活動にみられる、日常の必要不可欠な活動が含まれる。これらの活動が阻害されるのは、心理的な機能障害の直接的結果であることが多く、文化による影響はきわめて少ないか、あるいはまったくない。したがって、個人的な能力低下は当然、診断ガイドラインや診断基準の中に現れうるもので、ことに痴呆においてはそうである。/これらに対して「社会的不利」(個人にとってふつうの役割を遂行することを妨げたり制限するような、個人にとっての不利な条件)は、広く社会的関連の中で機能障害あるいは能力低下のもたらす影響として現れるものであり、おそらく文化的影響をはなはだしく受けるものと考えられる。したがって、役割における社会的不利は、ある診断の基礎的な要素として用いるべきでない。
臨床の現場では、全ての医師が実際にこういう「診断基準」を片手に「診断」を下すわけではありません。だいたいは、生育歴を聴取したり他の様々な検査を行い、面接や会話中に現れる症状から総合的に判断して、「障害」と認められるかどうか・何らかの治療的措置が必要かどうかが決められます。
しかし、何故私がここにこんなことを書いていて・実際にここに書かれている内容を誰に向かって周知させようとしているのか?ということを考えると、はなはだお寒いものを感じてしまいます。
「用語と用法」へ 「ペンギン日記」へ 「さまざまな治療法」へ