本人の意識に基づく「診断基準」
2001.1.1作成/2001.1.4加筆・追加/2001.1.22客観的な観点を加筆
注: | ここは、「アスペルガー症候群」の私的な研究ページです。 |
ここに書かれていることが、「アスペルガー症候群」のすべてではありません。 | |
私は、私の知っている「アスペルガー症候群」について書いています。 |
1.「かかわり」障害
- 他人との係わり方から次のようなタイプがあり、臨床像や受ける印象はかなり異なる。身辺自立や技能的な困難が少なく、ほとんど常に単独行動をする「一匹オオカミ型(コミュニケーション能力のある孤立型)」。お手本がないと行動できないため、常に他人に追従する「受動型」。自分からは一方的で積極的な係わり方をするけれど、他人から係わられると妙に従順か拒絶的かのどちらかで、極端に態度が変わる「積極奇異型」。
- [幼児期〜学童期前半には]、言葉や運動能力の遅れがあったり奇異な行動をして集団に入れなかったり、集団活動はできるもののかなりの困難があることがある(多動・寡動/衝動性・低反応性という行動上の問題があったり、注意や認知の障害による学習上の困難があったり、知覚過敏や神経症状が重くパニック発作を起こしやすかったり、不安恐怖が強いことが多い)。また、集団内にいても、係わりが稀薄で並行的な行動をしていることが多い。
- しかし、逆に、成績が良く問題行動を起こさないどころか、妙に大人びた振る舞いを見せる子どももいる。或いは、常に他人との間に一定の距離を置いていることもある。こういう子どもは、リーダーや大人には従えても、決して社会的な(遊びや余暇活動などの)子ども集団の中でリーダーシップを取ることがない。
- 義務を遂行することや役割に対する責任感はあるが、社会的な人格を持たないため、集団の内の位置付けに見合った行動をとることができず孤立しがちになる。("ごっこ遊び"ができないのは、その現れ。)
- 社会的なかかわりを強要されることでかかっている負荷を自覚できず、チックや胃腸障害などの身体症状に現れていることが多い。また、抑うつなどの気分障害が潜行していることがある。
- [特に、未治療で経過した成人の場合]、どのような社会的地位にあっても、家族以外に(或いは、家族にさえも)自己開示することがない。職業的・学業的な技能は習得できても、物や言葉のやりとり以上の心理的な交流がないので、打ち解けて親交することがない。
- 他人に対して、親和と拒否の両方の態度をあからさまに示すことがある。本人にとって日常的で、慣れている場面では人と接することができるが、些細なこと(本人には重大だが、常識では不可解な理由)をきっかけに突然拒絶してしまうことがある。或いは、親和的な時期と拒絶的な時期が繰り返し交代する。
- 感覚−知覚の特異性(特定の知覚に対する過敏症)によって、周囲の環境の物質的状態の影響を直接受けてしまう。また、周囲の人やドラマの登場人物などの心理状態に同化してしまうことがある。どちらにしても、そのためにその場にいられなくなることがある。
2.「コミュニケーション」障害
- 言葉を使うことはできるのだが、抑揚のない杓子定規で紋切り型の言い方をする。
- 字義通りの表面的な解釈しかできないため、言外の真意をつかむことができない。
- 誰かに言われたこと・誰かが言っていたこと・どこかに書いてあったことをそのまま鵜呑みにして信じ込み、不相応な状況下にもかかわらず、そのままの形で会話に用いてしまう。
- 顔に全く表情が無いことはない。しかし、会話の内容に相応な表情を作ることができない。
- 相手の顔の表情やしぐさなどが、全く読み取れないわけではない。読み取っているが、読み違いをしていることが多い。
- 他人の話を注意して聞くということは、相手の意図を汲み取ろうとするのではなく、その音列をそのまま記憶することに等しい。後でその音列が頭の中で繰り返し反芻されて、意味を理解する。従って、その場では質問に答えられないことがある。
- 人の声を聞くためには、相手の他の人的感覚要素(触覚・視覚など)を排除した方が注意を聴覚に集中しやすいので、相手の方を見ないことがある。また、意識の覚醒状態を維持するために、他の物的な視覚刺激を見つめたり、常同的に体を動かしたりすることもある。或いは、聴覚に集注するあまり体性感覚に注意が向かず、姿勢が崩れてしまうこともある。
- 小難しい単語を用いて、妙に仰々しい言い回しをする(名詞的な表現が多い)。或いは、句読点の用法が不適切で、くどくどとした繰り返しの多い文章を書く。また、単語に独自の意味付けをしていたり、特定の分野の専門用語しか使わなかったりして、何となく言いたいことは解かるのだが、やたらと難解な表現をする。
- どのような状況・どんな会話の最中であっても、また相手が誰であろうと、常に自分がこだわっている事柄に話しを戻し、その話題に終始する。(その事柄を知っている人とは興奮して際限なく話し続け、知らないという人には際限なく教え続ける。)
- 共通認識のズレを度外視して、主題・主語・説明・確認・話題を切り替える前置きを抜かして話し始める。特に、フラッシュバックによる原記憶の再現が起きると、その場の文脈には全く関係の無いことや、共通した経験のない他者には解からないことを、突然話す。
- 話し方が判らなかったり、話す内容がなかったり、失敗する危険性が高い状況では、選択的場面緘黙で対処しようとする。
3.「こだわり」障害(感情の共感性・思考の柔軟性に欠けること)
- 特定の事柄に極端に興味が限定されていて、他に一切関心を示さない。
- 自分の興味のある事柄に没頭している時は、他のことが全くできなくなってしまうことがある。
- 物の部分に注意が集中しているため、必ずしも一般的でない(感覚的・表層的な、または機能的でない特異な)要素に執着を持ちそれに固執したり、同じ行動や動作を何度も繰り返す。しかし、それを生業にできるほどの体系的な知識に集積できたり、特殊な才能を発揮する者もいる。
- 何かに「こだわる」ことや「決まり(構造化・法則化・規則化された事柄/社会的な規範)」を守ることによってしか、活動を起こせないことがある。極端な場合、「こだわり」と「決まり」のない場面では、全く何もすることができなくなってしまうことがある。
- 個としての感情(喜怒哀楽)は非常に豊かだが、社会的な欲求(他人に対して、自己の存在をより良く認めさせようという欲求)がないため社会的・対人的な感情(比較・競争・羞恥・優越など)がなく、そのような心情の吐露を要求されても応えることができない。また、本人には感情的な動機や情緒的なわだかまりがないのに一般的な感情で解釈されてしまうため、非・自閉者との間に日常的に行き違いを生じている。
- 非・自閉者の「こころ」のあり方が、論理と気分ではなく上記の社会的・対人的な感情と気分とが一体化していることを実感として感じられないため、人の気持ちに応える言葉かけや行動ができないことが多い。[思春期以降には]、他者を非常に気遣うようになるが、やはり観念的で過剰な心配をしたり、自分の評価を過度に気にしすぎることがある。
- 社会的な場面で社会的な行動をするためには、知識的に習得した行動や会話のモデルやパターンを憑依的に模倣して、その場を切り抜けようとする。モデルの選び方・パターンの使い方が間違っていると不都合が生じ、自分をそれらに当てはめて演技しすぎると精神的に破綻をきたす。(モデルもパターンも持ちあわせていない事が起きると、フリーズしてしまう。)
- いくつかの場所で会った個人に対して、個々の場面を統合して統一された意識の流れをもつ一人の"人"として再構築することができない。或いは、同一人物であることは判っても、知識的である。また、今現在 対峙している"人"に対してではなく、自分の記憶にある"人"に対して対応してしまうため、その場に合った適切な会話ができない。("人"に限らず、すべての"物"について同様の処理をしている。ただ、相手が人の場合、弊害が大きくなる。)
- 特に、過去の体験から恐怖心を抱いてしまった対象からは、徹底的に回避しようとする。決して、嫌悪感からそのような行動を取るのではない。
- 他者の心情的な変化(気持ちや気分の変化・考えの変更)や感覚的な変化(服装や振る舞いなどの視覚的印象や声のトーンの変化)を、ほとんど人格の変化であるかのように認識してしまう。
- 同時に2つ以上の課題をこなすことができないため、パニックに陥る。また、予想外の出来事に即時対応できずに、混乱する。不確定の未来に対して、強い不安を示す。自分の思考の流れが妨害されると、衝動的に癇癪を起こす。
- これらの特徴によって、他者からは「人の感情や表情をくみ取るのが苦手」と思われている。しかし、本人は、自分自身の方法で「世の中」を解釈し、係わっているので、そのことに全く気がついていない。